第79話
「お疲れ様です、若君」
「昨日、言っていた所要とやらは済んだんですかい?」
「あぁ、恙なく終わらせたさ、多分な」
これで学院錬金科の試験に落ちていると、遠慮のないリィナから小馬鹿にされて、凹んだところをフィアに慰められるのかと辟易しつつ大柄な冒険者に応える。
流石に二か月以上も野営地で寝食を共にすれば気安い間柄となるため、すれ違った別の護衛役にも首尾を問われたが、走って王都まで行ってきたとは言えないので、適当に話を濁して大天幕へ入った。
仄暗い内部には解熱と咳止めの効能がある竜舌草、滋養強壮と疲労回復が見込める鼠尾草の葉など、黒死病の対症療法に使う薬物の原材料が置かれており、濃厚なハーブの香りが充満している。
その他、度数の高い酒精を造る過程で扱う麦類や、港湾都市ハザルに出入りする中東の商人より買った蒸留器具も幕内に置いていた。
近隣の小都市システィナに派遣した分団も、医療従事者に追加の消毒液を求められている現状、寸暇を惜しんで精製に取り掛かるべきものの……
「如何せん、肉体的な疲労は馬鹿にならない」
殆ど休みなく長距離を駆けたことで、馬の気持ちが少し理解できた気はする。
騎乗の折は労わってやろうと心に決め、身に纏う鈍色の部分装甲を流体へ変化させて、本来の姿である海都の魔導書に戻した。
それにマナを凝縮させて次元の壁を壊し、書物の知識で創った固有空間に収めて、薄手の外套も脱いだ上で簡易組み立て式のベッドに転がる。
ふと気を抜いた瞬間に斥候と司祭の娘が脳裏へ浮かび、ここまで長く顔を見てないのは出会って以来初めてだなと、考えているうちに意識は浅い眠りへ落ちたのだが、然ほどの間を置かずに起こされてしまう。
「すみません、仮眠の邪魔でしたね」
「いや、構わない、何か問題でも?」
「どうでしょう、中身は見てませんので」
少々気まずそうに差し出されたのは定期的に送られてくる報告書であり、各都市に潜り込ませたハザルの官吏が書いたものだ。
現地の聖職者が把握している教区別の発病者数、支援の実施状況と効果の検証、市井に於ける王国や自領への印象、ウェルゼリア紙幣の浸透度合いなどが記載されており、其々《それぞれ》の分団に出す指示の判断材料となっている。
「どちらも順調だな、温床になり易い貧民区の重点的な駆虫が奏功したようだ」
「床虱や蚤に噛まれたら、病原体が移って発病する若君の仮説… 最初は半信半疑でしたけど、書面の数字だけ見ると正しく思えます」
何分、拡大抑止の観点から本営の者達は市街地に入れないため、この目で確認の仕様はないが、こちら側の人員が状況を偽ることも早々にあるまい。
たとえ伝染病の特効薬が見つからずとも、罹患者の隔離と防疫で新たな感染を防ぎ続ければ、やがて終息に向かうのは道理だ。
(この調子だと、晩夏には第一陣を引き上げられるか……)
後続の第二陣と交代する形で市街地の分団を壁外まで退去させ、二週間ほどの検疫を挟んだ後、合流させて帰路に就く算段を組み上げる。
その途中でイルファの行政区を失った共和国の妨害があるなら、頃合いだなと感じながらも日暮れ頃の会議に備えて、一人に戻った天幕の寝床で再び瞳を閉じた。




