第76話 ~とある独立都市の復興記録~
誓約歴1260年6月末
支援団の到着から一月半ほど過ぎた頃、初夏の風が吹く独立都市の湾岸にて、外国籍の船舶が久方ぶりに入港してくる。
言うまでもなく、グラシア王国に所属する商船だが、そこへ積み込まれた諸々《もろもろ》は然に非ず、内海に浮かぶ島国ヘレネスで購入された物資だ。
幾ら王命で各地域の品々が送られてくると謂えども、自国の余剰生産物には限りがあり、諸侯らが兵糧にも宛がう備蓄を使い切ることなどできない。
故に当初より港湾都市ハザルを通じて、菫青海沿岸の諸国ともイルファが中継貿易を行うことは計画されていた。
海産物を扱う貿易商の長男セルジや、港の労働者らが距離を置いて佇む中、接岸された中型の船舶から次々と木箱が降ろされる。
「船長、第一班の搬出作業は完了です」
「こっちの第二班も同じく… あ、三班の連中も終わったみたいですよ」
「ご苦労だったな、すぐさま帰るとしよう」
短い言葉での会話を済ませた後、現地の人々に関わるなと厳命された船乗り達は踵を返し、長居無用とばかりに船内へ戻った。
入れ代わりで港にいた者達が積み荷に近寄り、釘止めされた小さな羊皮紙を読み取る商人らの下、細かい指示を受けて輸入品の仕分け作業に取り組んでいく。
「島国だけあって海産の干物が多いのは当然にしても、今回は石炭が多いぞ」
「あぁ、燃える石か、匂いは好きじゃないけど薪木が不足してるからなぁ……」
紙商人だと嘯くウェルゼリア領主の嫡男によって齎された衣類や寝具、食器の煮沸消毒は一定の防疫を人々に実感させており、習慣化に伴う燃料の需要も日々増えているのが実情だ。
その動きを読んでいた彼の人物は、海産物の交易で菫青海をよく知るセルジの助言など受け、内海の島国で産出される石炭を買い付けていた。
(西方諸国だと匂いの少ない木炭が好まれるし、出廻り難いので知られてませんが、ヘレネスが持つ埋蔵量は結構なもの、安くて良質な買い物ができました)
使用の際、屋外に湯煎用の鍋を出せば匂いが籠ることもないので、代替燃料として存分に役目を果たしてくれるだろう。
それら個々人の努力に加えて黒死病の近縁と思しき災いの根源を断つため、乾燥させた除虫菊や蜈蚣萍の混合物による支援団主導の燻煙で蚤の駆除も行い、吸血に係る感染を抑制していたりする。
さらには赤海葱の球根を用いた毒餌による鼠の排除等、効果的な治療法がない状況であろうと、徹底的な防疫活動は日ごとに成果を積み上げていた。
「ここ最近は幸先が良いよな、いやさ、伝染病の流行自体が不幸なんだけど」
「不幸中の幸いってやつか、紙商人殿の手腕と先見の明に感謝だな」
漏れ聞こえた労働者らの雑談を拾い、年齢不相応な碩学の知識に違和感しかなかったセルジの口元が綻ぶ。
「確かに怪しげな少年ですが……」
直接に関われば善悪問わない懐の深さがあり、人の助言と忠告は聞く相手だと知れたので、もはや以前のような警戒感はない。
自身の片腕とする予定の弟を製紙工場に奪われたにも拘わらず、いつの間にか懐柔されたものだと自嘲して、某商会の跡取り息子は港での作業に傾注した。
中世のペストは鼠を駆除することで間接的な効果があって終息に向かいましたが、人に直接移していたのは血を吸う蚤だった、とのことです。
恐らくは蚤駆除の方が効果はあったのかもしれませんね。




