第62話
邸宅の執務室を出た後、まだいると思しきリィナを探せば……
どういう経緯か不明だが、甘い香りのする厨房でメイド姿の幼馴染に餌付けされており、何やら妹のディアと一緒になって焼き菓子を食んでいる。
微笑ましい光景に緊張の糸が途切れ、思わず肩の力が抜けた。
「中庭にいないと思ったら、こんな場所に……」
「ん、もう依頼品のウォード錠は突破できたから」
誇らしげな斥候の娘が言うように卓上の小箱は蓋を開けられ、高そうな指輪と紐縛りされた数枚の羊皮紙を白日の下に晒している。
因みに小箱を冒険者組合へ持ち込んだ元騎士侯の爺さんとは知己があるため、先月亡くなったご婦人の遺品だと察せられた。
「婚約指輪と恋文よ、在りし日の武骨な依頼者が奥さんに贈ったね」
「勝手に内容を読んだのか? マナー違反は否めないな」
「すぐに他人が見るべきじゃないと思って、冒頭だけで自重したわ」
若干、気まずそうに視線を逸らしたリィナの傍、何故か焦りを滲ませた妹が恐縮して、小さく身体を竦ませてしまう。
「すみません、兄様… 浅慮な私が中身を聞いてしまったのです、あぅう~」
「いや、御嬢は悪くない。せがまれて断らなかった側に問題がある」
日頃から可愛がっているうちの妹を擁護しつつ、台所仕事を済ませていた元槍術士のメイドが振り向き、あからさまなジト目で斥候の娘に責任を求めた。
勝手知ったるなんとやら、長年の付き合いから歯に衣着せぬ言葉を突きつけるも、それは相手も同様なので受け流されてしまい、程々《ほどほど》の反省を促すに過ぎない。
「分かった、今度から気を付ける」
「私も注意します、雉も鳴かずば撃たれまい?」
偶に漏れる前世の慣用句など真似た妹と二人揃って頭を下げ、勝気なメイドの娘が毒気を抜かれて口籠ったところで、こちらの要件を改めて切り出す。
「内密の話をしたい、河岸を変えるぞ」
「むぅ、なんか横暴ね、作ってくれたクレアに悪いでしょう?」
少なくない意趣返しを声に含ませたリィナが反駁して、態とらしい身振りで非礼を責めながら、食べかけのクッキーを俺に咥えさせる。
感染地へ向かう際の護衛に雇うなら、過剰なスキンシップを控えさせる必要はあれども、今は許容の範囲内かと咀嚼した。
「普通に美味いな、“女王蜂の巣” で売っている焼き菓子みたいだ」
「ふふっ、お店に引けを取らないと思いますよね、兄様」
「簡易なレシピを教えてもらったんだ、あの店主も女子修道院の出身だから」
柔らかく微笑むクレアの努力と研鑽を感じ取り、確かに無粋だったと思い直して、追加の小皿で差し出された焼き菓子を緩りと味わう。
急がば回れという言葉は正しいようで… この場にいないフィアも交えた皆から、つい眼前の課題に傾注しがちな自身を戒めてもらいつつ、ひと月を投じた某都市への支援準備と交渉は着実に進んでいくのだった。