第53話
赤い粘塊に埋まった不揃いな多眼が独立して蠢き、自身の置かれた環境を確認するや否や、定形を持たない謎の生物は小刻みに震えて、徐に巨躯を崩壊させる。
薄く地表に広げた粘体で倒れている傭兵達を包んだかと思えば、まだ息の有る無しに依らず、周囲の草花と一緒に取り込んでいった。
「…… 何だ、あれは?」
「意志ある粘液の王、お前達がスライムと呼ぶ有核類の祖先、その一匹だな」
異質な魔物の挙動を方尖柱の陰から窺っていると、気配もなく俺の背後に忍び寄ったサイアスが何やら蘊蓄を語り始める。
あたかも原生動物のような怪異には有機物全般を消化吸収する能力があり、貪欲に喰らった命の数だけ肥大化して、破滅的な脅威に成るそうだ。
「あの外見でも現生人類より知性は高い。ここで仕留め損ねたら、次に姿を見せた時、恐らくは対処不能な存在になっているぞ」
「つまり、今が一番弱いわけだ」
“軽々《けいけい》に見逃せば近隣の都市は滅びるかもな” と煽ってくる我が師に溜息を零して、命懸けで未知の難敵と戦う覚悟を決める。
何とはなしに後方へ待機させていた三人娘がいるあたりを眺めてから、即時発動できるように領域爆破の術式を複数並行で組み上げている最中、邪魔にならない程度の力加減で肩を叩かれた。
「原則、蕃神の眷属は “討ち手” の排除対象だ。私が殺ろう」
無造作に動いた師は剣柄を片手で掴み、鍛錬の中で一度だけ見せてくれた次元を断つ斬撃にて、最初の形態に戻った粘塊の中心に浮かぶ核を壊そうとするが……
蜃気楼のように揺らいだ刃金はすぐに実体を取り戻して、彼我の距離を超えること叶わず、切っ先が斜め前方の石柱に刺さる。
どうにも締まらない姿が滑稽に映ってしまい、不謹慎にも口端が緩んだ。
「空間系の攻撃に対する備え、あるみたいだな」
「致し方ない、援護しろ弟子」
若干、不満げなサイアスの言動はさておき、先ほどの斬撃で “意志ある粘液” とやらに捕捉されたらしく、赤い粘体を細長く引き伸ばして拵えた超射程の触腕が縦横無尽に振るわれ、遮蔽物を溶断しながら怒涛の勢いで迫ってくる。
血液と共に流れる体内のマナを感じ取り、制御下に置いて動体視力と頭脳の強化を済ませると、すべての動きが緩慢となった刹那の一瞬に乗じて活路を見出した。
網目のような攻撃を掻い潜り、師とは反対の右側へ廻り込んで、追尾してきた触腕の先端を爆発反応障壁の魔法で弾き飛ばす。
お返しとばかりに腰元へ吊るした革製ホルダーから短剣を抜き、右腕にマナを収斂させて人外の膂力で投げたものの… 案の定と言うべきか、組成の不明な粘液に護られた核まで届かず、はかなく溶けて消えた。
ラヴクラフト氏のクトルゥフ神話に出てくる不定形の怪異ショゴス、実際にスライムの原型「沼の怪」を生み出したブレナン氏の元ネタだったりします。