第2話
誓約歴1256年10月末
欠落している事にすら無自覚な前世を思い出したのは十一歳の頃、夕食の席で幼い妹の面倒を見ている母が零した、何気ない一言が切っ掛けである。
「ジェオ、貴方… まだ飽きずに奇妙な剣術の真似事をしているそうだけど？」
何故か物心ついた頃より、焦燥感に駆られて勉学に励む傍ら、訳も分からず延々と木剣の素振りなどしてきたが、答えは突然に浮揚してきた記憶の中にあった。
「いざという時に後悔しないためです、母様。災禍の芽は思うより世に多く、零れ落ちる命は多々あれども、掬えるのは僅かな一握りに過ぎません」
偶発的に生じた抜き差しならぬ鉄火場で大切な人達を護りつつ、眼前の問題を良い方向に導くのは単純かつ原始的な力、身も蓋もない言い方をすれば暴力である。
尤も、時と場合によっては荒事が罷り通らず、伸ばした手が届かない事は多々あるものの、痛ましい悲劇など少ない方が良いに決まっている。
それを拙い言葉で伝えると、唐突に人倫を説き始めた年端のいかない息子に対して、少々引き気味な我が母フローディアは取り繕うように微笑んで、黙していた夫を見遣った。
「誰の受け売りかしら… ねぇ、あなた？」
「私ではないぞ？ 困ったものだな、我らに荒事の類は不要だというのに……」
憮然とした様子で我が父、ディアス・クライスト・ウェルゼリアは豊かな口髭を弄り、領兵を率いる貴族が自ら剣を振っている時点で負け戦だと諭してくる。
曰く、領主がすべきなのは火急の時に備えた蓄財、伝令を通じた後方からの戦略的な指示であり、前線にまで出張る必要はないとの事だ。
若干、その蓄えを贅沢な日々の暮らしに充てている気もしたが、相応の理由があって他領より重いという税を領民に背負わせているのかと、自身を納得させながら反論など試みる。
「当家の規模だと君主が陣頭に立つこともあるでしょう。それに自らが行動して、命を危険に晒さないと、人は付いて来ないものです。戦場では特に」
「はっ、言うようになったな、ジェオ。いいだろう、幾ばくかの資金を投じて、お前にふさわしい剣術の師を探してやる。私を失望させるなよ」
何やら、勿体ぶった言い方をされ、俄かに父がメイド達から守銭奴だと評されていた事を思い出せども……
前世の所業を省みるなら、自身も金策に困って融資を嘆願してきた豪商や氏族に向け、似たような台詞を吐いた記憶があるので同じ穴の狢。
渡りに船の申し出は有難く受け取ることにした。
「お気遣い、ありがとうございます」
「構わんよ、お前は大事な跡取りだからな、精々励め」
平素と変わらぬ尊大な態度であれども、身内への親愛は含まれているため素直に頷き、中断していた食事を再開する。
ただ、表面的な冷静さと裏腹に次々と復元されていく過去の記憶や、魂の揺蕩う虚空で得た見識を消化しきれず、食事の味が分からない程度には動転していた。
(…… 憂鬱だな)
余り褒められたものでない、わがまま放題の人生を末路まで走馬灯のように見せられて、過去に煩わしく感じて遠ざけた者達の誠心や、甘言を弄する者達の浅慮にも気付かされてしまう。
その日は沈んだ気持ちのまま部屋に引き籠り、硬めのベッドに身を投げた。ここ数年で家庭教師の識者に教えられた事柄を鑑みれば、現在地は祖国より大海を隔てた遥か西方に位置する南蛮国家であり、死後何年も経過しているようだが……
愚かな過去を無かった事にはできないため、今度こそは人様に迷惑を掛けず真っ当に生きて、悔いなく斃ろうと密かな誓いを立てて浅い眠りに就いた。
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