騎士であり続ける意味
──何故、このような目に遭っても陛下の側に居続けるのですか?
「っ……」
耳を掠めたその問いに瞬間湧き上がった確信。
やはりベギンズ様は、自身らのことを快く思っていないようだ。
彼の言う『このような目』には、おそらく先ほどの制裁も入っているのだろう。あれを『理不尽』だと理解した上でそのような質問を投げかけて来る意図は読めないが、少なくとも自身らにとって明るい話でないことは確か。
「与えられた居場所が、ここですので」
だが、どんな理不尽な目に遭おうとも退く気はない。そんな意志を乗せた緑の瞳が男を捉えていれば、不意にカルラの口元が弧を描く。
「では、もし今よりも良い環境を与える者がいれば、君はそちらに行くのでしょうか」
「っ、え」
「身分で誹りを受け続ける皇宮よりも、例えば傭兵として雇われる者は平民が多い。そちらの方が魅力的では?」
瞬間気付かないうちに爪が掌に食い込んだ。彼にとって、自身らは『身分如きで屈する人間』に見えていると言うのか。そんな理不尽にすら耐えてきた覚悟を貶されたような気がして一気に脈が早くなる。
そして、こうまで言われてしまえば自ずと察するものがある。
ベギンズ様は自身らを快く思っていないのではない。端的に言って、かなり目障りだと思っているのだ。
一体どの口が「身分などとくだらない」と言えたのだろう。
「たとえ良い扱いを受ける場所が他にあろうとも、この役目を降りる気はありません」
「ソル、待て」
そうして自身の肩に手を置き制止するルアに構うことなくベギンズ様を見据える。いくら邪険にされようと、陛下の側を離れる気はない。
孤児院が襲撃に遭ったあの日。涙で歪んだ視界に映った赤茶髪の男性は、歳が自身らと5つ程しか変わらないというのにとても頼もしく見えたことを覚えている。
そうしてこちらへ差し伸ばされた手と、掬い上げてくれたあの言葉。
「陛下のために命を使い捨てると、決めているので」
今も昔も変わらない誓い。それを口にした瞬間、ほんの一瞬だけ目の前のオレンジ色の瞳が見開かれたのが目に映った。それほどまでに自身の答えが意外だったのだろうかと過ぎるが、すぐに「また蹴られるのではないか」という考えに覆われていく。
そうして少しばかり身構えつつ耳元を風が切った、数瞬の後。
「っはは、少々意地悪が過ぎましたね」
不意に紡がれた低い声に思わず瞠目したのは2人同時だった。その青と緑の瞳の先には、先ほどまでとは違う屈託のない笑顔を浮かべるカルラの姿が。
しかしそれも一瞬、すぐいつもの眉を上げた余裕そうな笑顔へと戻った彼は未だ動かない2人に対して言葉を続ける。
「一つだけ誤解しないで頂きたいのは、別に僕は君達を排除したいわけではありませんよ」
「……え」
先ほどまで煽りとも取れる言動を繰り出してきていた人物の面影は確かにあるものの、目の前の男性は吹き抜けるそよ風のような雰囲気を纏ったままこちらを見やるばかり。鮮やかに移り変わったその様子に若干体温が下がったものの、まるで気にしていない様子でベギンズ様は口を開く。
「先ほどの制裁も、僕の個人的な感情は含まれていませんので悪しからず」
「……存じております」
弁明されずとも、それだけは理解していた。
他の相手、例えばベギンズ様以外の帝国騎士団に見つかっていたならば、おそらく自身らは今頃別館で倒れていたままだっただろう。好機とばかりに過度な体罰を加えられていたであろうことは容易に想像がつくのだから。
そういう点で言えばベギンズ様は人が出来ていると言えるだろうが、かと言って自身らのことを好ましく思っているかと聞かれればそうではないはず。
「君達の心意気は結構。陛下は僕にとっても大事な方ですので、引き続きよろしくお願いします」
そうしてどこか柔らかさを帯びた雰囲気の彼に対してお辞儀をし、未だこちらを見据えたままのオレンジ色の瞳に背を向ける。
彼に言われなくとも、陛下のことは何があっても護るつもりだ。
そう心意気を新たに、ソルは未だ疼く脇腹を抑えながらルアと共に訓練場へと足を進めて行った。
だからこそ。
背後でカルラが心底つまらないとでも言いたげな表情で背中を見送っていたことなど、2人は知る由もなかったのだ。
**
「あっははは!それで2人まとめて折檻とか、ほんとに団長と副団長は仲がいいなァ!?」
ドンっとビールの入ったマグをテーブルに叩きつけながら笑い飛ばした団員に対し「うるせー」と、眉間に皺を寄せた笑顔を浮かべたソルが返事をする。その光景で狭い食堂内に笑い声が伝染する中、隣に座ったルアは我関せずとでも言いたげに食事を続けていて。
「ルア、お前もなんとか言えよ」
「……明日、覚悟するんだな。立てなくしてやる」
「やっべ副団長が珍しく怒ってるぞ」
その返事で益々盛り上がった団員たちに呆れたような笑みが一つ溢れる。そうして自身もマグに口を付けながら日中のことをぼんやり回想していた時ふと、とある違和感が引っ掛かった。
それは先に別館を後にしたはずのベギンズ様が、何故か自身らの背後から現れた点について。
確かにあの時見たのは中庭の扉から出ていく姿だけであり、自身らが別館から出た際には既に彼の姿は見当たらなかった。だがよく考えてみれば、わざわざ走りでもしない限りあの広大な建物から外に出て、更には自身らが出るまでに姿を眩ますなど出来るものではない。
しかしあの時、走る足音など聞こえてはいなかった。
もしかして別館の入り口ではなく内部へと足を進めていたのだろうかとも考えついたが、来賓用の建物に特に用事はないはず。
ならばまさか、見張られていた?
「団長難しい顔してるな?」
「……なんでもねーよ」
はたと我に返り団員に言葉を返せば「ふうん」と興味なさげな相槌が届く。それに心なしか安堵を覚えていれば不意に、それまで黙々と食事を続けていたルアが口を開いた。
「陛下とカルラ様は、なんで別館にいたんだ」
「っそれ!そこなんだよな」
最大の疑問点は、まさにその部分。
確かに陛下であれば、近々使用予定の来賓用の宿泊部屋を視察することもあるのかもしれない。なら、ベギンズ様が同行していた理由は?
加えて陛下の護衛を担うのは最側近であるアレン様だが、いつも背後に追随しているその姿が今日は見当たらなかった。もし代わりの護衛目的であるとするなら何故、わざわざ近衛兵ではなく騎士団長であるベギンズ様自ら出張っていたのだろうか。
ぐるぐると纏まらない頭の中。だんだんと覚え始めた苛立ちを掻き消すようにマグを大きく傾けた、その瞬間。
「っ!ゲホッ、ゴフ、っあ、」
「団長大丈夫かー?そんなに一気飲みしなくても誰も盗らねえよ」
「ゲホッ、っ、誰も、心配してねーよ」
胸元を連打しながら噎せ返り続けていれば、先ほどの思考も霞のようにぼんやりと消えていく。視界の片隅ではルアが興味なさ気に鹿肉を口にする様子が映っていたが、自身の視線に気が付いたように青の隻眼がこちらを向いた。
「……今死なれても困るからやめろ。誰がドアの前に立つんだ」
「死なねーよ。それに公爵会議の警護は誰でも出来んだろ」
そんな軽口を交わしつつ落ち着いた喉元に再度ビールを流し込み、ふいと視線を逸らしたルアの横顔を見やってから自身も食事を再開した。
いくら考えたところで、どうせ答えを導き出すことなど出来るわけがない。
そんな諦めで思考に区切りを付けつつ、ソルは団員達の賑わいをぼうっと聞いていたのだった。
「さて、今日もお開きにするかあ」
そんな言葉を合図に皆で食器の片付けをし、各々蝋燭を持って隣の宿舎へと戻っていく。満たされた腹と酒で火照った身体をいつものように冷ましながら歩くこの短い時間が、団員達にとってのお気に入りの時間だった。
そうして相部屋である自室に辿りつくと同時に蝋燭を吹き消し、風当たりのいい窓際のベッドに仰向けに倒れ込む。同じくルアも横になったのを気配で確認しつつ瞼を伏せれば、何を考えつくでもなく眠気に襲われ始めた。
いつにも増して濃い1日だった今日。追及したい疑問も色々あるが、だんだんと落ちていく意識がそれを阻む。
「っはぁ、また明日な、ルア」
「ああ、早く寝ろ」
そんな男の声を最後に、気付けばソルは規則正しい寝息を立て始めていて。それを一瞥したルアも意識を落とす中、静かな夜は刻々と更けていった。
そうして、訓練場に扱かれた団員達の屍もどきが転がる日常に戻ること1週間。
ついに、年2回の公爵会議の日が訪れたのだった。