水面下
ソルとルアが出会ったのは、現在から10年と少し前のこと。
首都近郊の孤児院に拾われた2人は元々物乞いをする孤児であり、先にソル、後にルアが院へと足を踏み入れた。そんな彼らは現在と性格が大して変わらないものの、歳が近いということもあり出会った直後からだんだんと打ち解けていくことが出来たのだ。
そんな2人の、とある日常。
「ルア!戦いごっこやろーぜ!」
「……飽きないな」
大きな緑色の瞳を輝かせながら差し出したのは、ちょうど自身の腕ほどの長さの木の棒。
気付けば時間を見つけ、敷地の庭に落ちている木の棒を使ってチャンバラをする。それを他の子供達が囲んで見ているという状況がいつしか『いつもの』光景になっていた。
その勝敗はいつも五分五分。力任せに突き進むソルと消極的で受け身をとるルアでは戦い方こそ異なるが、誰に倣うでもなく身につけたそれぞれの戦闘スタイルは確実に磨かれていった。
「怪我だけはないようにの。儂のこの身体では、うまく手当ができんからな」
そうして皺だらけの目元を柔らかく細める老齢の院長は、そんな彼らのことを実の子供のように世話をしてくれて。辺鄙な場所ゆえに食料も満足に得ることは出来なかったものの、院長や他の職員は確かに子供達の親代わりだった。
「なあルア、大きくなったらなにになりたい?」
「さあ。でも、強くなりたい」
「俺も。お前が勝てなくなるくらいに強くなってやる」
「やってみろ」
汗を浮かべ草の上に寝転がりながら大きな声で笑うソルと、眼前に広がる空を黙って見つめるルア。
気持ちの良い風が火照った身体を冷ます日常がずっと続くと思っていた矢先の夏、その日は突然やってきた。
今でも忘れることの出来ない盗賊の叫び声、子供たちの悲鳴。そして、凶刃に倒れた真っ赤な院長の姿。
いつも通り庭で木の棒を振り回していた2人が駆けつけた時には、もう全てが遅かった。
「こんだけガキがいりゃあ食糧もたんまりあるんだろうな!!探せ!!」
無遠慮に院内へと入っていく大きな男達と、抵抗出来ないまま次々と床に伏していく職員。そうして院内に腹を満たすことの出来るものがないと理解するや否や、盗賊の1人が火を起こした。
「クソっなんもねえのかよ!!もういい燃やしちまえ!!」
放たれた火が院を包む。燃え上がる炎が夏の青によく映える悍ましいほどに鮮烈な光景は、なす術なく立ち尽くすばかりだった2人の脳裏から消えることはきっとないのだろう。
「ソル」
「いこーぜ」
気付けば、自然と手が木の棒を握り締めていて。
あの日、ルアとソルは共に応戦しようと立ち向かった。大の大人が次々と倒れる中いつも行っていた『戦いごっこ』を実戦で演じようと試みたのだ。
しかし相手は複数人の大人であり10代前半の彼らが敵う相手ではない。が、そんなことは分かりきっていた。家族同然の子供達と親代わりの大人が倒れる姿を見て、2人は完全に理性を失ってしまっていたのだ。
何度も投げられ地面に叩きつけられては立ち上がる。打撲痕が増えていく様子を面白がるように嘲笑する男達の姿は今思い出しただけでも腑が煮えくり返るようなもの。
やはり無骨な太刀筋では力が及ばない。次第に重くなる身体を引きずるように立ち上がる中で、そんなことをぼんやりと思い始めた時だった。
──未だ耳元で蘇る、落ち着き払った低い声と警備隊の怒号。次々と盗賊が捕縛されていく中、こちらに背を向けた赤茶髪が瞼の裏に鮮明に蘇る。
背後の炎が勢いを失い黒い煙が立ち込める中、振り返ったその方は笑顔を浮かべてこう言った。
──『ああ、運よく生き延びたのだな』
焼け焦げた臭いが充満するのも意に介さず手際よく指示を出し、三者三様の反応を見せながら連行されていく盗賊の姿を見送ったのは当時20歳にも満たない男性。途端ぷつりと緊張の糸が切れ込み上げた恐怖で腰を抜かせば「よく耐えたな」と、こちらに手を差し伸べられたことを今でも覚えている。
その言葉でソルは反動から大声を上げて泣き、生き残った子供達も失われた居場所を前に放心するばかり。
そんな彼らに光を与えた、たった一言。
「せっかく生き残ったんだ。俺のために命を使ってはくれないか」
当時の皇太子、現在の皇帝陛下が来ていなければ2人はあの場で短い生を終えていたことだろう。
だからこそ恩義に報いるため、たとえ生傷が絶えない茨の道であろうとも喜んで進もう。
そう、決めたのだ。
「っ……」
ふと目を開ければ視界に映るいつもと変わらぬ自室の天井。目の前に広がる黒い煙も耳に残る怒号も消え入ったところを見るに、どうやら古い夢を見ていたらしい。
そんなことを考えつつ窓の外を見やれば、肌に触れていた夕風はいつの間にか夜風に変わっていたようで。
「目え覚めたか。さっき飯だって呼びに来てたぞ」
「……先に行かなかったのか」
「お前が飯食えなきゃ可哀想だろ?」
おそらく少し前に覚醒していたであろうソルがこちらへと視線を寄越す。わざわざ起きるのを待っているところは相変わらずだと胸中に留めつつベッドから降りシャツを羽織れば「ほら行くぞー」と、同じく床に足を下ろした彼から声がかかった。
「今日の飯当番誰だっけなー」
「ピエトロ」
「お、ラッキー。ピールの飯は相変わらずマジで美味いもんな」
そうして2人は団員が集っている食堂へ向かうため、夜空の下へと軽い足取りで歩を進めていったのだった。
***
同時刻、首都内のとある小路にて。
辺りがすっかり宵闇の気配を纏う中ローブを被った男が1人、隠れるように路地裏へと消えて行く。
そうして人目に付かないよう暗い色で塗装されたドアを叩けば、数瞬の後に顔を覗かせたのは洋服を纏った短髪の男だった。その男に招かれるまま室内へと足を踏み入れればギイ、と古びた音を立てて扉が閉まる。
「ここに来るまで、誰にも見られていないだろうな?」
「さあ、どうでしょう」
「っ、真面目に答えろ!」
あまりにも余裕な男の態度が気に障ったように声を荒げローブの胸倉を掴んだ男。しかしそれを意に介さず飄々としていれば、なおも手に力を込め続ける男は忌々しげに顔を歪めた。
「そもそも、俺はまだお前を信用していない。態度に気を付けろ」
「おや、別に貴方に信用されなくとも構いませんよ。所詮利害が一致しているだけですから」
「っ!」
布に皺を寄せ続ける手を特に振り払うこともなく身を預ける男は、数瞬の後思い至ったように言葉を発する。
「信用するしないは構いませんが、ご自分より爵位の低い人間だからと見下してはいませんか?」
「はっ、それがどうした」
「あまり立場ばかりに固執していると、いつか下の人間から刺されることになりますよ。お気をつけを」
「貴様ッ!」
そうして洋服の男が挑発を続けるローブの男へ対して手を振りかぶった、その時。
「やめて下さい」
瞬間柔らかな声が2人の間に割って入った。びくりと肩を揺らした洋服の男が渋々といった感じでローブから手を離せば、これみよがしに掴まれた襟元を整えた男が座ったままの声の主に向き直る。
そんな状況に満足そうにした声の主もまた顔が隠れるほど深くローブを纏っており、僅かに覗いた口元が言葉を紡ぎ出す。
「先の襲撃事件、上手い具合に演じて頂けたようで」
「光栄です。これで陛下も私を疑うことはないでしょう。何せ、襲われていますから」
男が5、6人ほど集まった薄暗い部屋の中に響いた言葉は、確かに『騎士団長の襲撃事件』を示唆していて。
「まあ、実際に襲われたのは貴殿の部下だけですが。陛下には気付かれていませんね?」
「もちろん。誰も私の虚言だなんて思いませんよ」
「それは良かったです」
返事をする代わりにふふ、と笑みを溢した男が不意にはらりとフードを脱ぐ。そこから舞った白い長髪と、なおも鎮座するローブの男を見据えるオレンジ色の瞳。
「我らの目的を達成するためには貴殿が必要不可欠です。期待していますよ、ベギンズ殿」
その言葉を受け口元に弧を描いたままベギンズ、もといカルラは声の主に対して恭しく頭を下げたのだった。