本当は
「初日を除いて、使節団来訪の際お二人は別々に警護に当たっていると記憶しています。今日はどうして?」
「あ、ルアが腕を負傷しまして」
まさかの記憶力に驚きつつ短く説明をすれば「お恥ずかしい限りです」と、横からの低い声が耳に届く。普段なら返事などしないような男を横目で見やるが、特に居心地の悪さを感じているような様子は見られない。
やはりと言うべきか、何故かこの銀髪はファウラー様に対してかなり心を開いているらしい。
「おや、どうかお大事に」
そうして再度視線を戻せば、そこには心配の感情を滲ませながら眉を下げる彼の表情があった。しかし次にその口から飛び出した言葉で、ソルとルアの時間が僅かに止まる。
「剣術大会までに治ると良いのですが……」
「え、剣術大会、ですか?」
まさかの単語を思わず繰り返せば少しばかり面食らったファウラー様。そして次の瞬間には「ああ」と、どこか納得したような声色が届いた。
「ちょうど本日の議題に上がったのですが、今年の大会は使節の滞在中に行われるそうですよ。例年とは違い、すでに叙任された騎士も参加するとか」
そんな言葉に思わずソルは目を見開いた。その緑の瞳が輝いているのは、彼ら皇室騎士団には縁のない『剣術大会』への憧れが見え隠れしているためである。
剣術大会とは、毎年春に闘技場にて行われる総当たり戦の大会のこと。
第一騎士団長であるカルラをはじめ名のある騎士達は皆、剣術大会への出場経験がある者ばかり。そして大会で名を残すことが騎士として出世する一助にもなり得るため、まさに登竜門と言っても過言ではないだろう。
しかし主に出場権を与えられるのは叙任前の騎士の卵たちであり、ましてや成り上がりの孤児である皇室騎士団の面々が出場することなど周りが許してはくれないのだ。
しかし。
「今年は使節団へのパフォーマンスの意味合いも強いでしょうし、出場してみてはいかがです?」
「……え?」
この時期の太陽を思わせる声色でふと意識が引き戻される。今、なんと言った?
そうして提案された内容を数秒遅れで噛み砕いていれば目の前のイエローグリーンの瞳がふと、何かを思い至ったように僅かに見開かれた。
「もしよろしければ、僕から陛下に進言してみましょうか?」
「っ……!?そこまでしていただく訳には」
途端声を上げたのはルアの方。珍しく焦りのような表情を浮かべながら、これまた珍しくファウラー様の言葉を拒否しようとしている。
相手によっては不敬だと咎められてもおかしくない状況ではあるが、目の前の彼は特にそんな動きを見せない。そうして少しばかりの静けさが場を包む中、そのイエローグリーンが得意げに細められた。
「今後、使節の来訪と剣術大会が重なる保証はありません。せっかくの機会ですし、使えるものは使った方がよろしい」
その『使えるもの』とは、おそらくファウラー様自身。
つまり、自身らの夢を叶えるために公爵である彼を利用しろと言うのだ。
「っ、ですが……」
確かに滅多にない機会ではあるし、正直なところ出場はしてみたい。しかし果たして、たかが自身らのためにそんな真似をしても良いのだろうか。
そうして中々進まない考えを見かねたように、時間がゆっくりと流れる空間に柔らかい声が落とされる。
「まだ悩んでいらっしゃる。どこが不安ですか?」
「いえ、ただ……本当によろしいのですか……?」
「もちろんです。それに、貴方達の腕を実際に見てみたいという僕の私情も混ざっていますから」
だからお気になさらず、と続けられたその声色はどこまでも穏やかであり思わず肩から力が抜けた。そんな様子を可笑しく思ったのか、目の前の彼はふわりと微笑んで口を開く。
「明日の会議の際にでも提案してみましょう。良い報告をお持ちしますよ」
「……ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
隣から聞こえた返事に遅れて自身も礼を述べる。そうして冷静に受け答えをしようと努めるものの、気が付けば口の端が上へと吊り上がってしまうのが見ずとも分かった。
それほどまでに胸の辺りを満たすのは跳ねるように明るい感情。まるで食べたことのない料理を目の前にした時のように、どうやら自身は知らず知らずのうちにかなり浮かれていたらしい。
だからこそ。
そんな一連の会話を少し離れた柱の陰で大公が聞いていたことに、誰も気が付くことはなかったのだった。
「やあ、ちょっといいかな?」
ファウラー様の背を見送り、自身らも会議室から僅かばかり足を進めていた時。
不意に肩に感じた重さにビクッと身体が跳ねた。そうして瞬間的に呼吸が飛ぶ中聞こえた、この数日で何度か耳にした緩い声色。
そうして、一瞬。
「っ、大公殿下にご挨拶申し上げます!」
同じく固まっていたルアと同時に我に返り、置かれた手の主へと勢いよく頭を下げる。そうして影が落ちる床をじっと捉えていれば「はは、驚かせてごめんよ」と、以前と変わらぬ笑い声が聞こえてきた。
「固くならないでくれ、聞きたいことがあるだけなんだよ。顔を上げてくれないかい」
その言葉に従うまま上体を起こせば目に入る茶髪と、その前髪からこちらを見据える葉の色をした瞳。
初日に言葉を交わして以来2度目の会話となるが、自身らのような末端の騎士に『聞きたいこと』など、考えてみても分かるはずもなく。
そうして疑問に思いつつ後ろに組んだ腕を無意識にさすっていれば「あ、そうだ」と、まるで今思い出したかのような呟きが静かな空間に落ちた。
「聞きたいことの前に一つだけ。以前、君たちのことを『太陽と月』と表したのを覚えているかな?」
──俺にとっての、太陽と月だよ。
ふと耳元で蘇った陛下の声。それは初日の警護の際、感心したような大公の呟きに対する陛下の返事だった。
「覚えております」
「そうか。どういう意味かわかるかい?」
「え」
瞬間頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していくのが分かった。まさかの問いに対して軽く目眩を覚えたのは、それが考えても答えを出すことが出来ない問いであるから。
しかし大公相手に「分かりません」と即答することなど出来るわけもなく、気が付けば頭は見つかるはずのない答えを探し始めた。
太陽と月という単語で真っ先に思い浮かぶのは、やはり自身らの部隊名である『鷹の太陽』と『鷹の月』。そういえば『鷹』という単語にも意味があったはずだが、その説明を受けた時の記憶は最早薄れてしまっている。
そして問題の部隊名だが、自身の記憶が正しければ確か『太陽』と『月』は陛下が名付けたはず。
だが肝心の意味まではさっぱり分からずに、気が付けば自身の眉間には皺が寄っていたのだろう。
「そんなに険しい顔をさせるつもりはなかったんだけどな。答え合わせしようか?」
「っ、申し訳ありません……」
学のなさを披露してしまったようで途端に居心地が悪くなる。そうして視線が泳いでいればふと、隣で難しい表情を浮かべる銀髪が目に入った。
それはまるで夜の月明かりにも似た、白を反射する銀。
「あ、髪…色?」
次の瞬間には無意識のうちに答えが溢れ落ちていた。それに対しこちらを振り返った隻眼と、ほんの一瞬だけ目を見開いた大公。しかし次に目に入ったその口元はふわりと、まるで楽しいとでも言いたげに端を持ち上げていて。
「惜しいけど、ほぼ正解だね。そうか、髪色か」
またも感心したような呟きが廊下に落ちる。それに対し不思議そうな顔を浮かべていれば、少しばかりの間を置いて大公は答えを教えるために口を開いた。
「私と陛下が言ったのは、君たちの名前のことだよ。ところで」
──君たちの名前は、本名ではないだろう?
「え」
一瞬、自身の呼吸音が耳を支配するような錯覚を覚えた。そうして僅かに揺れる緑の双眸と青の隻眼の前で笑みを浮かべる大公は、まるで世間話でもするかのように落ち着いた表情で。
一体。
「なんで、分かったんですか……?」
次にソルの口から漏れたのは驚きに支配された、そんな弱々しい声色だった。




