雑談②
水を打ったような静寂と自然光だけが室内を包む。唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうな空気感の中、先にそれを破ったのはこの場に似つかわしくないほどに明るい声だった。
「我が国の領土を奪われてはたまったものではありませんから、この場ではっきりさせましょう?」
あくまで笑顔と余裕を崩さないまま、大公は再度ティーカップに手を伸ばす。しかし指先が触れたところで「そうだな」と幾分か軽い声が届いたことにより、その手はゆるりとした所作で膝上へと戻った。
それを横目で確認しつつ、部屋の中をぐるりと見渡し終えたディランが続けて口を開く。
「噂は事実──などという冗談を言える雰囲気ではなさそうだ。無論、我々がアステルの地を略奪することは決して無い」
「ああ、それは幸いです。しかし陛下が即位されてから早4年、権力の拡大に興味をお持ちになる頃では?」
瞬間、大公以外の使節団の顔に焦りが浮かんだ。「もうやめてくれ」とでも懇願するように眉を下げながらの視線が彼へと集まるが、当の本人は気付いていないようにティーカップへと手を伸ばす。
あるいは気付いていながら、あえて余裕を崩さないのか。
しかしいくら従兄弟同士とはいえ、この場においてディランと大公は一国の主人同士に他ならない。このような雑談の場で不仲、ましてや同盟解消ともなってしまえばそれこそたまったものではないのだ。
そうして、足元から這い上がる居心地悪さが身を包んだ次の瞬間。
ふと、ディランの口角がゆるりと上がった。
「元より、権力とは民の生活を豊かにするために行使するものだと余は考えている。しかし他国の民を不幸にしてまで得る豊かさに一体、どれだけの価値があるのだろうな?」
軽やかさに力強さを内包する独特の声色。それが部屋の空気をも掌握する中、自然と背筋が伸びた室内の面々を確認し大公へと視線をしっかり合わせれば、茶髪に縁取られた面持ちがふと緩んだ。
「……実に陛下らしいお言葉ですね。出過ぎた真似をしてしまいました、お赦しを」
「構わない、それほど国が大事なのだろう?どれ、今夜の晩酌でゆっくり聞くとしよう」
「仰せのままに」
次に繰り広げられた、先ほどまで煽っていたとは思えないほどに和やかな会話。途端身体の力が抜けていく感覚を室内の誰もが味わっていれば「ふう」と、どこからか安堵したようなため息が聞こえる。
「大公、そんなに気を張るなら問わなければ良いだろう。どうせ、最初から噂など信じていないのだから」
「えっ」
慌てて漏れた声を手で覆ったのは使節団員の一人。それを一瞥し「流石は慧眼の持ち主ですね」と、感服したように大公は呟いた。
「なぜバレているのか、とでも言いたそうだな。その反応だと、出国前に既にこの話をしていたようだ」
「はは、誤魔化せませんね。もちろん議会での否定もしました。しかし陛下がそのような方ではないとはいえ、噂が生まれてしまったのもまた事実」
──帝国内で何が起こっているかを知る権利は、我々にもあると思うのです。
先ほどまでとは打って変わって、ディランを見据えるのは真剣な表情。纏う空気さえ硬さを増していれば「いいだろう」と、一拍置いて声が落ちる。
「しかし陛下、それは──」
「アレン公爵、心配は無用だ。今から俺がする話は誰に話す価値もない雑談、そうだろう?」
口角を上げ大公へと視線を送る。そうすれば「もちろんです」と示すように、彼は右手を緩く胸元に添えて頭を下げた。
そんな様子に、行政大臣のアレン公爵は渋々といった感じで引き下がる。
そうして上体を前のめりに倒すと、内緒話をするように声を顰めてディランは言葉を紡ぎ出した。
「最近帝国内の雰囲気が不穏でな。どうやら、俺の座を狙う者がいるらしい」
「……!」
瞬間、新緑の瞳が大きく見開かれる。そうして大公をはじめとする使節団が言葉を並べることすら叶わないのに対し、帝国の四公爵は至極落ち着いていて。
しかし、大公達の反応真っ当なもの。
皇帝の椅子、つまりは支配者の立場が揺らぎかけていることを他国の人間に明かすのは、すなわち弱点を曝け出すことに他ならないのだ。そして、それは帝国自体の信頼にも大きく影響する。
特に他国の使節が来訪している今、『客人を危険に晒している』と開示するのも同じことなのだ。
「聞いたのは私ですが……それを、正直にお話ししても宜しかったのですか?」
僅かばかりの驚きが含まれた言葉が室内に落ちる。同じく支配者である大公が、『明かされた内容』の危険性に気が付かないはずがないのだから。
しかし、ディランはまるで軽い雑談を繰り広げるように言葉を続ける。
「公国相手だから言ったのだ。つい最近も、団長をはじめとする帝国第一騎士団が襲撃に遭っている。観光なら昼間に行くと良い」
「騎士団長が……」
そう声を溢したのは使節団員だが、大公は僅かに瞠目したまま黙りこむ。それを見逃さなかったディランが「どうかしたか?」と声を掛ければ、次に返された声色に混ざっていたのは子供のような好奇心。
「……第一騎士団の団長とは、カルラ・ベギンズ殿でしたね?」
変わらず落ち着いていながら、分かりやすく前のめりな感情が見え隠れするその声。不思議に思ったのはどうやらディランだけではないらしく、皆が一様に彼へと視線を送る。
「よく知っているな。公国にも彼の話が広がっているのか」
「ええ。確か、養子でありながら団長まで登り詰めたとか。陛下の実力主義だけでは成し得ないその手腕、個人的に興味があるのですよ」
「そうか。だがアレは外見に反して気難しいからな、大公の気分を害するかもしれん」
言外に「近付くのは勧めない」と諭したつもりだったが「ああ、益々興味が湧いてしまいました」と、どうやら逆効果になってしまったらしいことをディランは悟った。
しかし、この短い応酬でも室内の雰囲気はだいぶ解れていて。
「しかしこのような噂が公国の耳にまで入ってしまうとは、よほど力のある者が話を作り上げているようですね」
「ああ。考えたくはないが、こちらの高位貴族が一枚噛んでいるに違いないだろうさ」
まるで軽い近況報告のような声で言葉を交わすのは司法大臣であるイーサン・ファウラー公爵と、防衛大臣であるウィリアム・エドワーズ公爵。しかしそれ以上を広げることなく、気付けば皆の会話は両国間での流行など明るいものに軌道修正されていた。
こうして各々の思惑を胸に、太陽が西の空に傾くまで雑談は続けられたのだった。
***
それから2日後の夜、皇室騎士団の訓練場にて。
「やっぱ俺動くの好きだわ。気持ちがいい」
「同感だ」
木剣がぶつかり合う軽い音が宵闇の中に響き渡る。その合間に交わされるのは、いつもと変わらぬ穏やかな声。
だんだんと正円に近付きつつある月の下、ソルとルアは普段と違う風を感じながら訓練に勤しんでいた。
「今回の使節は3週間いるんだっけか。まだ1週間、なげーな」
「大公殿下が来ているんだ、話すことが山のようにあるんだろ」
そんな会話を交わしつつも、腕は忙しなく降ってくるお互いの木剣を防ぎ続ける。身体を温める準備運動であるそれを慣れた動作で行い、だんだんと身体の解れる感覚が伝わったところで両者同時に剣を下ろした。
ところで、 今日の警護に当たったのはソルの方。
「お前は日中も動いてるし、少しは手加減してやるよ」
「……いらん」
そんないつもの返答に対し「はいはい」とお決まりの返事を返す。そうして軽く屈んでみたり飛び跳ねたりの動作を繰り返したところでふと、ルアが重そうに利き腕である右腕を回すのが目に入った。
その表情に変化は見られないものの、どうやら動きは若干鈍いようで。
「昼間そんなに動いたのか?」
そう問えば「……そこまでじゃない」と、どこか歯切れの悪い返事が届く。いつもと違うその様子に更に言葉を重ねようとした、その時。
「あ、いたいた。団長に副団長、俺らも混ぜてくれよー」
夜風に混ざって、そんな明るい声が聞こえてきた。




