雑談
「はーー、やっっと終わった」
「……うるさい」
歓迎の宴終了から約2時間後。シーツ越しの硬い感触を背に両手両足を大きく投げ息を吐き出したソルに対し、ベッドに腰掛け身体を拭き終わったルアのぶっきらぼうな声が宵闇に消えていく。
「だって朝はえーんだもん。毎年のことだけど」
すっかり夜の色に染まった空間の中、どさりと寝転がった銀髪が重そうに背を向ける姿が視界の端に映った。それもそのはず皇室騎士団は公国を迎え入れる前、それこそ日が昇った直後から今の今まで動いていたのだ。
その遅れてやってきた鈍い疲れが、どんどんと手足の感覚を奪っていく。
そうして怠さに身を任せ天井をただぼんやりと見つめていれば「なあ」と、気付けば青の隻眼がこちらを向いていた。
「……俺が外に出た後、会場で何かあったのか」
「んー?何か……あ」
言いかけふと頭によぎったのは、煌びやかな空間内で異質に映ったベギンズ義兄弟の口論。周囲の反応を交えつつその状況を簡単に説明すればそうか、と納得した声色が続く。
「暗くて見えにくかったが、カルラ様が廊下で宥めていた男は義兄だったのか」
「あの後も絡んでたのかよ。ってか、盗み聞きなんてしてまた殴られなかったか?」
「柱の陰になっていたから、気付かれてはいないだろうな」
それにしても義弟、つまり家族とはいえ『帝国第一騎士団長』の静かな威圧感を前にして酔い続けることが可能なのかと、どこか首の後ろが強張る感覚に襲われた。それでもダンスタイム中に戻ってきたベギンズ様に衣服の乱れはなかったため、どうやら実力行使の類に出た訳ではないらしい。
ところで。
──俺は知ってんだ、お前が、侯爵家を。
ふと脳裏に蘇る、会場から連れ出される直前の義兄の発言。
彼の言っていた侯爵家とはおそらく実家のことであり、特に義兄とベギンズ様の仲が悪いことは把握している。なら、侯爵家『を』とは?
「…ベギンズ様が、侯爵家に何かをしてる?」
無意識に口から溢れた問い。数秒遅れではたと我に返ると同時に「……なんだって?」と、鋭さを増した視線が横目でもわかるほどに突き刺さる。
「いや、ちょっとな。どうせ考えても分かんねーことなんだけどさ」
窓から差し込む月明かりが同じ銀の髪の毛に反射するのをぼんやりと見つつ、特にそれ以上深掘りする元気もない。それはいつもより疲れが溜まっているルアも同じだったようで「そういえば」と、話題を変える声が耳に届いた。
「明日の警護はお前とピエトロだったな」
「おー、そういやな。俺がお前の部下にフラれちまったから」
「なんだ、付き合っていたのか。俺に内緒で?」
そんな冗談めかした返答に対し「嫉妬すんなよな」と笑いが溢れる。しかし彼の方から乗ってきた茶番だというのにあからさまに呆れられたようで、再びこちらに背を向けた銀髪に今度は苦笑いが漏れた。
ところで公爵会議の時同様、会議室の扉を警護するのは主に団長と副団長の役目。しかし会議の時と違うのはソルとルアはそれぞれ互いの部下とペアを組むことであり、ソルが本来組む相手は『鷹の月隊員』となるのだ。
それでも毎回どちらかが警護に時間を割くこの時期は、何かと訓練の時間が取られてしまいがち。
そのため。
「明日から夜の訓練行くだろ?」
「ああ」
だんだんと暖かくなりつつあるこの時期の夜、他の団員が疲れて眠っている間に自身らは訓練場に向かうのが毎年の習慣。たとえ警護に当たっていない片方が日中の訓練で汗を流していようと、もう片方に合わせて夜の訓練も行うのがまるで癖のようになっているのだ。
だが警護後に仮眠を取るとはいえ夜も身体を休める必要がある以上、どうしても訓練の時間は短くなってしまうわけで。
「俺らばっかり時間持ってかれて、あいつら俺らより強くなっちまうだろ」
「……4年も同じことを続けて、俺らが勝つ回数が負けを超えたか?」
「いや、ねーな」
そういうことだ、と天井を仰いだ男の声が届く。どこまでも自信に満ちたその声色に思わず笑いを漏らせば「……負かす」と今度は分かりやすく不機嫌な言葉が自身の背中に投げかけられた。
「じゃあ明日は手合わせからだな。お前は日中も訓練で身体を動かすだろーし、手加減してやるよ」
「そんな口利けなくしてやる」
「おー怖。ほら、いい子は寝る時間だぞ」
そうしてなおも交わされる軽口の応酬。月明かりに融けるそれがだんだんと規則正しい呼吸音に変わりゆく中、いつもと違う時期を告げる夜は静かに更けていったのだった。
***
「まだ滞在してから3日だが、帝国の空気はどうかな?」
「どこもかしこも、特に酒場は活気に満ち溢れていますね」
「おや、まるで既に城下に降りたかのような口ぶりだ」
ゆるりと椅子に背を預けたディランの言葉にピクリと、使節団の人間の方が跳ねる。しかし大公は飄々と「口が滑りました」と言ってのけるだけであり、ディランも笑みを浮かべたままそれ以上を追及する様子はない。
この日の会議はディランと側近であるルーク、四公爵、そして大公と使節団員の幹部という少数での話し合い。前日までの堅苦しいものとは違い軽い談義の意味合いが強く、柔らかな陽光に包まれながら紅茶を片手に言葉を交わす様はまるで茶会のようである。
そのため肩の力を抜いた笑顔を見せる場面も多く、おおむね良好な雰囲気のままに雑談が続いていた。
──ふと、大公の明るい声が空気に融け消えるまでは。
「最近、我が公国の貴族間で面白い噂が流れているのですよ」
「……噂、ですか?」
途端しんと静まり返ったのは公国側の人間。どこか空気に混ざった違和感を肌で感じつつ、黙々と傾けていたティーカップをソーサーに置き口を開いたのは外交大臣であるアデル・オリヴィラ公爵だった。
そうして横方向へと目線を逸らす団員達に構うことなく、対面に座る帝国の面々をしっかりと見据えた大公は笑みを浮かべたままこう口にした。
「帝国が我々との同盟を反故にして、領土を奪う気ではないのかと囁かれているのです」
瞬間室内の時間が流れを止める。まるで千切れんばかりに引いた弦のような緊張感が途端に部屋を満たす中、大公だけは変わらぬ様子で紅茶を一口喉に流しこんだ。
来訪初日の夜、ディランの居室で語った訪問理由は『帝国側と話し合いがしたいから』。
しかしこの場における大公の余裕は、まるで自ら足を運んだその内容が『戦争の可能性について』であると、言外に示すが如く。
そして同盟国とはいえ、帝国は公国よりも力関係上は上の立場にある。にも関わらず真正面から嫌疑をかけたこの行動こそ、一歩間違えば開戦の火種となってしまう可能性さえ孕んでいるのだ。
しかし。
「『面白い』、な。全く食えない男だよ」
不意に張り詰めた空気を破った、いつもと変わらぬ余裕に満ちたディランの声。まるで何も気にしてはいないとでも言いたげなそれに対し「虚言ではないのですか?」と、煽る様な大公の声が続く。
「余の知る限りでは、そのようなことは事実無根だな。一体どこからそんな噂が生まれたのやら」
「東洋には『火のない処に煙は立たぬ』という諺があるようですが、全くの虚言だと?」
「当然だ。それともまさか、公国はタハトと同じことをしようと言うのか?」
それよりも使節団の胃が心配だ、とわざとらしく溢したディランは大公の横を顎で指し示す。そうしてつられるように大公や帝国の人間が視線を移せば、そこにあったのは青を通り越して白くなった使節団の顔色。心なしか短時間でげっそりと痩せこけたようにも見えるその面々に対し、ディランは眉尻を下げた呆れを向けた。
──そして話に上がったタハトとは、すなわちタハト王国のことを指す。
現在は帝国の領地と化したその国は『7年前の戦争』において戦った相手国であり、それこそ『帝国がタハト王国の領土を奪う気である』との話と事実を捏造され、王国側に大義名分を与えてしまう形で開戦したのだ。
「……懐かしいな」
苦しげに一瞬だけ、ディランの表情が歪む。しかしそれに気が付かないまま大公は紅茶を一口喉に流し込み、静かに置かれたティーカップの音がやけに大きく響いた。




