白髪の男
「なあ、ベギンズ様の話どう思うよ」
「……あれだけでは、何を話したかったのか分からん」
腹を満たして帰ってきた相部屋の中、夜風に当たりながら2人は各々のベッドに寝転ぶ。その紺碧の空間に落ちる話題は、先ほどカルラが言いかけた『陛下と大公殿下の関係』について。
それを思い出しながら天井を見据えている銀髪に視線を向ければ、数瞬の後自身の視線に気が付いたように青の隻眼がこちらへと向けられた。そこには「なんだ」とでも言いたげに怪訝な感情が滲んでいたが、それが言葉になる前に「なんでもねーよ」と口にすればルアは呆れたように瞼を伏せ、こちらに背を向けて寝返りを打った。
「……カルラ様が何を言いたいかは分からんが、嫌なくらいに愉快そうだったな」
「ホントにな。やっぱ『あの噂』知ってんじゃねーの?」
頭によぎる、そんな疑惑。
しかしもし仮に『2人の関係=男色』を暗に示しているとしたなら、ベギンズ様はそれをかなり嘲笑していたことになる。だが陛下の忠臣である彼が、そのような話題をわざわざ広めるような真似をするとは思えない。
考えれば考えるほどに分からなくなっていく疑問。思わず「あ〜!」と、ソルはくしゃりと髪を乱しながら苛立ちを外に出した。
「ってか大体、男が好きでなにがわりーんだ」
「さあな。だが『男色』が『暗君』まで飛躍するなら、もう指向の話が主題じゃないだろ」
「あ、たしかに」
そう口にしたルアが、再度天井を見上げるように寝返りを打った様子が視界の端に映る。
噂が事実か否かはこの際置いておくとして、ここで重要になってくるのは『事実』より周りの持つ『印象』。他者の評判を落とすための作り話であろうと、それを信じるか信じないかは受け取り手次第。
孤児だった頃から、そんな場面には嫌というほど遭ってきた。
「まいったな……」
というか今日陛下は城下に降りたわけだが、噂は耳に入っていないだろうか。
そんな心配がよぎったものの、流石に道のど真ん中でそのような話はしないだろうと思い至る。そしていくらお忍びでも、危険地帯である路地裏になど足は運ばないはず。
しかし何故、公国の来訪を控えたこのタイミングなのだろう。そして何故、このタイミングで『陛下と大公殿下の関係』についての話題が出てきたのだろうか。
そもそも。
「なんで今年に限って大公が来るんだ?」
「知るか。『反乱軍』の話題が耳に入るわけもないだろうし、偶然だろ」
言い切り瞼を伏せたルアを一瞥し、ソルは再度天井に視線を戻す。
その暗い空間に映るのは、朧げに記憶に残る大公の姿。
4年前の即位式の際、一度だけその姿を見たことがある。
遠目でしか見えてはいなかったが落ち着いた茶髪を耳が隠れる程度に伸ばし、木の葉のように深い緑色の瞳を持っていたことだけは覚えている。しかし彼のことは『大公殿下』と呼称するのが通常のため、名前は印象に残りにくい。
「名前は確か……なんてったかな、ジュ、ジェ?」
「ジュゼッペ」
「あー、それだ。お前ほんと人の名前覚えるの得意だな」
そう素直に褒めてみたが、相変わらずその隻眼は伏せられたまま。そんないつもの様子の男に肩を竦めつつだんだんと覚え始めた眠気に目を瞑れば、浮かんだ大公の姿も朧に消えていった。
「使わねー頭使って疲れた」
「……早く寝ろ」
「寝るわ」
あくびをしながら軽口を叩き合ういつもの時間。それに無自覚の安堵を抱きつつ、公国来訪の日は刻々と迫ってきたのだった。
***
公国の来訪を3日後に控えたとある日、鈍色の雲が空を支配する昼下がり。
これから降るであろう雨を懸念して人通りがまばらになりつつある通りの、とある路地裏にて。
「やはりイヴァ様がいらっしゃらないと心細いですね。皆様、まだ私のことを信用しておられない」
心細さ、などという感情を微塵も感じさせない笑みを浮かべたままのカルラに対し、その場にいた皆から一斉に怪訝な視線が向けられる。何対もの瞳が彼を取り囲む中まるで「分かりましたよ」とでも言うように、彼はわざとらしく肩を竦めた。
「当たり前だろう。皇帝の忠臣であるお前を、奴の間者でないと疑わない方が難しい」
そう口にしたのは、以前皇宮に間者を送り込んだフェルダ侯爵。イヴァに対しては従順だがそれ以外、とりわけカルラに対しては疑心が強い男だった。そしてカルラに対するそれは、大半の構成員も同じこと。
「ほら。そもそも、もし私が間者なら、早々にこの場所を陛下に教えているとは思いませんか?」
「それはそうだが……チッ、大体、お前が皇帝の首を狙う理由などないだろ。何が目的だ」
「そう焦らずとも、追々お教えしますよ」
何を言っても躱すカルラに対しぎりりと歯軋りをしながら、不愉快さを全面に押し出した瞳で侯爵は彼を睨む。そんな『いつもの』光景に対し、他の構成員は特に止めることなく成り行きを横目で見やるばかり。
「ところで、最近巷で妙な噂が流れているようですね?」
侯爵とカルラが黙って睨み合いを続ける中、何名もの構成員が対面で腰掛けるソファーから聞こえた言葉で全員がそちらを向いた。そこにいた伯爵はニヤリと、何かを思い出しながら言葉を続ける。
「誰が流したのかは知りませんが、どこに行っても男色の噂で持ちきりですよ」
「ああ、あれか。まあ、あれのおかげで暗い憶測も飛び交っているようだな」
「国の将来を考えていないだの、社交界ではかなり好き勝手に言っているようで」
そうして嘲笑が渦を巻いた、刹那。
「その噂、流したのは私ですよ」
ふと、一瞬にして場の時間が止まる。そう錯覚するほど、呼吸音さえ聞こえなくなった部屋の中。
次に我に返った皆の視線が向かった先で、男はオレンジ色を宿す目元を右手で緩く擦る。
「っ、え、ベギンズ卿が……?」
「ええ。首都の酒場であれば、どこでも貴族は出入りするものでしょう?おかげで思ったより早く広まりましたよ」
変わらぬ笑みを浮かべつつカルラは昏く、穏やかに目を細める。そこに滲むのは愉悦か、あるいは。
「私は、陛下の周りから崩して行こうと思っているのです」
「周り、というと、皇室騎士団ですか?」
「その通り」
そうして緩く口元を多い、今にも溢れ出そうな笑い声を覆い隠す。そこから見え隠れするのは、彼らしからぬ狂気。そんなカルラの、今までに落とした言動の数々。
ソルとルアに対し、傭兵の話を持ち出して皇宮の理不尽さを刷り込ませたり。
流布した噂を連想させるような話題をあえて言い切らず残し、強く印象に残したり。
全てはディランの守り岩を一枚一枚、ゆっくりと剥いでいくため。
「小さい火種、取るに足りない噂話でさえ、与え続ければ不信感へと変わる。何も強固な時に叩く必要はないのです」
そう言い切り、カルラは椅子に深く背を預ける。そのどこまでも余裕を持った姿にぞわりと、得体の知れないものが皆の足元から這い上がった。
イヴァにも似たその昏さは、敵に回すのは好ましくないと。
「これでもまだ、信用して頂けないのでしょうね」
その呟きで、部屋の温度が僅かばかり下がる。そうして嫌なほどの静謐が落ちる中、空気を変えるように落ちた「そうだ」というカルラの声で皆が一斉に呼吸を再開した。
「噂話で思い出したのですが、皆様は『別館の幽霊』という御伽話をご存知で?」
「ああ、皇宮に棲みついていたとかいう」
「え、俺は初めて聞きました」
室内の面々が三者三様の表情を浮かべる話題。それは以前の公爵会議で雑談のネタになった、20年ほど前に目撃されていたという白髪の子供の幽霊の話。
しかし「所詮は御伽話ですが」と、持ち出した話題を切り捨てたカルラに対し訝しげな視線が集まる中、彼はその空気をものともせず言葉を続ける。
「ところで、イヴァ様は先日何かを言いかけていましたね。確か、面白い話を聞いたと」
「それがどうした」
「その前に、『隠された皇子』の話題も口にされていた」
まるで脈絡のない2つの話題。「だから……!」といよいよ苛立ちが頂点に達しそうなフェルダ侯爵が立ち上がった、その瞬間。
「私は、その面白い話が『別館の幽霊』についてではないかと思っているのです。そしておそらく」
──イヴァ様は、その幽霊こそが『隠された皇子』であるとお考えになったのでは?
「……は?」
ソファーに腰掛けた者はいつの間にか浅く、前のめりになってカルラへ視線を固定する。
気付けば、その場にいる皆が彼の話に釘付けになっていた。




