噂話のヒント?
「っ、ベギンズ様……!?」
自身の肩に手を置いていたのは、腰まで伸びた白い長髪とオレンジ色の瞳が特徴的な男。
その状況をようやく飲み込んだ瞬間驚声を上げながら足が後ろへと2歩下がる。しかし特に咎める様子のないベギンズ様に慌てて頭を下げれば「上げてください」と、陛下のようにどこか呆れを含んだ声が降ってきた。
どうやらルアは目の前の曲がり角から彼の姿が現れたために足を止めたらしいが、自身に声をかけるよりも早くベギンズ様の手が肩に乗ったらしい。
そして別館で折檻されたあの一件以来、こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてのこと。
先ほど『カルラ卿に会っても驚くな』と言われたばかりだがこれは流石に無理だろうと、ソルは心の中で言い訳を吐いた。
「こんな時間に、皇城へ何か用事でも?」
そんなことを考えていればふと、目の前のベギンズ様が不思議そうな表情を浮かべているのが目に入る。それに対し「……左様です」と答えたのは、隣で無表情を貫く銀髪。
いつも通りといえばそうであるし、少しばかり歯切れが悪いといえばそうでもある。おそらく自身と同じように、別館での出来事が思い出されたのだろう。
ベギンズ様は自身と背の丈が変わらないというのに、身体の芯がしっかりしすぎているためか殴打も蹴りもかなりの威力を伴う。鍛えていない者が喰らえばタダでは済まないそれを喰らったのだから、身構えてしまうのも仕方のないこと。
だからまた何か、失態を犯すわけにはいかない。身体が強張るような空気感に耐えられず早々に立ち去ろうと、ソルは咄嗟に「では、私たちはこれで」と口にして頭を下げようとした。
しかし。
「おや、この後何か用事でも?」
「っえ?いえ、ありませんが……」
「なら、もう少し僕の雑談に付き合ってください」
「え」
あろうことか引き止められてしまった。おそらく自身らのことをあまり快く思っていない彼に、である。
そんな予想外に対して頭の中が一瞬停止したのはルアも同じだったようで、怪訝と驚きが入り混じった表情でオレンジ色の瞳を黙って凝視する姿が視界の端に映った。
そして返す言葉が何も思い浮かばないままにベギンズ様をじっと見ていれば「はあ」と、呆れたように眉を上げた彼が口を開く。
「そんなに睨まずともいいではありませんか。僕は君たちを排除したい訳ではないと言ったはずです」
「あ……、すみません」
「騎士団に所属しているのですから、警戒を解いてくれると嬉しいのですが」
いつも、ベギンズ様は柔らかい物言いをする。それが有無を言わさぬ圧を持っていることだっていつものこと。
しかし何故だろう。足元から這い上がってくるような緊張感が、彼の言動全てに乗っているように感じられるのは。そして笑みを浮かべる口元とは裏腹に目が笑っていないのは、果たして勘違いだろうか。
まあ、いつものことか。
そう一人で納得していれば「ところで」と、不意にかけられた声で意識が引き戻された。
「あれから、別館には行っていませんね?」
「!っ、はい」
反射的に返事を返したものの、緑の双眸は驚きに満ちたままにカルラを凝視し続ける。
まさか、彼の方からその話題を持ち出してくるとは。
「ご存知かと思いますが、そろそろ公国の使者があの建物に滞在します。そういえば、君たちは大公殿下を見たことがありますか?」
「……はい。陛下の即位式の際に、一度だけ」
そうして、ルアが返事をした途端。
夜の色に染まった空間の中ベギンズ様がどこか得意げに、悪く言うなら嘲るように眉を上げた表情が視界に映った。一瞬にして視線が吸い寄せられたそれに理解が追いつく前に、緩く彼は口を開く。
「ああ、なら陛下と大公殿下の関係もご存じないのでしょうね」
「え、関係、ですか……?」
困惑のままにそう返せば、ベギンズ様は右手で目元を擦りながら「はは」と乾いた笑いを落とした。誰がどう見ても嘲笑していることは明らかだが、一体、何に対して?
陛下と大公殿下の関係を知らない、自身らに対して?
それとも、その関係そのものについて?
「その様子では、本当に何も知らないのですね。教えて差し上げましょうか?」
なおも愉快そうに、込み上げる笑いを噛み殺すようにベギンズ様は言葉を並べていく。全く思惑の読めないその言葉と表情だったがここでふと、ソルの脳裏によぎったのはあの噂。
まさかとは思うが彼は、『陛下が男色なのではないか』という例の噂を知っている?
もし、その話を暗に示唆しているのだとしたら。
そんなベギンズ様に対し先に痺れを切らしたのは、隣で黙って話を聞いていた銀髪の方だった。
「……その話、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか」
僅かばかり顎を上げながら、滲んだ不快感を隠そうともしない男。しかし「ええ、構いませんよ」となおも状況を楽しんでいるようなベギンズ様から、それを咎める素振りは全く見えない。
そうして、目の前の白髪が再度口を開きかけた時。
「ベギンズ殿」
ふと、壁の中から声が届く。正確に言えば、それは右手にある曲がり角の向こうから届いたもの。
はらりと長髪を靡かせながら視線をそちらへと向けたベギンズ様だったが、次にその口から聞こえたのは「ああ、アレン卿」と、まるで全く驚いていない声色だった。
そうして革靴が音を立てること数秒、そこから出てきたのはやはりアレン様。黒髪が夜の色に溶ける中、琥珀色の瞳はどことなくベギンズ様を睨んでいるようにも見える。そしてその双眸が一瞬、モノクル越しにこちらへと向けられた。
「警備の責任者と聞いていましたが、こんなところで道草を食う暇がおありのようで」
「他の責任者より、僕は動いている方だと思いますよ。夜間警備終了後も、昼直前まで皇城にいるではありませんか」
いつかの執務室内での再現といった感じで、まるで猫のように冷静な睨み合いが続く。どちらも纏う雰囲気は落ち着いているとはいえ、このまま煽り合うところを他の人間にでも見られれば不都合ではなかろうか。
そんな膠着状態の中息を殺して2人を見やっていれば、次の瞬間ふっと、ベギンズ様の纏う空気から先に力が抜けた。
「では、僕はこれで。またお話ししましょう」
腰まで届く白髪を靡かせ、彼は自身らの横を通って背後の廊下へと消えていく。その背中を黙って睨んでいたアレン様だったがふと、彼もまた張り詰めていた空気を和らげさせこちらを向いた。
そこから、先ほどまでの鋭さは感じられない。
「何を話していたかは聞きませんが、彼をあまり信用しすぎるのも如何なものかと」
「……はい」
やはり、アレン様は他者に関して中々手厳しい。
そして返事をしたルアを横目で見つつ、頭にはベギンズ様に対する疑問が浮かぶ。それは、陛下が関わっている話だというのに嘲笑さえ見せた、彼らしからぬ言動について。
彼が自身らの前に現れたところまではおそらく偶然。しかし彼は『陛下と大公殿下の関係』の話をするためだけに、あの時わざわざ自身らを引き止めた。
それほどまでに話しておきたかった関係性とは、一体どういうものなのだろうか。
まさか、本当にあの噂を知って……?
「貴方達も今日は戻りなさい。このまま皇城に居続けると、また彼と鉢合わせしますよ」
「っ、承知しました」
はたと我に返り反射的に返事をしたものの、緑の双眸はどこか納得出来ないとでも言いたげにルークへと向けられ続ける。その訝しげな視線に気が付いたように「なんです?」と、夜風のように冷たい声が届いた。
「すみません。ただ、ベギンズ様を警戒されているのだなあ、と」
「……私は基本誰に対しても、と言いたいところですが、何故でしょうね」
どうやら、本人にも警戒している理由は分かっていないらしい。しかし明らかに他の人間との接し方に差があるところを見るに、おそらく根本的に性格が合っていないのだろう。
「では、私たちはこれで失礼します」
「ええ、ご苦労でした」
そして彼に揃って頭を下げ、自身らは宿舎を目指して再度足を進め始める。やはりすっかりと夜に支配された空を眺めつつ、頭に居座り続けるのはベギンズ様が口にした関係性についての話だった。




