問題提起
ぼんやりと部屋を照らすランプの光に映し出されながら、隣にいる銀髪は淡々と陛下の問いに対して言葉を並べていく。
「手紙の内容は、陛下に魔法のガラスを贈るというもの。差出人はアーサー様。これでお間違いないでしょうか」
静かな部屋、暖色と寒色が曖昧に混ざった空間でルアがそう尋ねた後、それを黙って聞いていたディランは満足気に眉を上げると一言「よくやった」と言葉を落とした。
その軽く明るい声色を受けふっと、ソルの肩から無意識に籠っていた力が抜けていく。
「まさかこんなに早いとは、文字の読める者がいたようだな」
感心したように呟かれた言葉に「はい」と揃って返事をする。それに対し目を細めた陛下はおもむろに執務机の抽斗を開け、次にそこから昼間に見た黒い箱を取り出した。
コトっと小さな音を立ててそれを机の上に置いたかと思えば、彼は変わらず愉快そうに口を開く。
「約束通りこれをやろう。団員の中で使う者がいれば、お前たちのどちらかが俺に声をかけるように」
「「御意」」
そうして軽く頭を下げ、再び目の前の陛下へと視線を戻した時。
ふと、陛下がどこか困ったような面持ちで自身の隣を見据えているのが目に入った。それを追うようにして首ごと視線を移せば、珍しく不思議な感情を滲ませた銀髪がそこにいる。
「悪いが、ルアはこれを使っては駄目だ」
「っ、え」
瞬間これまた珍しく漏れたルアの声を耳が拾った。この男がそれほどまでに感情を表に出すことも珍しいがそれ以上に、陛下の言葉の意味が気になって仕方がない。
自身が良くてルアがダメな理由が、何かあるだろうか。
「これは、下手をすれば失明の虞だってある。残った左目まで潰すわけにはいかないだろう」
「……はい」
しかし次の瞬間ふっと、彼の言葉が浮かんだ疑問をかき消していく。
そして素直に返事を返したルアだったが、それが全く納得のいっていない声色だということくらい付き合いの自身には分かる。どうやら、この課題を出された時に陛下が口した『お前たち』はルアを除いた皇室騎士団のことを指していたらしい。
まあ、確かに。
これを売っていた露店商も『目の中で割れる危険がある』と言っていた。だから、あまり激しい運動には向かないとも。
……いや、待て。
「え、陛下も危なかったんじゃ……?」
今更ながらに思い至った驚きが無意識に口から漏れる。視察は激しい運動をする場面こそ少ないだろうが、そもそも失明の危険が伴うものを、陛下が易々と身に着けてしまってもよかったのだろうか。
そうしてまるで信じられないとばかりに見開かれた緑の瞳を受け、エメラルドグリーンの瞳はやれやれとでも言いたげに僅かばかり細められる。
「ルイにも止められたよ。だが俺の知る限り、剣を振り回してもこれは割れない」
全く心配性な男だ、とおそらくアレン様のことを指して呟かれた言葉が耳に届く。それほど身体を使っても割れないのであれば、ある意味では安全と言えるのだろうか。
「……?」
しかしふと、何かが胸の辺りにつっかえた。それは違和感を抱いた時に感じる、モヤのような何か。
あと少しでその正体に辿り着けそうな、ますます遠ざかってしまったような。そんな不快さが、顔に出てしまっていたのだろう。
「ところで」
瞬間はたと我に返る。声のした前方をそのまま見据えていれば、そこにはこちらをどこか鋭く見据えるエメラルドグリーンの双眸があった。
自身の思考をあえて遮るようなタイミングだったのは、おそらく偶然だろう。
「手紙で気になったことがあれば、なんでも聞いてくれ」
軽い声色で言葉を紡いだ陛下だが、どことなく前のめりな感情が滲み出ているのは気のせいではない。そこに重なる、いたずらっ子のような昼間の陛下の姿。
そうして次に口を開いたのは、すっかり元の調子に戻った隣の銀髪だった。
「では、失礼を承知で申し上げます。何故、あの手紙を私たちにお見せになったのですか」
そう尋ねた瞬間。
まるで困ったように、それでいて観念したように眉尻を下げた笑顔がランプの光に照らし出された。しかしそんな表情を浮かべていても、彼の余裕は崩れることがない。
この質問を、待っていたのだろうか。
「頭を働かせるのも悪くないと思って。と言えば、ルアは納得するか?」
「……陛下が、そう仰るのなら」
「はは、分かりやすい男だ」
そう笑いながら、陛下は椅子に深く背を預ける。やはり全く納得していない事実を隠しきれていないことさえ、思った通りの反応なのだろう。それをますます不思議に思っていれば一拍置いた後、陛下は再度おもむろに口を開いた。
「お前たちに、アーサーの名前と筆跡を覚えてほしくてね。そして誰の手紙であれ、それを見るたびに筆跡を記憶する癖をつけてほしい」
──いつか、役に立つかもしれないよ。
ゆらゆらと揺れる灯りに照らされながら、陛下は柔らかく微笑む。全てを見通したその表情の意味も仲の良い人物を覚えさせる考えも分からないが、どうせ自身には理解が及ばない。
そうして考えることを諦めたソルが僅かばかり力を抜いた時ふと、「さて、話題を変えようか」と明るい声が湿った場の空気を変えた。
「明日にでも公表するつもりだが、あと半月もすれば例年通りアステル公国の使節が来訪する。しかも今回は、大公自ら出向いてくるそうだ」
「えっ、大公殿下が?」
「ああ。ついでに再来月の建国祭にも顔を出してから帰るのか、滞在期間も長くなるらしい」
そうして頬杖を付き呆れたように瞼を伏せたディランだが、どことなく公国の使節来訪を楽しみにしている様子がソルとルアにも伝わった。例年と違うその様子はおそらく、大公殿下に会えることによるものだろう。
公国の使節団はいつも大公殿下の代理の者が訪れていたために、長くて1週間もすれば帰国していた記憶がある。そして建国祭には君主自ら出向いてくる国もある中、公国は再度代理が来訪するだけ。
そのため、大公殿下はあまりこういう場が好きでないと思っていたのに。
「ああ、そうだ。去年と同じく使節が帰るまでの間は、夜間警備の責任者をカルラ卿が担当するからな。皇城で彼を見ても驚くなよ」
「分かりました」
「よし。じゃあ、もう戻っていい。今日も一日ご苦労」
頼もしい声色でそう紡いだ彼に一礼をしたのち、すっかり暗くなった廊下を見渡しながら重厚な扉を閉める。そうして皇城の出口まで足を進めていた時ふと、先ほどの『ガラスについての会話』が脳裏で蘇った。
「お前、ガラスの話納得してねーだろ」
「……さあな」
「別に納得しなくてもいーけどさ、残った目は大事にしてくれ。頼む」
思ったより真剣な声色になったが、これは紛れもない本心。
しかし改まって口にすると流石に照れ臭くなってしまい、無意識のうちに青の隻眼から逃れようと右側の壁へ視線が吸い寄せられた。
この男は真面目そうに見えて意外と人の話を聞かないところがあり、加えて止められてもそれを聞くような男ではないことくらい自身には分かっている。やはり今も昔も冷静と評される彼で合っても、野生児の本質までも変えることは出来ないのだろう。
そうして見ずとも分かる眉根を寄せた表情から逃れつつ、思わずため息を一つ吐いたのだった。
そのまま薄い夜の色に染まる壁を見つめ、黙って前へと足を進めていた時。
ふと、左隣から聞こえていた足音が途切れた。それを頭が認識するよりも早くトンっと、左肩に軽い衝撃を感じる。
「……?」
反射的に肩へと視線を落とせば、そこには黒手袋を嵌めた手が一つ。次に目に入った白い制服を纏う腕からなぞるように上へと視線を上げていけば次の瞬間ぱちっと、自身と同じ高さにあるオレンジ色の瞳と目が合った。
「皇城内とはいえ余所見とは余裕ですね。僕が刺客なら、今頃君は死んでいますよ」
そんな皮肉を口にしたのは、つい先ほど話題に登った男だった。




