課題
コンコンと鈍いノック音が響いた後「入れ」と、室内から短い声がかかる。それに挨拶を返し扉を開ければ、次に目に入ったのは陽光に照らされながら身支度をする陛下とアレン様の姿だった。しかし陛下は自身らの私服のような軽い服を纏っており、どうやらお忍びで視察に行くらしい。
それ自体は珍しいことでもないのだが、ソルは目の前の光景にどことなく違和感を覚えた。数瞬の後に悟ったその正体はルークの纏った貴族らしい服装と、ディランが手にしたとある物。
「ウィッグ、ですか?」
「ああ。今日の俺はルイの付き人だからな」
その言葉を受けなるほど、とソルは内心で納得の言葉を漏らした。どうやら今日ばかりは主人と従者という立場を入れ替えての視察となるらしく、アレン様が陛下よりも高貴な身なりなのはそのためなのだろう。
そこまで気合を入れるとなれば、ただの視察ではないのではないか。
そんな予想をしつつ陛下を見やっていればふと、陛下が初めてこちらと視線を合わせた。しかし次の瞬間ぴたりと、自身の視線は彼に固定されたまま動きを止める。
「っ、陛下、それって」
思わず漏れた自身の声で我に返った。その原因は、逆光で薄暗くなった目元からこちらをはっきりと捉える彼の瞳。
陛下の象徴とも言えるエメラルドグリーンの瞳が、まるで夏の空に似た濃いブルーになっていたのだ。
一瞬その光景が飲み込めなかったものの、次にふと脳裏に浮かんだのはつい2週間前に立ち寄った露店。そうして無意識に隣のルアを見やれば、やはりその隻眼は驚きに見開かれていて。
「魔法のガラス……?」
気付けば、口からは無意識にそう溢れていた。すると一瞬、珍しく表情が固まったままに陛下が動きを止める。しかしそれもほんの僅か、次に瞬きをした頃にはすっかり元通りの彼がそこにいた。
「ああ、知っていたのか」
「はい。以前神殿から帰る途中に、偶然」
正直にそう答えればまるで予想外だとでも言うように、陛下は顎に手を当てて黙り込んでしまった。その様子をアレン様までもが不思議そうに見ているのは、果たして気のせいだろうか。
「これを売っている露店商とも会話をしたのか?」
「はい」
「そうか。なら……」
そこまでを口にして、再度陛下は難しい顔をして黙り込む。その質問の意図も表情の意味もまるで分からないが、自身らは何か失態を犯してしまったのだろうか。
そんな心配も一瞬、不意に耳を掠めた明るい声で意識が引き戻された。
「お前たち騎士団の中で、一番文字が読めるのは誰だ?」
「っ、え」
まるで脈絡のないそれを受け無意識に視線が向かうは、黙って陛下を見据える銀髪の男の方。
「……ルアか、『月の部隊員』ではないかと」
再度陛下に視線を戻しそう口にすれば、次にそのエメラルドグリーンの瞳は真っ直ぐにルアを見据えた。少なくとも自身は簡単な単語でさえ意味を理解出来ないため、情報収集が仕事である彼らの方が多少は上。
そうして両者を交互に見ていれば「文章は読めるか?」と、陛下がルアに問いかける。
「……申し訳ございません」
「そうか。なら、丁度いいか」
その言葉に不思議そうな表情を浮かべたのはソル、ルア、そしてルーク。皆が一様に黙ってディランを見つめる落ち着かない沈黙の中、次に口を開いたのは楽しげな表情を浮かべるディランだった。
「ルイ、先に行って馬車の手配を」
「ええ」
そうして、特に何を言及するでもなくアレン様は部屋を出て行く。重い音と共に閉ざされた空間の中「さて」と、どこかイタズラを考える子供のような声が耳を打った。
そしてふと、陛下は片手よりも少しばかり大きな箱を机の抽斗から取り出す。光沢が映える黒いそれは装飾品が売られている場で見る箱だが、次にそこから覗いた代物にヒュッと息を呑んだ。
「っえ、これって」
そこに入っていたのは、青い色をした2枚の薄いガラス。これは『魔法のガラス』ではないか。
「お前たちにも、このガラスをやろうと思ってな」
左手で目元を擦りながら陛下はそう紡ぐ。聞き間違いかと耳を疑ったが、彼は今、あのガラスを自身らにくれると言ったのか。自身らでは到底返すことのできないほどに値を張る、高価なガラスを?
「だが、タダではやれないよ。俺の出す課題を達成できたら、褒美として与えよう。今日はそのために呼んだんだ」
そう言いながら手渡されたのは箱の蓋部分に納められ、綺麗に折り畳まれた一枚の紙。おずおずと開きルアと共に覗き込んでみれば、そこには黒のインクで書かれた文字が並んでいる。
その数、およそ5行分。
「騎士団の面々の力だけで読み解いてごらん。内容が理解できたら、俺に報告するように。他言は無用だよ」
ルイにも内緒だ、と続けられた言葉から察するに、陛下はアレン様をわざと部屋から追い出したらしい。しかし何故、最側近であるアレン様の目に触れることをあえて避けたのだろうか。
そんな疑問と共に読めやしない文字を睨んでいれば「はは」と、軽い笑い声が下から降ってきた。
「訓練ばかりだと飽きるだろう?たまには皆、頭も動かしてみるといい」
愉快そうに眉を上げながらそう口にしたかと思えば、おもむろに立ち上がった陛下は黒い短髪を揺らしながらドアまで足を進める。それに付き従う形で、自身らも陛下の執務室を後にした。
そうして2人の馬車を見送った後に、団員が既に訓練を開始している訓練場へと足を進める。野次やら質問が飛んでくるのは目に見えていたため、あえて何も説明をしないままに団員の訓練を早々に切り上げさせた。
こうして、珍しく昼間のうちから皇室騎士団の面々は食堂に集うことになったのだった。
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「というわけで、この中で文字が得意なやつ手ェ挙げろ」
「読めるわけねえだろ」
小さな窓から昼の陽が差し込む薄暗い小屋の中、密集した30人ほどの団員は皆身を乗り出すようにしてテーブル上の紙を覗き込む。その上を走る黒いインクは、どこか夜のような静けさが滲み出たように綺麗なもの。
だがやはり、自身はその1文字1文字をそれぞれ発音するのが精一杯。単語の読み方も分からなければ、それの意味などもっての外。
そして困ったことに、ここに集った団員の大半が自身と同じ程度なのだ。
「最初っから最後まで分かんねえな」
「あ、俺この単語は知ってるぜ。『目』だろ?」
そう得意げに呟いた団員に対し「おお〜」と歓声が上がる。それほどまでに文字に疎いのも、決しておかしな話ではない。
そもそも平民で文字を読める者は余程家が太いか変人かの2択であり、読み書きなど普段の生活ではまず使用しないため学ぶ機会など皆無に等しい。加えて、皇室騎士団の得る情報というものは目に見える形で残せないものばかりなため、皆記憶力には長けていても必然的に不要な読み書きは身に付かない。
そのためアカデミーに通う貴族の子息令嬢にさえ、騎士団の面々は読み書きの点で圧倒的に劣っているのだ。
「んー……」
そうして早速行き詰まるかに思えた、その時。
「なあ、ちょっと僕に見せてくれないか」
ふと、団員の中から届いた声に顔を上げる。そうしてぐるりと声の主を探して見渡せば、紺色の制服を纏った『月』の1人が他の騎士団をかき分けて手紙の前に立ったところだった。前屈みになりながら口元で小さく言葉を呟くその姿に、その場にいた全員が面食らったままに立ち尽くす。
「お前、これが読めるのか?」
「ん、いいや。でも親が本好きでさ、生きてた頃はたまに読み聞かせしてもらってたんだ」
「っ、すげーな、初めて聞いたぞ」
ようやく口から溢れた驚きの言葉に追随するように「なんで今まで言わなかったんだ」との声が団員から上がる。それに対する彼の返答は「機会がなかったから」。
確かに、こんな命令が下るのは今回が初めて。それに対しやはり首を傾げつつ手紙を読む団員を見やっていれば、その表情は険しくなったり、かと思えばほっと息をついたりとコロコロ変わる様が目に入った。
どうやら長らく文章を読んでいなかったせいで、解読に手こずっているらしい。
「ほんとにすげーな、よし、今回はお前を頼りにするぞ。それはそうとお前らも手伝ってやれ」
「団長も読めや」
「俺は全く読めねーんだ。悪い」
そうして軽く目を細めてみればはあ、と呆れたようなため息が一斉に吐き出される。それに対し苦笑しつつ、目の前でどんどんと文章を読み解いていく団員をじっと眺めていた。




