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噂話②

 左頬の古傷をタオルで隠しながら静かに、浴場の端から聞こえてきた噂話に聞き耳を立てる。だんだんと増えてきた他の客の賑わいに紛れても、まるで愉快そうな立ち話だけははっきりと耳に届いた。


「陛下が衆道?また意外な話もあるもんだ。まあ俺は実際に陛下を見たことあんまりないけど」

「俺も。しっかし国の主が男色とはまた、社交界が賑わいそうな話だな」

「ああ。しかも主人の話じゃ、顔は悪くないらしい。そりゃ選び放題だろうよ」


 確かにな、と笑い声を上げなおも口が止まらない男たち。それを眉を顰めながら聞いていた時、ソルはふと思う。


 もはや、彼らの中で『陛下が男色である』という噂話は真実である前提になっているのだろう。いくら情報交換の場としても利用される風呂屋だとはいえ、不敬に当たる話題を堂々とこの場で話題にする大胆さがそれを物語っている。

 そして周りの客も後ろめたそうに、それでいて窺うように前のめりに食いついている時点で、噂が広がるのにそう時間はかからないのだろうと察するには十分。


「……おっかねーな」


 今まで生きてきた中で、他者の人となりを誰かの話で判断してしまうことは多かれ少なかれあったはず。現に陛下と接したことのない者たちの話題でさえ、この場では実際に目にしたことのある『真実』として扱われようとしている。

 そんな自身の無意識を映し出したような男たちを見て、ソルは自然と刷り込まれる先入観が恐ろしく、そしてとても厄介な代物だとこの時痛感したのだった。


 そうして別の湯船に浸かっているルアを見やれば、そこには無表情のまま頬杖を付き男たちを見やっている彼の姿があった。険しさを表に出してこそいないが、根も葉もない噂話がまさに広がっていく瞬間を見ている彼も心中穏やかではないだろう。

 その証拠に、青い隻眼からは僅かながらに不機嫌さが滲み出ている。


「……男色の何が悪いんだ?」


 気付けば、そんな独り言が溢れていた。

 確かに事実として、同性を好むという傾向があまりすんなりと受け入れられることは少ない。身分の高い者の中には妾として男を囲っている者もいると聞いたことはあるが、それこそ事実かどうかを確かめる術はないわけで。 


 しかし、たとえ陛下の指向が同性愛だとしても、それが『聖君』の人物像に影響を及ぼすとは考えにくい。そのため、ソルは特に否定する必要性を感じてはいなかった。


 次に、愉快そうな声色が耳に飛び込んで来るまでは。


「男が好きなら、皇后も娶らないわけだよな?じゃあ、跡継ぎはどうするんだ?」

「確かに。世継ぎが出来ないなんて、国の未来は暗いな」

「ああ、だから主人は『暗君』なんて言ったんだな」


「……は?」

 瞬間周りの賑わいが遠のく。そうして耳元でこだまする、『暗君』という揶揄。


 ……まさか今、陛下を侮辱したのか?


 無意識に力が籠った手がタオルにシワを作る。知らず知らずのうちに険しい顔を浮かべていたことに気が付く余裕など、ソルは持ち合わせていなかった。

 そうしてなおも話し声だけを拾い続ける耳は、更に予想を飛び越えた話題を頭に届ける。


「じゃあ次の皇帝はどうなるんだよ。殿下が結婚したら子供を養子にするのか?」

「さあな。俺らには理解できないだろ」

「まあ、椅子が空席になる可能性もあるってことだな」


 まさか、恐れ知らずにも程がある話題をこうも大きく口に出来るとは。

 だが話題に食い入っている者たちにとって、そんな不敬はもはや気にする余裕もないのだろう。なにせ高貴な人間の暗い話題など、身分問わず人間の大好物。


 しかし『男色』という憶測がそう着地するとは、ソルはもちろんルアでさえ思い至ることは出来ずに。


「なに、言ってんだ……?」

 陛下が『暗君』などと、一体どこを見ればそんな考えに辿り着くのか。しかしはたと思い至ったのは、多くの国民は陛下と直接言葉を交わしたことがないという事実。

 だからこそ好き勝手に憶測を並べることができ、だからこそ彼らは陛下について何も知らない。


 所詮彼らにとって、陛下という人間を判断する材料は他者の話のみ。

 そう気付き、ソルは湯船から見える景色が歪むような目眩を覚えた。



「……のぼせる程風呂が好きだったのか」

「んなワケねーだろ」

 真顔で飛ばされた冗談に噛みつきながら、すっかり日が昇った早朝の風で火照った身体を冷ます。あの後も男たちの話に食らいついていたばかりに、目の前がぐらぐらとする程までにのぼせ上がってしまったのだ。

 そうして襲い来る頭痛に耐えていればふと、後ろからもはや耳に馴染んだような賑わいが聞こえてくる。


「……ソル、移動するぞ」

「ああ」

 再度頬をタオルで隠しながら、外へ出てきた男たちの視界から外れる位置まで足を動かす。耳に入ってくるのは陛下とはまた別の話題だったが、往来で立ち止まった彼らは大きな声で立ち話を続けるばかり。


「流石にやめさせるか」

 彼らの話題が陛下の噂話に戻らない保証はない。狭い風呂屋内ならともかく人が増えてきた往来、しかも大きな声で先ほどまでの話題を口にされたらそれこそたまったものではないのだ。

 ついでに釘も刺しておくかと、男たちに向かって一歩足を踏み出した時。 


 パシッと、手首に僅かな重さを感じた。


「ソル、待て。何をする気だ」

「なにって、あいつらの話を止めに」

「やめておけ」


 瞬間「なんでだ」と、自身でも若干驚くほどに大きな声が口から飛び出した。その拍子にうっかりタオルが滑り落ちてしまい、不服な気持ちのままそれを拾い上げた時。

 パチっと、不意に振り返った男たちのうち1人と目が合った。そうして大きく見開かれた目は自身の顔を凝視し続け、次第に男の顔から血の気が引いていくのが見て取れる。


 陛下の手足であり耳である皇室騎士団だと、バレてしまったのだ。


「っ、おい見ろ、あの傷に金髪って」

「なんだよ……っては!?あれって皇室騎士団の」


 その言葉で往来にいた人々の視線が一気にこちらへと向けられる。その多くの双眸に目を引かれる形で周りをぐるりと見渡せば、先ほどまで風呂屋にいた者たちの顔色までもが男たち同様に青くなっていく様が目に飛び込んできた。


 不敬だと分かっている話題を止めず、あまつさえ食いついたことに対する罪悪感。

 そんな光景を見やっていれば、いつの間にか先ほどまでの男たちは逃げるようにその場を後にしていたようで。


「逃げやがったな……。ルア、なんで止めたんだ」

「……下手に止めれば、それこそ噂を肯定することになりかねない。後ろめたいから止めたのだと」

「じゃあどうすりゃいーんだよ」


 思わず語気が荒くなる。止めても止めなくても広がってしまうのなら、もう打つ手がないではないか。

 そんな若干の苛立ちのまま彼の言葉を待っていれば、次に耳に入ってきたのはいつもの低く落ち着いた声。


「俺らに出来ることはない。それに、根拠のない噂話は時間が経てば消える」

「っ、でも」

「多くの民衆の間で、陛下は『聖君』に変わりない。こんな噂に振り回されるお方でないことは、良く知っているだろ」


 その言葉でギュッと拳を握りしめる。確かに、ルアの言う通りだ。

 こんな噂話如きに感情的になるなど、自身もあの男たちと変わりないではないか。そう気付き無意識に目線が下へと落ちれば「帰るぞ」と、まるで宥めるように背中を叩かれた。



 この日、ソルは今までとは違う世界を身をもって体験した。

 ──『暗君』。男色だという小さな噂話がこうも膨らんでしまう、罠が蜘蛛の巣のように張り巡らされた世界。

 巷でさえこうなのだから、社交界というものはもっと暗く、澱んでいる世界なのだろう。



 事実と異なる憶測も、形を変えながら広まってしまえば全て真実となる。

 そんな数の暴力に気味悪さを覚えながら、2人はだんだんと賑わっていく往来を横目に皇城へと戻って行ったのだった。


 **


 そうして更に1週間が経過した、よく晴れた日のこと。この日は昼前からディランとルークが城下に降りることになっており「護衛は不要」と伝達されていたが、何故かソルとルアは揃ってディランに呼び出されていた。


 そうしてルアと並んで執務室を目指している最中にも、あの噂話が脳裏でぐるぐると渦を巻く。それが陛下の耳に入ってしまうという最悪の事態を描くあまり上の空になっていたソルだったが、ルアが重厚な扉をノックした音ではたと我に返った。



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