噂話
「そうだ団長、あの噂知ってる?」
神殿訪問から1週間後の夜、皇室騎士団の食堂にて。
30名ほどが顔を突き合わせる木造小屋の中、問いかけた声に反応するべくソルはビールで豚肉を喉に流し込む。そうして空になった口で「噂って?」と返せば、途端問いかけてきた太陽の部隊員の顔が僅かに曇った。
「陛下に関するやつなんだけど……、いや、でもな……。やっぱやめるか」
そう口篭った瞬間「おいおい」と、自身の口からは考えるよりも先に言葉が漏れる。しかしなおも団員は言い淀んでおり、その姿に焦ったさが募っていくばかり。
「そこまで言ったんならもったいぶるなよ。部隊長の俺にも言えねーことか?」
「団長の言うとおりだぞ。陛下に関する何を聞いたってんだ」
他の団員が同じく詰めたことにより、彼は僅かに眉間に皺を寄せる。そこまで言いにくいのであれば何故口に出したのかと疑問に思ったが、陛下に関する噂がそれほど後ろめたいことならば見過ごすわけにはいかない。
そうしてふと隣のルアに視線を移せば、彼もまた手を止めて言葉の続きを待っているようで。
「……先に言っておくけど、他人の趣味にとやかく口出すつもりはないんだ」
そこまでを口にして、彼は隣にいた月の部隊員と目配せをする。その彼もどこか苦い表情を浮かべていることから何らかの事情を知っているようだが、それほどまでに言い淀む『噂話』とは一体どのようなものなのか。
そんなソワソワとした雰囲気に内心で浮き足立ちつつ、誤魔化すように目の前の豚肉を豪快に口の中に放り込む。
「はーお前、早く言わねえと食いもん団長に全部持ってかれちまうぞ?」
「っ、分かった」
そうして肉を咀嚼するソル含めた皆が息を潜め続きを待っていれば、団員は一拍置いて深呼吸した後、観念したように口を開いた。
「なんか皆……陛下が硬派だって言うんだ」
「ゴフッ」
瞬間自身含め何人かの口から勢いよく食い物が飛び出した。更には驚きのあまりマグを倒しテーブルにビールをぶちまける者もいれば、かたや盛大にむせ返り床に崩れ落ちる者もいるなどまさに混沌。
しかし、それほどまでに混乱するのも無理はない。
硬派、つまり男色の意味。
「ちょ、ざけんなおい、汚ったねえな」
「団長も何してんだよー、副団長見習ってくれ」
何人かがテーブルを手荒く拭く動きと一気に小屋を包んだどよめきが相俟って、どこか気分が浮ついたような感覚に陥る。そんな中視界の端に映った銀髪に目を向ければ、少数の団員と同じく彼は我関せずとでも言いたげにビールを喉に流し込んでいた。
「っ、ごほっ、なんでそんな噂話が……てかどこで聞いたんだ?」
なんとか立て直しながらそう問い掛ければ、他の団員も続きを待ち目を輝かせているのがひしひしと伝わる。自身らの主人である陛下に関する噂など後ろめたさもあるが、やはり人間はどこまでも噂に弱い生き物。
「んーっとさ、ほら、俺ら今日朝風呂一番に行ったじゃんか」
そう言いつつ噂の出所である団員は、先ほど目配せした団員の肩をぐいと引き寄せる。そうして上体のバランスを崩した団員は、どこか言いにくそうな苦い表情を浮かべていて。
「んでさ、ちょっと気分転換にいつもと違う風呂屋に行ったわけよ」
「ちょっと待て。だからお前ら遅かったのかよ」
「まあ。ってかそこはいいんだよ」
そうして軌道修正を図る団員を見ながら話の続きを待つ。ふと視界に入ったルアの手がいつの間にか止まっているところを見るに、分かりにくいだけで彼も噂話には食いついているようだ。
「したら貴族邸の下働きが何人かいてさ、家のことベラベラ喋ってたんだ」
「あれは酷かったな。まあ、そしたらその話の中で『主人が陛下の話をしてたんだけど』って感じで」
つまり又聞きの又聞き、といったところだろうか。だが厄介なのはその信じるに値しない噂話でさえ、多数が信じてしまえば『真実』になり得てしまうところ。
そして貴族がそう噂をしているのであれば、周辺の市民や領民の耳に入るのも時間の問題だろう。
「もしかしたら、城下の人たちはもう知ってるのかもな」
しかし何故、そのような噂が生まれたのだろうか。
陛下と接する機会が多い自身らでさえ、そのような噂の元になるような言動に心当たりは全くないというのに。
「まあ別に、女性が好きだとも限らねーけどさ」
無意識のままにそう呟けば「まあな」と、何人かの団員から同意の声が上がる。しかしここでふと、頭に浮かんだとある事実。
「……というか、陛下はなんで皇后を娶らねーんだ?」
「あ、たしかに。っていうか、だから硬派だって言われてるんじゃないか?」
瞬間ストンと、その言葉は大多数の団員の腑に落ちた。そこには、疑問の提示者であるソルも含まれている。
もしかしたらまだ団員には伝えていない『反乱軍』の存在が関わっているのかとも思ったが、皇太子時代から陛下には女性の気配がないのもまた事実で。
「火のないところになんとやら、か?」
「いやいや、皇后がいないってだけで硬派は話飛びすぎだろ」
「でも先皇陛下は、今の陛下くらいの歳にはもう子供いたんだろ?」
50歳前後という皇族としては比較的若くして崩御した先代皇帝とは違い、ディランは齢28歳にして皇后はおろか皇妃も娶っておらず世継ぎもいない。彼の考えを本当の意味で理解出来る人間は数少ないため、ただ単に男色だと曲解されてもおかしくはないのだ。
「まあアレン様と一緒にいるところしか見たことないしな」
「えっ、じゃあまさか」
そんな言葉を溢した団員と、その意味を理解し一層浮き足立つ他の団員たち。気付けば「おい」と、自身の口からは咎めるような言葉が漏れていた
確かに団長である自身や副団長であるルアと違い、団員の面々は陛下に直接呼び出されることはまずない。そのため必然的に陛下の人となりや周辺の人間関係について理解が足りないも無理はないが、だからといって陛下とアレン様はそのような関係では決してないのだ。
そうして皇室騎士団までもが例の噂に飲み込まれそうになった、その時。
「……それ以上の言及は不敬だ。よせ」
瞬間しんと食堂内が静まり返る。辺りの喧騒を制したルアの言葉で各々が我に返ったような、どこか気まずさを含んでいるような、そんな空気に包まれた。
そうして何人かがおずおずと食事を再開する音が食堂内に響く中、再度隣からルアの硬い声が届く。
「……後でその風呂屋を教えろ。行ってくる」
「お、じゃあ俺も」
気付けば、反射的に口からそう溢れていた。
しかしその返事に抗議など何もないところを見るに、どうやら同行してもいいらしい。全く口数の少なさで損をしている男に苦笑いを溢しつつ、ソルは場の空気を和ませるために冗談を飛ばして食事を再開したのだった。
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そして迎えた翌朝。日が昇った直後の霞んだ青空を見上げながらルアと共に歩くここは、例の風呂屋がある通りだった。まだ人通りはまばらではあるが、職人たちは忙しそうに作業をしているのが目に映る。
そうして朝の新鮮な空気を吸い込みつつ風呂屋の扉を潜れば、既に多くの客が湯を求めてやってきていた。
「わ、マジで貴族ん家の下人もいるっぽいな」
脱衣所で言葉を交わしていたのは、そこら辺の平民よりは少しばかり身なりの良い男たち。しかし自身らが足を踏み入れた途端、その視線が控えめながらこちらへと向けられた。
「……ソル、顔を隠せ」
「あ、そうだった」
ルアの指摘で咄嗟にタオルで顔を隠す。いくら私服であろうと『鷹の太陽』は顔が割れている者ばかりであり、加えて自身は左頬に刻まれた古傷のせいでどうしても目立ってしまうのだ。
そうして訝しげな視線を受けつつ服を脱ぎ、湯船まで足を運んだ時。
「そうだお前知ってるか?陛下が衆道だって噂」
「馬鹿お前、声がデカイぞ」
予想通り、昨夜聞いた『例の噂』が耳に飛び込んできた。




