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本質

 ようやく帰還した皇城の2階、辿り着いた陛下の執務室の扉をノックする。すぐに「入れ」と聞こえた声のままに扉を開ければ、そこには広がる橙色の空間の中で書類に目を通している陛下の姿があった。

 珍しく着用している眼鏡と机上に置かれた蝋燭の火が相俟って、顔を上げた陛下の纏う雰囲気はいつもとまた違ったもの。


「ご苦労だったな」

 緩く笑みを浮かべながら労りの声を紡いだ彼に対し即座に頭を下げる。するとやはりと言うべきか「頭を上げろ」と、どこか呆れのような感情が滲んだ柔らかい声が耳朶を打った。

 そうして再度彼に視線を戻せば、眼鏡を外し息を一つ()いた彼の姿が目に入る。


「手紙、驚いたろう?」

「っ、はい」

 言わずもがな、陛下が指すのは司式者依頼文に隠れた『本物の機密文書』について。まるでしてやったりとでも言いたげに眉を上げた彼にとって、自身らの反応でさえ予想通りであったことは明白。

 そして一度盗られる前提のダミーを受領していなければ今頃、外部に漏れてはまずい内容が反乱軍に渡っていたかもしれないのだ。


 今更ながら、その先見の明にぞわりと肌が粟立つ。


大神官()のことだ、返事は文字に残さず、その場で寄越したのだろう?」

「……その通りです」

 

 まさかそこまで見透かされていたとは思わず、2人は無意識に息を呑んだ。そんな彼らを見据える、光を反射して妖しく翳ったエメラルドグリーンの瞳。


「本当に話の解る男で助かるな。では、返事を聞こうか」


 柔らかさの中に確かな意志を内包する、ディラン独特の余裕を醸し出す声色。しかしそれに対しルアが口にしたのは、大神官の『回答』ではないもので。


「……陛下、その前に『一つ質問をして下さい』と、猊下から言付かっております」

「ほお、言ってごらん」


 愉快そうに、それでいて確信めいたものを持ちながらこちらを真っ直ぐ捉える陛下は、一体どこまで見通しているのだろうか。

 そうして無意識に気圧されながらも、ルアは大神官の質問を代わって口にする。


「『私を信じても大丈夫なのですか』と」

「っ、はは、そう来たか。では俺から、お前たちに質問しよう」


 ──ミハエル大神官は、どのような男だと思う?


「……え」

 不意に問いかけられた質問。途端脳裏に蘇ったのは美しく微笑んでいた大神官の、全く笑っていない冷めた瞳だった。

 

 他者の存在に関心など一切抱いていないであろう大神官だが、陛下には好意的。そして陛下もまた彼には信頼を置いているとなれば、ここで印象を下げる発言をするのは得策ではないだろう。

 それにその人間性を含めたとしても彼の自身らに対する対応から、おそらく良くも悪くも平等な人物なのだろうと察しがつく。


「身分の隔てが無い方だと感じました。それに、反乱軍に加担するような方にも見えません」

「私もそこはルアに同じですが……同じ神官にも容赦がない方だなあ、と」


 瞬間続けられたソルの言葉で僅かに身体が強張る。自身があえて避けた話題を持ち出した彼に対しての焦りもあったが、それと同時に思い出されたのはやはり『処罰』と口にした際の、恐ろしいほど綺麗な微笑み。

 しかし陛下は一言「そうか」と呟くのみで、特に言及する様子はないようで。


「大神官と初めて会話したお前たちがそう感じたなら、俺が彼を信用しない理由はないよ。それに彼は、皇帝の椅子には興味がないからね」

「っ、承知しました。では、猊下からの返事をお伝えします」


 一体何故、陛下は自身らにそこまでの信頼を置いてくださるのだろう。

 そんな疑問を喉の奥に押し込めながら、ルアは大神官から預かった回答を述べた。


「『このミハエル、陛下の目と成れましたら光栄に存じます』、とのことです」


 それを聞いた、ほんの一瞬。

 陛下の笑顔に僅かばかりの影が差したのは、果たして見間違いだっただろうか。


「流石だな。これで俺の視力も、格段に良くなるわけだ」

 

 しかし次に満足げな声を落とした陛下の雰囲気は、いつもと変わらぬ明るいもの。そのままふうと息を吐いた彼は、途端何かを思い至ったように口を開いた。


「しかしあの大神官が、お前たちに対しては優しかったようだな。やはり貴族はあまり好きでないらしい」

「え、大神官様は貴族出身じゃないんですか?」


 そう疑問を口にしたのは、まるで納得いかないとでも言いたげに首を傾げたソル。それに内心同意していればふと、陛下の不思議そうな表情が目に映る。


「ん、ああ、言っていなかったか。まあ隠すことでもないからいいか」

 次の瞬間には自己完結したような陛下は、いつもの穏やかな声で自身らに対して疑問の答えを提示した。


「大神官の職に就くものは皆、元々は平民出身なんだよ。不思議なことに、貴族の家にはお告げが下りないからね」

「……あ、だから」


 ──『私も、貴方々と同じですから』


 脳裏に蘇る、凛とした柔らかい声。あれはそういう意味だったのかと、この時ようやく理解した。

 だからあの時、『平民風情』という言葉が気に障った。


 そうして大神官の言動が腑に落ちたところでふと、陛下が内緒話でもするように声を一層潜めて言葉を紡ぐ。


「ついでにこれは他言無用だが、神殿内で帯刀を許されているのは大神官だけらしい」

「えっ」


 途端驚声を上げたソルは慌てて口元を覆い隠した。自身も寸前で声を飲み込んだが、流石に帯刀していることは想定外。

 あの時、大神官は男性神官を『処罰』すると発言していた。それがどのような形なのかは分からないが、剣を使用可能ならば話は変わってくる。何せ、彼ならば躊躇いなくそれを振り下ろすことが出来るだろうから。


「どうした2人とも、そんな難しい顔をして」

「っ、あ、いえ」

「俺に隠し事はなしだ。言ってごらん」

 

 そうしてあからさまに狼狽したソルを陛下が見逃す訳もなく、結局自身らは日中に神殿で起こった出来事を彼に話すことになったのだった。

 しかしやはり陛下に友好的な大神官の一面など、言ってしまっても良かったのだろうか。


 そんな不安が足元から湧き上がったものの、次の言葉ですぐに杞憂だったことを悟る。


「お前たちも流石だな。短時間で彼の本質を見抜けるとは」

「……え、では陛下は、知っていたのですか?」


 緑の瞳を大きく見開きながらそう尋ねたソルに対し「もちろん」と、どこか困ったように眉尻を下げ笑顔を浮かべた陛下はそう返した。確かに自身らでさえ解った彼の性格は、何度も言葉を交わす機会がある彼なら見抜くことなど造作もないだろう。

 加えて「だからルイは彼が苦手らしい」と言ってのけたところを見るに、陛下は全く気に留めていないようで。


「生まれながらに外界と遮断された高貴な立場にいると、多かれ少なかれ倫理観は欠如するものだ」


 深く背もたれに寄りかかりながら紡がれた、寛容でどこまでも穏やかな声色。しかしそれが届いた瞬間、ルアの中にとある疑問が浮かび上がった。



 ──その『高貴な立場』には、陛下も該当するのだろうか?



 不意にその先の言葉が浮かびそうになり、途端ルアは(かぶり)を左右に振る。実際身分を問わず、ディランほど公明正大な人物をルアは見たことがなかったのだ。誰に対しても平等に手を差し伸べる彼の姿からは、倫理観が抜け落ちている影など感じたこともない。

 孤児時代に人の感情の奥を見てきた自身らが、それに気付かないはずもないのだ。

 

 そうして脳裏に考えが渦巻く中「ああ、そうだ」と、部屋にぽつりと落ちた声で意識が引き上げられた。それに対し顔を上げれば、部屋に色濃く現れ始めた宵闇により濃さを増したエメラルドグリーンと視線が合う。

 

「再来週あたり、一度城下に行こうと思っているんだ。護衛はルイに任せるから不要だよ」

「「承知しました」」


 陛下は時期を問わずルーク様と共に城下へ視察に行かれることがあるため、おそらく今回もその類だろう。

 そんなことをぼんやりと考えていれば「さて」と、再度彼が口を開く。


「疲れたろうから、もう戻っていい。明日からまた訓練に励むように」

「「御意」」


 そう返事をし、陛下の執務室を後にする。廊下に灯る蝋燭の灯りを頼りに皇城の外を目指し歩いていればふと、ソルが欠伸をしたのが目に映った。

 そんな彼を見ていれば、遅れて自身の身体にも疲労感が現れ始める。あの距離を歩けば無理もないのだろうと、2人は各々のペースで団員が集っているであろう食堂を目指したのだった。



 ところでこの時、首都に居を構える貴族の間でとある噂が流れ始めていることに2人はまだ気付いていない。

 ディランに関するそれがようやく耳に入ることになるのは、今から少しばかり時間が流れた後のことだった。



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