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策略家

 手紙盗難事件翌日の夜、皇帝の居室にて。

 蝋燭を灯した暗い部屋に響くのはチェスに興じる2人の男性の声と、テンポ良く動かされる駒の音。


「神殿訪問は明日か。上手いことやってくれるだろうか」

「手紙を渡すだけなら、子供でも容易いと思いますが」

 

 そう返答をしつつ、バスローブを羽織ったルークは黒い駒を手に取る。コンっと音を立てて駒が盤上に戻ると同時にはらりと、普段は左耳にかけ隠している白髪部分が横顔を覆った。それを受け、エメラルドグリーンの瞳が盤上からルークへと上げられる。


「黒も良いが、(それ)も良い髪色だな」

「ええ、そう言って頂けるので染髪はしないことにしていますよ」

「面倒なだけだろう」

 

 全く、と軽い笑い声を上げたディランが白い駒を動かす。部屋着を纏い、普段は後ろで纏めた赤茶色の髪を解いた彼は普段とはまた違った雰囲気を醸し出していて。


「あの2人が目を付けられていると確定しただけでも、昨日のことは良い収穫だったな。本物の手紙を渡していればどうなっていたことか」

「まあ、計画は台無しだったでしょうね」


 ──大神官に真に届けるべきは、司式者依頼文などではありませんから。


 そうして駒を動かしたルークに対し「ああ」と、軽い笑みを浮かべながら相槌を打つ。後々公になる書類をあえて『黒い封筒』にした理由は、重要な物だと見せつけ間者へ盗ませるため。

 そう、ソルとルアには説明した。


 だが、黒い封筒にした理由は別にある。

 その本当の理由とは、司式者依頼文とは別に()()()()()()()を入れる予定であるため。封筒の色に見合った内容であるそれは、外部に漏れると非常にまずいものでもある。


「黒い封筒にした理由を話せば変に緊張するだろうから、さほど重要ではないと思い込ませた方が良い」

文書(2枚目)の内容が民衆に知れ渡った場合、いくら貴方であろうと非難は免れないでしょうからね。あとは、ミハエル大神官が乗ってくれるかどうか」

「乗るさ。彼ほど聡明な男も中々いない」

 そう言いながら盤上に視線を落としたディランの表情が僅かに曇る。局面を認識し追い詰められていることを悟ったその表情だったが、次の瞬間にはいつもの余裕な笑みに戻り白を進める。


「聡明だからこそ断る、と言いたいところですが、彼は貴方のことを気に入っていますから」


 すぐさま表情を覆い隠したディランに対し感心しながら、間髪入れずに駒を手に取ったルークはそう呟いた。



 エトワール帝国に存在する神殿は全部で三つ。そのどれもが、唯一神ユリウスを祀る神聖な場所である。

 そしてその神殿をそれぞれ管轄しているのが帝国に三人存在する『大神官』と呼ばれる者たちであり、ユリウスのお告げで誕生する彼らは不思議なことに常に三人存在するように保たれている。そうしてその中から選ばれた一人が『教皇』となり、次代の大神官を育てていくのだ。

 そのため同時期に存在するのは大神官三人と、元大神官である教皇の合わせて四人。



 そして神殿は何があろうと中立を保つべき立場であるため、戦争や国内情勢には基本干渉しないことが暗黙の了解。たとえ皇帝であろうとも、彼らと協力関係を結ぶことは不可能なのだ。

 それに加え今でこそ神殿とは友好的な関係を築いてはいるが、先皇の時代から在籍している神官の中には皇室を快く思わない者も存在していて。


「本当、貴方でなければ神殿側が相手にしませんからね」

「まさか」

「少なくとも俺はそう思っていますよ」


 ディランが即位してから、今年で4年。

 それ以前は『暴君』と揶揄された先皇の政治に嫌気がさした神殿と皇室の関係は対立と呼べるほどに険悪なものであり、あの頃は儀式的な神殿訪問さえ良い顔はされなかった。

 唯一の救いは『中立を保つ』という立場のため、教皇はじめとする神官が皇室を蔑ろにすることはなかった点だろうか。


 その反動もあってか『聖君』と称されるディランに対してはミハエル大神官が特に友好的に接する姿が見られ、皇室との不和も概ね解消されている。


「大神官は、俺より4つ年上だったか」

 そう呟きながら音も立てず駒を進めたディランに対し「ええ。俺より3つ上なので」と返したルークだったが、途端その表情が僅かばかり硬さを増す。


「どうした」

「いえ。ただ、俺はあの大神官のことはあまり得意ではないもので」

「ああ、そうだったな。あんなに話の解る男のどこが嫌なんだか」

「……彼の性格を知りながらそのようなことが言えるのは、俺の知る限りでは貴方だけでしょうね」


 そうして一瞬の静寂に包まれた部屋の中、次に響いたのは黒い駒が盤上へと置かれた小さな音だった。


「チェックメイト。貴方の負けです、ラン」

「……は、やはりお前には敵わないな。流石は公爵(父親)にも引けをとらない、俺の策略家だよ」

「人聞きの悪い。それに」


 ──本当の策略家は貴方でしょう。


「……さて、なんのことやら」

(とぼ)けないで下さい。何故間者があの場で手紙を渡すことを知っていたのか、解らないわけではないでしょう?」


 今朝、ディランは改めてソル、ルア両名を執務室に呼び出した。その報告で、会議室の掃除を担当した侍女が手紙を持ち出した可能性があることは把握済み。


「またその話か。手紙を渡したところを偶然目撃した、と考えるのが自然だろうな」

「……では、質問を変えます。何故、彼の者は2日足らずでルアとソルの部屋を割り出したのでしょうか」


 そうして詰問するように言葉を紡いだルークに対し「皇帝相手に尋問か?」とディランが返せば「とんでもない」と、眉を上げながら彼は答える。


「さあな、余程の手練だったんだろう」

 瞼を伏せながら態とらしくそう言葉を返したディラン。しかし彼は、ルークの言わんとすることが読み取れないほど鈍い男ではない。


 手紙を渡すより以前からその存在を知っていた、と言いたいのだろう。

 そして神殿訪問の話をソルとルアに伝達した際そこにいたのはディラン、ルーク、そして。


「いい加減認めて下さい。どう考えても怪しいのはベギンズ、あの男でしょう」

「カルラは、そんな男ではないよ」

「……侯爵家(ベギンズ)の実子を差し置いて騎士団長まで任せたくらいですから、信頼を置いているのは分かりますが」

 呆れを含んだ声色でそう返したルークだったが、琥珀色の瞳を真っ直ぐ見据えた男の姿に思わず背筋が伸びる。


「心配するな。全て、上手く行くから」


 そうして紡がれた穏やかな声色。まるでこれから起こることを全て予測しているかのようなディランに対し、最早カルラに関する話題を続ける気にはなれなかった。


「ほら、俺も騎士たちも全て策略家(貴方)の手のひらで踊らされているに過ぎない。違いますか?」

「はは、買い被りすぎだ。俺はそこまで切れ者ではないよ」

「……何を言ってもはぐらかすのでしょうね。全く、同じ船に乗った人間にも容赦がない」

「それが良くて俺に付いて来たのだろう?丁度いい、景気付けでもするか」


 そうしてディランは徐に立ち上がると、部屋の棚からワインのボトルを取り出し椅子に戻る。

 普段は白ワインを嗜む彼が『景気付け』として飲むそれは、黒に限りなく近い赤ワイン。しかしその酒は、この場においては全く別の意味を持つ。


「さて、この酒を交わしたが最後、お前はもうこの泥船から降りられない。覚悟は出来ているか?」


 音を立ててグラスへと()いだそれをルークへ差し出せば、眉尻を下げた笑みを浮かべながら彼はそれを受け取る。

 まるで未来を暗示するかのように淀んだ赤黒い酒はいわば、これから命運を共にする男同士の契約の証。


「貴方に忠誠を誓った幼少から、全て覚悟の上ですが」

「嬉しいな。俺とまだ、後戻り出来ない旅路を進んでくれるとは」


 ──やはり『聖君』も、俺には荷が重すぎたようだ。 


 そう呟き瞼を伏せたディラン。次にそこから覗いたエメラルドグリーンの瞳は、吹っ切れたように昏さと力強さを増していて。


「俺は今から私欲と権力に(まみ)れた、帝国史上最悪の暴君になるつもりだ。ワインを捨てるのはお前の自由だよ」

「ご冗談を。地獄の果てまでお供いたしますよ」


 揺れる蝋燭の火が、酒を酌み交わす二人を妖しく照らし出す。

 その中で紡がれた会話は宵闇に融けていき、耳にしたものはただの一人もいなかった。


 ***


 そうして迎えた、神殿訪問当日。

 快晴に恵まれた空の下、首都内を走るのは皇室の紋章があしらわれた豪華絢爛な馬車だった。


「馬車ってやっぱいーな。揺れも少なくて、何より足腰が痛くならねーから」

「年寄りみたいな発言だな」

 車内でそんな軽口を交わしているのは今まさに『晒し者』という処罰を受けている最中のルアとソル。ふと車窓から外を見やれば、やはりそこには民衆の好奇の視線が多くあって。

 喜び、驚き、怪訝など、そこから読み取れる感情は三者三様。


「見世物気分で落ち着かねーな、お前は仮面被ってるからそうでもねーか」

「……相変わらず視野が狭すぎて、それどころじゃない」

「皇宮から出る時のお決まりだろ」


 ルア率いる『鷹の月』は情報収集を主とする部隊のため、昼間に皇宮外へ出る際はみな仮面で顔を隠している。特にルアは隻眼も相まって急襲に対する対応能力はかなり落ちてしまうのだ。


「まあ片目でも十分強い化け物にはいい枷だろーな」


 そう発したソルに対し「何言ってるんだ」とぶっきらぼうに返せば、彼は軽く笑ってから車窓へと視線を移す。あえて見ずとも分かる視線を浴び続けながら、馬車は着実に神殿へと近付いていったのだった。



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