路地裏の密談
「そんな難しい顔してどーした?具合でも悪いか?」
いつかと同じような問いかけにはたと我に返ったルア。そうして声の方へと視線を移せば、そこには心配の色を浮かべつつこちらを見やるソルの姿があった。
「……なんでもない」
「またお前は、話してみろよ」
肩に腕を回されそう促されたが、やはり口からは「いや、いい」と素っ気ない返事が溢れるばかり。しかしこれ以上追及しても答えは変わらないことはソルも理解しているようで、「なんかあったら言えよ」と言われるに留まった。
そうして腕を解き数歩前を歩くソルの背中を見ていても、誰かにじっと見られているかのような不快感は拭うことが出来ない。そんなどことなく残る気味の悪さを感じつつ、ルアはソルの背中を追うようにして団員たちが既に戻っているであろう訓練場へと足を進めて行ったのだった。
***
同日深夜、とある路地裏にて。
「このっ、余計なことしやがって!」
声を荒げた小太りの男に突き飛ばされた女が壁に背を打ち付け「うっ」と軽い呻き声を漏らす。その拍子に脱げたローブから黒髪を覗かせたその女は、今朝皇室騎士団宿舎から出てきたという例の侍女だった。
その手には開封された黒い封筒が握られており、中には何も書かれていない紙が在中しているのが見て取れる。
「偽物をつかまされた挙句に盗ったところを見られるなど無能にも程がある!俺が侍女の推薦状を書いたことがバレればお終いだぞ!」
「しかし、あんなに早く帰ってくるはずでは……」
「言い訳をするな!」
そうして女の髪を掴み上げ、男は左頬目掛けて拳を振り下ろす。付けられたいくつもの指輪も手伝って重い一撃となったそれを受け、女は壁に上体を預けたままぐったりとしてしまった。
その光景を椅子に腰掛け眺めているのはカルラ含む反乱軍の構成員十数名と、相変わらずローブから口元のみを覗かせた人物。薄暗い室内で我関せずとでも言いたげに目線のみをそちらに向ける者が多い中、なおも暴力に訴えようとした男を制止したのはカルラの声だった。
「フェルダ侯爵、その辺にしては如何です?彼女、顔が痣になっていますよ」
「はっ、ベギンズはこの女を庇うのか?流石、天下の騎士団長様はお優しいことで」
挑発的にそう問われたカルラは薄く笑みを浮かべ目を擦り不意に立ち上がると、未だ座り込んだままの女と拳を握りしめた侯爵へと近付き2人を見下ろす。そうして、僅かに腫れ始めた顔を上げた女に向かって一言。
「だから言ったでしょう。その手紙はさほど重要なものではないと」
「っ、しかし、この色は」
「陛下も賢しい方ですから、わざとその色にしたのでしょうね。たかが司式者の依頼文だというのに」
そうして女の手から手紙を抜き取ると、次の瞬間にはそれを躊躇いもなく破ってしまった。手に残った紙片を床に撒き捨て椅子へ戻ろうとしたその背中に対し、フェルダ侯爵と呼ばれた男が声をかける。
「そもそも2週間前、手紙の存在を俺に教えたのはお前だったな。手紙を受け取ったのは一昨日だというのに」
「ええ。その際内容についてもお教えしたはずですが、お聞きになっていなかったのですか?」
肩越しに振り向いたままそう紡いだカルラに対し分かりやすく苛立った様子の侯爵。そのまま「なんでお前如きが内容なんぞ知ってるんだ」と吐き捨てれば、カルラは勿体ぶるように椅子に腰掛けてから口を開いた。
「陛下から直接聞いたからですよ。貴方と違って、私は彼と話す機会が多いので」
そう煽り返したカルラに対し青筋を立てた侯爵が大股で近付く。そうして次の瞬間には勢いよく胸倉を掴み、強制的に上を向かせた。
しかし侯爵が手を出すよりも早く、ローブを羽織った人物が口を開く。
「やはり、ベギンズ殿はかなりの信頼を置かれているようですね。貴殿がいらっしゃらなければ、内部まで知ることは不可能だったでしょう」
「光栄です。これで私も、信用されるに値しますか?」
「勿論ですよ。貴方を疑う者など、この場に存在しない。そうでしょう?」
ローブ越しでも、その眼差しがフェルダ侯爵へと向けられているのは一目瞭然で。瞬間バツが悪そうに視線を斜め下に逸らした彼が「……勿論です」と、まるで苦虫を噛み潰したように言葉を返した。
そうして乱暴に胸倉を掴み続けていた手を離せば、カルラはやはり態とらしく皺を撫で付け侯爵に笑顔を向ける。
「──話は変わりますが」
不意に紡がれた声の主は、ローブを纏い鎮座する人物。
口調が荒い者でさえ思わず敬語を使う相手であるこの人物こそ、この反乱の首謀者。しかしこの場に居る誰もがこの人物の名を呼ぶことは許されていないため、仮名を意味する『イヴァ』と呼称されている。
「ベギンズ殿は、先日の公爵会議の内容も把握済みですか?」
「ええ、ある程度は。お聞きになりたいのはソフィア殿下の婚約についてでしょうか?」
「流石、察しがよろしいですね」
その言葉に軽く口角を上げ、「お相手はエドワーズ公爵のようですね」と口にしたカルラ。するとそれを受け言葉を紡いだイヴァだったが、その声色はどことなく昏さを孕んでいて。
「……ええ、残念です。これで、計画が狂ってしまった」
思わずピクリと肩が反応する程、明るい声は冷え切っている。それは他の者と同じように、ソフィアがファウラー公爵へ嫁ぐであろうと予想していたための発言だった。
しかし次の瞬間には普段通りに戻ったようで、覗く口元は緩く笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「しかし相手が誰になろうと殿下が降嫁される以上、皇位を継げる者はいなくなった」
──と、言いたいところですが。
そうして言葉を区切ったイヴァへ視線が一斉に集まる。それをものともせず、既に立ち上がった例の侍女に対し彼の者は問うた。
「例の件、調査は順調ですか?」
「っ、それが侍女達にも聞いて回りましたが、誰からもあの話は……」
「……そうですか、困りましたね。もう何ヶ月も経ったというのに」
瞬間強張った女と、部屋に走った緊張。穏やかなのにどこまでも沈み切ったイヴァの言葉に対し、フェルダ侯爵が焦りを見せ始めた。このままでは雇い主である自身にも咎が発生すると直感したためである。
「お言葉ですが『隠された皇子』なんて、本当は存在しないんじゃ……?俺は貴方様から聞くまでそんな噂一度も……」
「先代が聞いた話なのでまず間違いはないかと。彼は先皇周りの噂について、過剰なほど敏感な方でしたから」
そう即答したイヴァに対し、フェルダ侯爵は口を噤む他の選択肢はなく。部屋に重い沈黙が落ち誰もが黙る中、イヴァの他に余裕を醸し出しているのはカルラのみだった。
──『隠された皇子』とは、20年以上前より当主の座に就いている貴族なら一度は小耳に挟んだことがある『とある噂』と、それが示す人物の呼称である。
その噂とは直系皇族である現皇帝ディランと皇妹ソフィアの他にもう1人『皇子』が存在するのではないかという、20数年ほど前に囁かれた出所不明の噂。しかし彼の者の性別すらも分かっておらず、そもそも現皇帝がそれを非公式ながら否定しているために存在を信じている者は皆無に等しい。
しかし、イヴァはその存在を疑うことなく確信していて。
「皇子の存在は我々の計画に支障を来します。必ず、始末しなくては」
そう発言したイヴァに対し「まさに『悪魔の証明』ですね」と、どことなく愉快そうなカルラの声が紡がれる。
「ですが存在していたと仮定した場合、先皇の性格を鑑みるに既に始末したか、あるいは国外に逃したか」
「そう考えるだろうことを逆手に取り、国内に残留している可能性もあります」
勿論死亡していなければの話ですが、と続けたイヴァは顎に緩く手を当て何かを思案している様子であり、僅かながら室内の緊張が和らいだ。
──証拠が無いことは、無いことの証明にならない。
そんな『悪魔の証明』に固執する理由は、反乱軍の目的遂行に大きく関わっていて。
「ああそうだ。先日、少し面白い話を聞いたのですが──」
不意に口を開いたイヴァ。またも一斉にそちらへ視線が集まったが、彼の者は少しの間を置いて「また今度にしますね」と早々に話を切り上げた。
そうして、反乱軍の構成員をローブ越しに見渡して言葉を落とす。
「我らが目的は皇位の簒奪と皇帝の首です。隠された皇子に生きていられては簒奪が果たせませんので、抜かりなきようお願いしますね」
そうして蜘蛛のように計画を張り巡らせる者たちの会話は部屋に融けていき、夜の街の静謐さに全てが覆い隠されていったのだった。