手紙受領③
──私の言った通り。
その発言が指すのは『少しのミスが致命傷になる』という言葉のことか、はたまた別の言葉のことか。どちらにせよこの状況に似つかわしくない明るい声色で言葉を交わした陛下とルーク様は再び口を閉じてしまい、部屋に重い沈黙が訪れた。床に擦り付けた頭の感覚がだんだんと鈍くなっていく気がするのは、おそらく錯覚ではないだろう。
「処罰、と言ったな?さて、何にしようか」
少しばかりの間を置いてそう呟いた陛下の声色は、何故かとても楽しげで。
それに対し背筋が冷えるのを感じながら床を見続ける時間が永遠にも感じられた、次の瞬間。
「っはは、その前に2人とも顔をあげてくれ。俺も少し、意地悪をし過ぎたようだ」
「……っえ」
理解するまでに若干の時間を要する言葉。かろうじて汲み取れた指示のままソルと同時に顔を上げれば、そこにあったのはどこか困ったように眉尻を下げた陛下の姿だった。
しかしなおも状況が読めないまま困惑していれば「たまにはいい刺激になったのでは?」との声が頭上から降ってくる。
「そんなわけないだろう。悪かったな2人とも。説明するから、とりあえず立ってくれ」
「はい」
言葉のまま立ち上がり、陛下の前に立つ。遅れて蘇った額と膝の鈍痛を感じながら陛下と視線を合わせるが、こちらを見上げる彼の表情からはやはりどことなく楽しさが滲み出ていて。
先ほどの『意地悪』と、何か関係があるのだろうか。
そんなルアの疑念を見透かしたように、ディランは緩く弧を描いた口元から言葉を紡ぎ出した。
「順を追って説明するか。まず、あの手紙は盗られる前提でお前たちに渡したものだよ。だから自分を責めるな」
「……え、盗られる前提って」
「所謂ダミーだな。中身は入っているが白紙だ」
その言葉が届いた瞬間ふっと全身の力が抜ける。そうして危うく崩れ落ちそうになった身体をなんとか持ち堪え静かに深く呼吸をすれば「座るか?」とそれを見透かしたように声がかかる。
「いえ、失礼しました」
「そうか。では、話を続けよう」
そうして陛下を見据えていればポンポンと、不意に背中を軽く叩かれた。横目で手を引っ込めたばかりのソルを一瞥するが、彼もまた陛下に視線を落としておりこちらを向く気配はない。
彼なりに気遣った、ということだろう。
そしてここまでの話を振り返るに、手紙の盗難に遭ったことに変わりはないがそれすらも陛下の手の内だった、ということらしい。良くて追放、悪くて処刑だと思っていたがためにその事実は安堵を覚えるには十分なもので。
しかし不意に笑顔が消えた陛下の表情を認識した瞬間ヒュッと、無意識で息を呑んだ。
「もしかしたらと人前で手紙を渡したが、案の定盗られたところを見るに皇宮内にも何人か間者がいるようだな。身元調査は行なっているはずなのだが」
「っ!」
視線を逸らし難しい顔で呟かれた言葉と、脳裏に過ぎる宿舎に出入りしていたという黒髪の侍女。
しかし『間者』とは、一体誰の。
「不思議に思わなかったか?結婚式の司式者依頼文を、わざわざ黒い封筒にした理由が」
「……あ」
その言葉ではたと我に返る。確かに殿下の結婚式はいずれ公になるのだから、機密書類扱いをしなくてもいいはず。
と、いうことは。
「重要なものだと、見せつけるため……?」
「流石、察しがいいな」
思わず溢れ落ちた独り言を拾ったディランは満足そうに眉を上げ、その後ろではルークが緩く瞼を伏せて笑みを浮かべている。
「これ見よがしに黒い封筒を使ってアピールすれば、ネズミは必ず食いつく。全て、ルイの考えだよ」
「……まさか、たった一回で上手く行くとは思ってもみませんでしたが」
しかしそう呟いた発案者がどこか納得していないように見えるのは、果たして気のせいだろうか。
「っ、陛下、1つお伺いしても?」
「なんだ?」
不意に口を開いたソルの声で、反射的にそちらへ視線を移す。そうして質問を口にした彼もまた、どこかソワソワとした感情を滲ませていて。
「もし、手紙が他者の手に渡らなかった場合、私たちは白紙の手紙を届けることになっていたのですか?」
「いいや、その時は交換するつもりでいたよ。それに、俺は必ず盗られると思っていたからね」
「っ……」
確信を持って言い切られた言葉と、まるで未来まで見通しているかのような先見の明。ぞわりと、汗ばむ身体に鳥肌が立ったのが分かった。
一体陛下は、どこまで見据えているのだろう。
「さて、前置きはここまでにしようか。ここから話すことは、まだ誰にも言うなよ」
「っ御意」
そうして不意に背筋を正し僅かばかりの硬さを増した面持ちで口を開いたディラン。伝染するようにルア、ソルの身体も強張る中、次に静まり返った部屋に落ちた言葉は2人が想像もしていない、とあるもの。
「帝国騎士団員が数名襲撃に遭ったことは前にも話したが、俺はそれを反乱軍の仕業だと思っている」
「……え、反乱、軍?」
「ああ。通称がない以上便宜上の呼称ではあるが、存在しているのは確実だよ」
その言葉が届いた瞬間身体を襲ったのは冷水を頭から被ったような錯覚。周囲の音が遠くから聞こえているような感覚に襲われるまま瞠目していれば「ルア」と、低く落ち着いた声に名前を呼ばれ我に返った。
陛下に牙を向くものなど、存在するはずがない。
加えてカルラ様の襲撃を最後に帝国騎士団員を狙った事件は起こっていないらしく、ただの愉快犯の仕業か或いは貴族目当ての金銭目的だったのではと、そう考えていたのだ。
だから徒党を組んで計画的に襲撃したものだとは、全く考えも及ばずに。
「規模も構成員もまだ分からん。まあ確実に貴族は含まれているだろうがな」
「!!」
「はは、そんなに驚くな」
そう笑った陛下は、やはりどこまでも落ち着いていて。左胸の拍動がだんだんと耳に届くようになってしまった自身とは対照的なその姿に焦燥感すら覚え始める。
そして、それはどうやらソルも同じようで。
「っ、その反乱軍は、一体何を目的に」
僅かに震える声で誰に問うでもなく呟いたのはソル。瞬間、エメラルドグリーンの瞳が僅かに昏さを孕んで細められた。
「皇帝の椅子か、俺の首。或いは両方だろうな」
「っ……」
まるで他人事のように言い切った陛下に対しくらりと、意識が沈むような目眩すら覚えた。何故、貴方は。
「……何故、そこまで」
「ん?」
その相槌ではたと我に返る。どうやら口に出てしまっていたらしく慌てて「失礼しました」と取り消そうとしたものの、それよりも早く口を開いた陛下により言葉が喉奥に詰まった。
「何か言いかけただろう?聞かせてくれないか」
「いえ、陛下にお話するほどのものでは……」
「何でもいい。お前たちの話なら何でも」
頬杖をつきながらこちらに柔らかい眼差しを向ける彼は『聖君』と呼ばれるだけあり、やはりどこまでも人が出来ていて。その目に促されて口を閉ざすことの出来る者など、彼を慕っている者の中には存在しないだろう。
「っ、では何故、陛下はそこまで落ち着いていらっしゃるのですか」
喉のもっと奥から絞り出した声に乗っていたのは、滲ませるつもりのなかった焦り。自身でさえこんなにもそれに苛まれているというのに、何故当事者である陛下はそこまで落ち着いていられるのか。
そんな自身の感情を知ってか知らずか陛下の顔に浮かんだのは子供のような、それでいて遥か年上に感じられる矛盾した笑顔。
「何があっても、俺にはお前たちがいるからな。そうだろう?」
「っ、はい」
「俺はそれだけで十分だよ。それにこちらも手を打っていない訳ではないから、まだ性急になることはない」
だから落ち着いていろ、と続けられた言葉に思わず頭を下げる。
いくら平民出身だからと誹りを受けようが、陛下のためなら命すら惜しくはない。そう思わせるだけの何かが確実に彼には存在しているのだと、改めて認識せざるを得なかったのだ。
「さてと、言いたいことは言ったから、処罰でも考えるか」
「えっ」
「なんだソル、不満か?」
ふと変わった空気のまま揶揄うように尋ねた声色に対し「とんでもありません!」と慌てて否定したソルを一瞥し、陛下へと視線を戻す。やはり『盗られる前提』だったとはいえ、実際に盗られてしまったのは管理が杜撰だった証明になるということだろう。その場合、処罰を下さないことには示しがつかない。
「ルイ、何がいいと思う?」
そうして振り返ったディランの表情を見たルークもまた、眉尻を下げやれやれとでも言いたげな笑みを浮かべていて。
「首都内で晒し者がいいかと」
「賛成だな。時期は?」
「明後日にしましょう」
目の前で楽しそうに繰り広げられる会話だが、内容はその声色に全く合っていないもの。だが晒し者程度で済むのならむしろ好都合だろうと、ルアはなおも目の前で言葉を交わし続ける2人を見ながら安堵にも似た気持ちを抱いた。
そうして一通り会話を終えた陛下がこちらを見上げ、
「では、処罰を下そうか」
と、僅かに真剣味を増した声を執務室に落とす。
しかし次に下された『処罰』は、ルア、ソル両名の予想の斜め上を行くとあるものだった。