手紙受領②
「セディ、あまり甘やかすとためにならんぞ。揚げ足を取ろうとするものは幾らでもいるのだから」
「分かってるさ。でもなあ、身分だけで誹られるのもどうかと思うんだよ。俺の部下よりこいつらの方強いからな」
そう言いながらこちらに視線を寄越したオヴシディアン様に思わず頭を下げる。そんな彼の言葉に隠れてしまいそうになったが、アレン公爵様の発言は自身らを信用していないというより、なんとなく周囲への影響を心配しているように聞こえて。
「そういうことだから、騎士団員のことは気にしなくていい。じゃあルイ、今夜そっちの家に遊びに行くから」
「……好きにしろ。テオも来るように」
「分かりました」
その言葉を受け「じゃあな」と軽く右手を挙げたオヴシディアン様の背中を見送る。少しの間を置いて会話を再開したアレン親子だったが、二言三言交わしたのちにアレン公爵様も皇宮を後にするため廊下の曲がり角へと消えていった。会話の内容こそ分からないものの、何やら難しい話をしていたらしい。
それをぼうっと眺めていた時ふと、琥珀色の瞳がモノクル越しにこちらを捉えたのが目に入った。
「叔父上はああ言っていましたが、帝国騎士団員が貴方達の隙を狙い続けることに変わりはありません。少しのミスが致命傷になることをお忘れなく」
「……承知しました」
その忠告を残して執務室へと戻って行く2名を見送った後ふう、とようやく詰まっていた息を吐き出すことが出来た。
「じゃ、俺らも訓練場に戻るか」
「……俺は手紙を部屋に置いてくる」
「ああ、失くしちゃまずいもんな。じゃあ先に行ってるぜ」
そうしてソルと別れ一旦自室に戻り、タオルが収納されている棚の抽斗に黒い封筒を隠した。一番下のタオルの更に下、つまりは抽斗の底であればどこかに飛んでいってしまう心配もないだろう。
念の為夕食前に自室へ戻った際にも抽斗を開けてみたが、日中と寸分違わぬところに置かれていたそれを目視し安堵の息を吐いた記憶がはっきりと残っている。
しかし。
──少しのミスが命取りとなる。それを身をもって味わう羽目になったのは、僅か2日後のこと。
訓練場で流した汗が気味の悪い冷え方をすることになるなど、この時の二人は想像もしていなかったのだった。
**
「っ、まずいな……」
棚の前で立ち尽くしたルアの呟きが風に攫われたのは、公爵会議から2日後の日中のこと。この日は偶然にも訓練の合間に宿舎に戻る用事があったため、ルア、ソル含む団員の何人かが宿舎を訪れていた。
そうして自室からついでにタオルを持って行こうと抽斗を開けた時。
一瞬だけ、その光景に違和感を覚えた。
畳んで収納していたタオルの僅かなズレにサッと身体中の血の気が引いたのはその直後。次にだんだんと感覚が鈍くなっていく指先でそれを捲った際、目に入ったのは抽斗の底。
──は?
そこにあるはずの黒い封筒が何故か見当たらない。
今朝部屋を後にする直前、確かに目視で確認したというのに。
「……ソル、手紙知らないか」
「手紙?……え、お前まさか」
そうして言葉を失い立ち尽くすばかりのソルを横目に放心すること、数秒。
「っ」
次の瞬間我に返った勢いで積まれていたタオルやその他の荷物を全てひっくり返した。辺りに散乱したそれに構わず棚の隙間やベッド下など部屋をくまなく探してみるも、何故かそれが見つかることはなく。
「ルア、お前タオルの下に隠したって言ってただろ。なんで無いんだ」
「俺が知りたい」
急速に冷えた汗が相俟って気味の悪い悪寒が走る。
機密書類であるそれを失くしたとあっては当然処罰は免れない。しかしそれ以上に重要なのはそれが外部に流出してしまった可能性があるということ。すると当然ながら、この部屋に第三者が侵入したということになる。
いくら物を知らない自身でもそれが非常にまずいということだけは察しがつく。それこそ自身一人の処分で済むかどうかも危ういところ。
そして、これにより引き起こされる最悪の結末のうち一つ。
それは大神官に宛てた手紙の内容次第で、陛下が不利益を被ってしまう可能性があるということ。
しかし一体誰が、何の目的で?
「……機密書類の時点で、害を被るのは確実だな」
「っまずいぞ、早いところ陛下に」
「分かっている、急ぐぞ」
そうして脇目も振らずに皇宮へと向かおうとした時ふと、目に入った背中。
「っ、ピエトロっ」
「わっ!?2人とも慌ててどうしたの」
自身らの剣幕に気圧されるまま数歩後退りしたピエトロの肩を思わず掴む。
「お前、そういえば大分前に宿舎に戻ってたよな」
「そうだけど、落ち着きなよルア」
「無理だ。それより、俺たちが戻ってくる前に誰か見なかったか?」
口にしている自身でさえ要領の掴めない言葉だが、纏まらない思考ではこれが精一杯。それを受け「誰か……」と小さく呟いたピエトロだったが次の瞬間あ!と驚声を上げた。
「そういえば皇宮の侍女がいたよ。こんなところに用事ないはずなのにね」
問いただす前に消えたし、と続けられた言葉に思わず手の力が強まる。宮殿から離れたこの宿舎に侍女が入ることなど、通常あり得ないのだから。
「その女の特徴、何か覚えてないか」
「服装は他の侍女と同じだったからなあ……あ、黒髪だったのは覚えてるよ。あと他の侍女に比べて動きが軽そうに見えたことくらいかな」
その発言でふと脳裏に蘇ったのは、公爵会議終了後のとある一幕。
あの時、会議室の掃除の最中に足早に去っていった侍女の髪色は、黒ではなかったか?
「ソル、警護の時お前の横を通った女の髪色、覚えているか」
「え、確か黒髪、──っ!!」
ありきたりな髪色である以上それだけを判断基準にするわけにはいかない。普段の冷静な頭ならそう考えることが出来ただろうが、陛下に害が及ぶかもしれない懸念のせいで判断力が鈍ってしまっていたのもまた事実。
「ルア、とりあえず先に報告しに行くぞ、侍女から話聞くのはその後だ」
「っ、お前は関わっていないのに、巻き込んで──」
「謝んな俺も同罪だろ!」
耳鳴りがするほどに怒鳴られたことで思考が僅かばかりの明瞭さを取り戻す。
そうして遠目に大きく聳え立つ宮殿に向かい、二人は一心不乱に足を前に動かしたのだった。
──コンコンコンッ。
「入れ」
室内から聞こえた低い声を受け執務室のドアを開ける。肩を上下させる自身らに対し陛下とルーク様は僅かに瞠目していたものの、それを気にする余裕などない。
そのまま机に向かっていた陛下へと1、2歩足を進め、次の瞬間にはソルと同時に膝をつき地面に伏した。
「陛下、大変申し訳ございませんでした」
「どうした、何の真似だ」
突然頭を地面につけた自身らに対し困惑混じりの声が届く。しかしなおも平伏していれば「とりあえず顔を上げてくれ」と宥める声でおずおずと上体を起こした。が、身体に変な力が加わり呼吸が苦しい。
「何があったのか教えてくれ。謝罪はその後で聞こう」
説明を促す声で僅かに自由を取り戻した喉元が空気を取り込む。それにより混乱していた思考が纏まっていく中、何とか簡潔に説明するべく口を開いた。
「先日受領した手紙を紛失したことについて、報告に参りました」
「……大神官宛のあれのことか?」
「左様です」
一瞬、ほんの一瞬だけ陛下が瞠目したのが目に映る。しかしその光景を脳が認識する前にいつもの表情に戻った彼はルーク様と目配せをし、明らかに硬さを含んだ声でこちらへと言葉を落とした。
「最終確認は」
「今朝、訓練場へ向かう前が最後です」
「……大体4時間、といったところか。失くしたのか盗られたのか、どちらだ」
詰問するような口調に思わず身体が強張る。そしてその尋問内容もまた、確定事項でないために口籠るには十分なもの。
しかし抽斗の底に隠していた以上、勝手に無くなることは絶対にあり得ない。
「……おそらくですが、第三者の手に渡ってしまったものかと」
「……なるほど。しかしあの手紙が重要なものだということは分かっているな?」
「はい」
そう返事をし再度頭を床に擦り付ける。ただ『相部屋だから』というだけで咎から逃れられないソルには申し訳ないことをしたが、最早どうにも出来ないこと。
「如何なる処罰も覚悟の上です。なんなりと」
そうして部屋に重い沈黙が訪れること、10秒。
「ほら、私の言った通りでしょう?」
「ああ、流石は俺のルイだな」
不意に耳を打った、この場に似合わぬ明るい声。背中に伝う冷や汗も大きく脈打つ左胸も全て他人事にさえ感じさせるその声色に意識が若干遠のきつつ、ただただ自身らの処遇をその声に任せることしか出来なかった。