表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/36

シセン


部下は人波に紛れ、遊園地の入口から足を進めた。

混雑する通路の中、突然飛び出してきた子供を避けようと身を躱す。

だが、他の人にぶつかりそうになり、振り向こうとした瞬間、子供は親に声をかけられ、すぐに対応されてしまった。

相手を確認する間もなく、部下はそのまま上司の座るベンチへと向かう。

賑わう声が絶えない遊園地で、男たちは距離を置いてベンチに座っていた。

お前に任せてた件、今まで通り取り引きしてもらえるようになった。

部下は軽く頭を下げ、意思を示す。

上司は短く言葉を返す。

「その必要はない。これは会社の総意だ。今回の件に当たる前に伝えた通りだ」

上司は、言葉を出さずに頷く。

間を置き、倉庫の件に目を向ける。

「借りた倉庫は……どうだったか」

部下は少し息を整え、言葉を選ぶ。

「私達の倉庫と大差はありません。ただ、やはり一番の違いは治安でしょうか」

上司は静かに頷いた。

「なるほど。本当にそれだけか? 他に問題はなかったか」

部下は一瞬、視線を床に落とす。

指先が軽く震え、声を出す前に小さく息を吐いた。

そして覚悟を決めるように目を上げ、上司に視線を合わせて低く告げる。

「実は……裏の者が現れ、倉庫を乗っ取られました。ただ、警察沙汰にはしないと約束させました」

部下の申し訳なさそうな態度に、上司は小さく呟く。

「あいつらが、言葉通りに従ってくれたらいいな」

言葉は部下に向けられず、視線は人混みに流れる。

その様子を、部下は静かに観察する。

小さく息を整え、自然に視線を人波の方へ向ける。

目の前を行き交う恋人や家族は、皆、あいつの言うEMFの向こう側にいるのだろう。

俺たちはどうだ――

この境界を、越えられるのか。

だが、思考を割く場面じゃない。

そう自分に言い聞かせて、

彼は視線を人波の中へ戻した。


……お前は、あっち側に戻りたいと思ったことはないのか。


部下は、すぐには答えなかった。


人波の向こうを一度だけ見て、

それから視線を戻す。


「ありません」


言葉は短く、迷いもなかった。


上司はその言葉を受け、部下に一度だけ目を向ける。

だが何も言わず、視線を再び人込みへ向け直した。


遊園地の喧騒は途切れない。


二人の間にだけ、言葉を必要としない沈黙が残っていた。


二人の視線は、同じ方向を向いていながら、重ならない。

それで十分だった。




一滴の水滴が落ち、波紋が産まれる。


……今?


指先が、冷たい縁に触れた。

「……もしもし」

返事を待つように、間を置く。

「急ぎじゃない。聞ける時でいい」

声が、わずかに低くなる。

「アレは俺が持っている。だから、気に留めるな」

そこで一度、息を吐く。


「折り返しは、いらない」


彼は、そこで声を止めた。




「……ずいぶん、早かったな」


背後でも、前でもない。

山の中に、声だけが混じる。


「道、迷わなかったか」

彼は小さく息を吐いた。

「今回は、案内が良かった」

栗鼠はひと鳴きすると、肩から跳び降りた。

それを境に、見えない気配がゆるやかに遠ざかる。

二人が揃ったことで、

安心した名残がわずかに残り、

森は元の静けさを取り戻した。

山奥の人物は、それを見届けてから口を開く。

「……まだ時間は平気だろう。ここだと、身体に差し障る。場所を移そう」

「呼ぶのが、早かったな」

二人は言葉を交わさないまま、歩き出した。

足元を気にする必要はなかった。

ここでは、道はいつも向こうから寄ってくる。

「今回は、静かだな」

「お前が来たと、分かったからだろう」

内と外の境がほどけたあたりで、

行き交う気配の中に、彼の足取りが溶ける。

いくつかの目が向けられたように思えたが、

それ以上のことは、起こらなかった。

主はそれらを気に留める様子もなく、歩みを止めない。

いつしか、彼の歩調もそれに揃っていた。

主は足を止めることなく、一つの家へと彼を導いた。

戸を閉めると、外の音はすぐに遮られた。

火の気配が、室内に均してある。

主に導かれるまま、彼は卓のそばに腰を下ろした。

ほどなくして、飲み物が前に置かれる。

彼が器に口をつけた、その時だった。

「今日は、泊まって行かぬか」

彼は、呼ばれる気がしていた。

ここへ来たのは、答え合わせのためだ。

器の中身を確かめるように、一度だけ目を落とす。

考えは、そこまでで止まっていた。

主は、その返しを待っていたようでもあった。

返答が終わる前に、向きが変わった。

主と彼のあいだに、わずかな間が生まれた。

誰も、それを詰めようとはしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ