夜、深く
「ごめん。大丈夫? どこか怪我してない?」
余所見をして歩いていた従業員が、凛にぶつかってきた。
「大丈夫。怪我してないよ」
「なら良かった。私、急いでて……本当にごめんなさい」
そう言い残し、従業員は颯爽と消えた。
凛は視線を戻し、厨房に目を向ける。
教えてもらった舞という女性の姿がない。
首を左右に振り、きょろきょろしていると
――
「あなたは……誰を探してるのかな」
声をかけてきたのは、舞だった。
凛はしゃがんだ体勢から立ち上がり、舞へ向き直る。
「あなたが来るのを待ってたの……舞さん」
予想だにしない言葉に、舞が戸惑う。
「わ、私!? なんで私を待ってたの」
凛は伝えようとして――言葉を選べず、俯いた。
そんな凛の様子を見て、舞はなんとなく事情を察する。
「何か……私にお願いがあって来たの?」
舞の声は柔らかい。
凛は頷く。けれど、肝心なことが言えない。
「お願いがあるなら……話してくれないと」
凛は両手を握った。指先が震える。
「パンを……テンの作った……パンを……下さい……」
「あぁ……そういうことだったのね」
舞は息を吐き、凛の顔を見た。
「あいつは……私に言えば貰えるって言ったのよね」
凛は不思議そうな顔で、こくりと頷く。
舞は少し考える素振りを見せてから言った。
「ついて来てくれる?」
凛は舞の後を追う。
途中、冷蔵庫に入れておいた器を取って――走って追いかけた。
─────
「どんな感じかな。売れ行きの方は」
一階の様子を見ていた爺さんに声をかけ、テンは対面に座り直す。
「見ての通りじゃよ。今回は、どのくらい作ったんじゃ」
「あぁ。今回は五十個くらいかな」
テンの返事は冴えない。
「それより、凛が……姉さんを探してるって話は本当か」
話題を変えるように、テンは訊いた。
「みたいじゃな。じゃが、わしは何も知らんよ」
「知ってたら、いつも通り話しておるしな」
「それに……既に、ジン達が調べてるんじゃないのか」
爺さんは的を射貫くように言う。
「だとしても、あいつらが事実を話すとは……限らないだろう」
テンは反論するように言った。
「それでも、待ってるんじゃろ」
爺さんは笑わない。
「事実を話す……その刻を」
テンは言葉を失った。
そこへ――二人の空気などお構いなしに、嬉しそうに現れる凛。
足取りが、リズムを刻むように軽い。
「その様子だと、上手くいったみたいだな」
テンは凛の満面の笑みに、思わず笑ってしまう。
「爺さん。お代は……いくらだ」
「お代などいらんよ。いつも通り、お主の作品の売り上げは頂くからのう」
爺さんはそう言って笑った。
─────
そして、今宵の晩。
いつも通り、対面に座って食事をしていると――麗が口を開く。
「ねぇ……今日、Polarisに行った?」
「行ったけど。それが何か」
「ならさ。今日出た限定品、食べた?」
「ネットで話題になってて、食べ方も紹介してたのよ」
期待の眼差し。
「食べてないよ。なんで俺が食べるんだよ」
期待は、そのまま失望に変わった。
「限定品が出ても食べないなんて。あんた、何の為にケーキ屋に行ってんのよ」
麗は感情を隠さない。
「俺は、爺さんに会いに行ってんだけど」
テンは平然と退ける。
麗は呆れた顔をしたが、まだ確認したいことがある。
「なら、その限定品を作った人は見たわよね」
「その人なら居たけど、どうでもいいだろう」
「……どんな人だった? 男……それとも……女性」
テンは億劫そうに「男だよ」とだけ答え、先に食べ終わった食器を持って台所へ向かった。
シンクに置こうとしたところで、麗が歯切れ悪く言う。
「ちなみに……さぁ……」
「ないよ」
テンは一蹴した。
「なんで! そこは普通、買ってあるよって言うのが普通でしょ」
「あんたには女心が分からないわけ」
失意をぶちまける麗に、テンは言った。
「代わりと言ってはなんだけど、デザートがあるから。これで機嫌直してくれ」
片付いた自分側のテーブルに、デザートの皿を置く。
「俺は、これから母屋に行くから。食べ終わった食器はシンクに置いておいて」
「あと、バニラアイスは冷蔵庫にあるから。好きにどうぞ」
テンは一度台所に戻り、容器のような物を持ってくる。
「鍵閉めて行くから」
そう言って家を出た。
一人残された麗は、呟く。
「なによ……これじゃあ、私が悪者じゃない」
そして、黙って食事を続けた。
─────
屋敷の広間に着いたテンは、通りかかったメイドに声をかける。
「忙しいところごめん。ジンと爺さんはどこにいる」
「お二人なら、先程……書斎の方に行かれましたよ」
テンは礼を言い、持ってきた容器から一つ取り出して渡すと、書斎へ向かった。
─────
「彼女を調べた所────の妹に間違いないかと思われます」
「そうか。それで、あれから関わりは」
「こちらからは……ございません」
「ですが……公にしていませんが、秘密裏に捜索していた節があり、数日前に打ち切ったとの情報もございます」
「連絡は……いかがなさいますか」
椅子に座るジンは、机の上に置いた手の人差し指を立て、口元に当てた。
――その仕草の直後。
「もう、話は終わりなのかな」
テンが書斎の扉を開ける。
「随分、深刻そうな会話みたいだな」
「お前……どこまで聞いていた」
ジンが睨みつける。
「どこまでって。この部屋は防音仕様だろ。どうやって聞くんだよ」
「そもそも部屋の改造には、お前も携わってるんだからな。構造を知らないとは言わせない」
テンも睨み返す。
「なら……いいが。何しに来たんだ」
テンは容器を高らかに掲げた。
「お供え物を持ってきてやったぞ」
「では、私がお預かりしましょう」
爺さんが近づく。テンは渡すと、容器を手放したまま部屋を出た。
そして、書斎にはジンと爺さんだけが残る。
─────
「で、本当の目的はなんだ」
先に口を開いたのはジンだった。
「まあ……そうなるよね。最近、唯姉に関して気になる点があったりするか」
「そんな抽象的な言い方する必要ないだろう」
ジンは全てを見透かすように言う。
「なら、最近……唯姉が思い詰めるような事がなかったか」
空気が変わる。声色も変わる。
「そんな事は、普通に暮らしてても一つや二つ誰にでもあるだろう」
「皆が皆、お前みたいに能天気ではないんだ」
「これでも納得しないのなら、お前が養ってやればいいだろう」
ジンの言葉は冷たい。
「いずれにしろ、傍に居られる刻は……そう長くないぞ」
意味深に言い残す。
「そっか。まあ……本人が後悔しないのなら、止めはしないよ」
テンは呑気に返した。
そこへ、タイミング良く爺やが現れる。
「先程、頂いた物をお持ちしました」
「んじゃ、俺は帰るかな。それは二人で食べてくれ」
その言葉に、ジンは何も言わない。
テンは爺やと入れ替わるように書斎のドアへ向かい、ドアノブに手をかける。
「そうだ。凛だけど……メイドとして一人前に仕事が出来るようになったら、ウチで住み込みにしてくれないかな」
「解った。考えておこう」
テンはドアノブを押し、通路に出る瞬間――付け足すように言った。
「あと、凛の奴……姉さんを探してるみたいだぞ」
「そうなのか。調べておこう」
テンはジンの姿を一度だけ確認し、黙って去って行く。
テンの気配が完全になくなると――
「これで……良かったのですか」
先に口を開いたのは爺やだった。
「言いたい事は解っている」
ジンはそう言う。けれど、拭い切れない葛藤が残る。
いずれ斃されるのは、覚悟している。
それでも、約束を違える事は出来ない。




