仮面 - 無言の取引
朝を迎え、ホテルをチェックアウトすると、テンたちは目的地へ向かった。
しかしどことなく、テンの表情は疲れているように見えた。
その一方で、朝食を取ったばかりにも関わらず、凛はお菓子を食べている。
その姿を見ていると、今朝の出来事が思い出される。
一緒に出掛けると聞かない藍に、ぎりぎりまで朝食を取っていた凛。
昨日買ってきた服などは、すべてテンが宅配の手続きを済ませていた。
そんなことを思い返しながら凛を見ていると、視線に気づいた凛が声をかけてくる。
「お菓子……食べたいの? 少し食べる?」
気を利かせてくれたのだろうと思い、テンは思わず笑みをこぼした。
「大丈夫。ありがとう」
そう言って、凛の頭を撫でる。
それから少しして、近くにいた二人組に道を尋ねるため声をかけた。
「お話中すみません。少し伺いたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」
「はい? 何でしょうか」
「この辺りに……農園という場所があると思うんですが、このまま道なりで合っていますか」
そう尋ねた途端、二人は顔を見合わせた。
「確かに合っていますよ。でも、今は行かない方がいいです」
苦笑いしながら、そう答える。
不思議に思い、テンは理由を尋ねた。
「実はですね……この辺りではあまり見ない黒塗りの車が、あなたたちの向かう農園の方へ行ってしまって」
その言葉に、テンは頭を抱え、ため息をついた。
「ちなみに、その車はどれくらい前に通りましたか」
「そうですね……十分、十五分前くらいかしら」
テンは二人に礼を言い、忠告を聞かず農園へ向かった。
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「だ・か・ら」
大柄な男が声を荒げる。
「娘さんが帰ってきているか聞いているんですよ。いるなら出してもらえますか」
「何度も言っていますが、娘はここ何年も帰ってきていません。お引き取りください」
「他のお客様の迷惑になりますので」
「えっ……聞こえませんな。早く出してもらえますか」
「ここにいるのは分かっているんですから」
「早く出さなあ……他のお客さんがどうなっても知らんよ」
「言われるが花、ってね」
「だ・か・ら!」
女性は語気を強めた。
「ここには居ないと何度も言っているでしょう。これ以上脅すような真似をするなら、警察を呼びますよ」
「こちらは穏便に済ませようとしているのに、警察を介入させるなら実力行使に出るしかありませんね」
「俺は、別にどちらでも……」
堂々巡りのやり取りが続いていた。
その間にも、男の連れたちは直接手を出さずとも、他の客に迷惑をかけ続けていた。
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「ここって、農園だよな」
「なんか、知能の低い猿がたくさんいるなあ」
場の空気を読まず、男が割って入る。
「ねえねえ。そこの大柄なお兄さん」
「あそこの猿たちのボスだったりします?」
「まさか、そんなわけないですよね」
「品がありそうなのに、あの猿たちと同じ格好だと、品を疑われますよ」
「だから……服、早く変えた方がいいですよ」
一方的に話す男。
大柄な男は一瞬黙り込み、やがて口を開いた。
「そうか……兄ちゃん。忠告ありがとうな」
「礼のついでに、これももらってくれや」
振りかざされた拳が振り下ろされる。
しかし――
「お前……人の忠告を無下にするんだな」
片手で止められる。
そのまま拳を包むように握り込む。
「この代償は高くつくぞ。覚悟しろよ」
睨みを利かせる男。
「とりあえず、この敷地から出ようか」
「他のお客さんの迷惑だしね」
「ほら、お山の大将。子分たちを呼んで」
「ついてくるように」
「ふざけんな。なんで俺が――」
「だって、お前……」
「俺の手、外せないだろう」
掴まれた拳を振りほどこうとするが、びくともしない。
「やめておけ。無駄だ」
「力を入れるほど、痛い思いをするのはお前だぞ」
「このまま大人しく、子分たちを誘導しろ」
テンは側にいた女性へ向き直る。
「とりあえず、こいつらは俺が預かります。ご迷惑おかけしてすみませんでした」
「片付けたら、改めて伺います」
そう言って男を連れ出す。
側にいた女性は、目が合うと会釈し、駆け足で後を追った。
子分たちも次々とついて行く。
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敷地を出てしばらく歩くと、公園に着いた。
テンは足を止める。
「凛。そこにいて大丈夫か」
凛の位置は、テンを先頭に数えて三番目。
男と子分たちに挟まれていた。
それでも凛は言った。
「大丈夫。気にしないで」
テンは男の拳から手を離した。
「もう、あの農園に手を出すな」
「あんなことをしても瑜伽さんは喜ばないし、探している物も手に入らない」
「そうか……分かった」
男はあっさりと踵を返す。
だが凛とすれ違う瞬間、足を止め――
次の瞬間、凛の背後に回り、首に腕を回した。
「お菓子……食べたいから、あまり締めないで」
呑気な声だった。
テンは複雑な表情を浮かべる。
男は抵抗されないことをいいことに、腕の力を緩めた。
「凛ちゃん。お兄ちゃんの側にいた方が良かったんじゃないかな」
「これじゃあ、足手まといだよ」
子分たちが笑う。
当の本人は、変わらずお菓子を食べていた。
話が進まなそうだと判断し、テンが口を開く。
「で、こんなことして何がしたい」
「お前、俺たちが何を求めているか知ってるような口ぶりだったな」
「言ってみろや」
「うーん……言ってもいいけど、言質が欲しいな」
「その言質がもらえるなら答える」
「この女の解放か?」
「それはいらない」
「今後、あの農園および雲類鷲楓に関わる人物に、一切手を出さないと言質が欲しい」
「いいだろう」
男は要求を復唱し、所属と名前を名乗った。
「ありがとうございます。言質が取れてよかった」
テンはSDカードを取り出す。
「お兄さんたちが楓を探していた理由は、これを回収するためですよね」
「その中身……見たのか」
「見てない。でも、態度で分かる」
「盗撮してたんだろ」
「顔だけ加工して売りさばいてたってところか」
「瑜伽さんも、舐められたものだな」
「関係ない! 俺たちは出来心で……」
「誰もいないと思って話してたら、聞かれていた」
「文句言える立場じゃないのにね。馬鹿な子分ども」
数人が動揺した。
「そのSDカード……」
「いいよ。壊してあげる」
目の前でチップを破壊するテン。
男は笑い出した。
「ははは……証拠がなくなった」
「さっきの言質も、俺たちしか聞いていない」
「分かるか? 何を意味するか」
「まさか……無効だなんて言わないよな」
「そのまさかだ」
強気に言い放つ男。
それを聞いたテンは――
額に手を当て、ゆっくりとうつむいた。
まるで、
絶望したかのように。




