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夢と知りせば 第二章  作者: 七瀬あきら
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第6話 つくもをぬひて「智積院」

東福寺からタクシーで約5分。京都国立博物館や三十三間堂のすぐ近くに位置する智積院は、東福寺と同様美しい青もみじで溢れていた。


「東福寺も広かったですけど、ここもめちゃくちゃ広いですね……」


右を見ても左を見ても、境内が果てしなく続いている。寺院というよりは、まるで大きな自然公園のようだ。どこから見ていいのか分からずきょろきょろしていると、間崎教授が「まずはこっち」と誘導してくれた。


受付を済ませたわたしたちは、すぐそばにあった「収蔵庫」という小さな建物に足を踏み入れた。


「長谷川等伯は知っているでしょう」


「はい、日本史で習いました。確か、安土桃山時代に活躍した絵師ですよね」


「その等伯の描いた絵がこれ」


「えっ」


示された方向を見ると、そこには教科書に載っていたものとまったく同じ、豪華絢爛な障壁画が飾られていた。


「すごい、きらびやかで素敵です……」


金箔をふんだんに使ったその障壁画は、数百年前に描かれたとは思えないほどの美しさを保っていた。「桜図」に描かれている力強い大木も、「楓図」に描かれた草木も、教科書で見たものより何倍も美しく輝いている。


「教科書で見るのとまた違うでしょう」


「本当ですね。撮影できないのが悔しいけど、写真に撮ったら迫力がなくなっちゃうんだろうなぁ……」


こういう時、写真というものの限界を感じる。昔に比べたらだいぶ画質も向上したけれど、目の前にあるものの迫力までは写せない。特に絵や彫刻などの美術品なら尚更だ。写真に撮るとどうしても、実際に見た時より感動が薄れてしまうような気がする。わたしは首から下げたカメラを、慰めるようにそっと撫でた。こん様がわたしの心境を察したように、もふもふの尻尾を揺らしている。






収蔵庫を出たあとは、五色幕が鮮やかな講堂を抜けて、大書院へと移動した。こんなに晴れているのに人の姿は見えない。桜がひと段落したから、みんな家にこもっているのかもしれない。今の時期こそ、人混みもなく、落ち着いていろいろなところを見てまわることができるのに。


大書院には先ほど収蔵庫で見た障壁画の複製が飾られていた。この場所を独占できる喜びに、心が震える。そして庭には、サツキとツツジが色鮮やかに咲き誇っていた。


「わぁっ、すごくきれいなお庭!」


「そうでしょう」


声を上げたわたしを見て、教授が満足そうに微笑んだ。


「東福寺でも少し咲いていましたけど、やっぱりサツキやツツジってかわいいですね。お庭とすごくマッチしています」


「この庭は中国の盧山と長江をモデルに作られているんだよ。土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘ると同時に、山の中腹や山裾に石組みを配すことで変化をつけているんだ」


「本当に、お庭ってどこも素敵ですよね」


わたしはいつもと同様カメラを庭に向けようとして――ふと、手をとめた。


「どうした?」


「いえ、その……」


わたしの異変を察したのか、教授がすぐに顔をのぞき込んできた。わたしは逃げるように目を伏せた。


「どれだけ上手に写真を撮っても、結局実際に目で見るのには敵わないんだよなぁ、って思って……」


どこからか小鳥がちゅんちゅんとさえずる声が聞こえてきた。さわやかな風が頬を撫で、わたしの汗を乾かしていく。写真に残せるのは視覚情報だけで、聞こえてきた音や感じたことまでは残せない。それに加えて、壮大な自然や芸術の迫力は、写真に撮れば消えてしまう。そう考えたら、少しだけさみしい。


「逆に、写真に撮った方が実際よりよく見えることもあるだろう。それに……写真を見て、その場所に行きたいと思う人もたくさんいるんじゃないか」


「そうですよね、そうなんですけど……」


わたしはうーんと呻いた。隣を見ると、教授がちょっと困った顔をしている。もしかしてわたし、今、慰められているのかもしれない。しまったな、悪いことを言ってしまった、と後悔しながらも、わたしの心はなかなか晴れない。


わたし、これでいいんだろうか。去年と同じように写真を撮って、満足して。それだけで、本当にいいんだろうか。


「教授って、わたしの写真どう思いますか?」


「は? 何をいきなり……」


「もっとこうした方がいいとか、気になるところとかありますか!?」


わたしが食い気味に詰め寄ると、教授はますます困ったように身を引いた。悪いと思いつつも、今聞いておかなければいけない気がする。お寺の説明をしてくれる時はあんなに流暢なのに、自分の専門ではないからか、教授はなかなか口を開いてくれない。めずらしく考え込むように顎に手をあて、真剣に思考を巡らせている。


「私は専門家じゃないから、アドバイスなんかできないよ」


「それでも、何か意見がほしいです。今まで撮った写真で、あれはちょっとだめだったな、みたいなのがあれば」


「そんなものは特にない」


「えっ……あっ、そ、そうですか」


わたしは途端に恥ずかしくなって、前のめりになっていた体を元の位置に戻した。あれ、もしかして今、褒められたのかな。教授にそのつもりはないんだろうけど、ちょっと嬉しい。


「だが、向上心があるのはいいことだ。そうだな……確か雲龍院に行った時に、写真の撮り方に悩んでいただろう。室内と外の明暗の差、だったか」


「あ、そうです。白飛びしないように撮るのが難しくて……」


去年の秋、雲龍院に行った時のことを思い出した。障子窓から椿・灯籠・楓・松がのぞく「しき紙の景色」を撮影する時、カメラの設定がうまくいかなくて苦労したのだ。なんとか調整できたからいいものの、あの時から自分の技術はさほど向上していないような気がする。


「今年は、ゆっくり自分の写真と向き合う時間を作るのもいいんじゃないか。去年よりは少し余裕ができたでしょう」


「そうですね。新しいカメラもほしいと思っているし……バイトを続けて、カメラを買って、もっと写真の質を上げられるように頑張りたいと思います!」


「期待しているよ」


意気込むわたしを瞳に映して、教授はふっとやわらかく微笑んだ。


そうだ、今年の目標はこれにしよう。写真と向き合い、写真技術を向上させる。そうしたらきっと、もっときれいな写真を撮ることができるし、教授も喜んでくれるだろう。


わたしはようやく下ろしていたカメラを構え直した。サツキとツツジが溢れた鮮やかな景色を瞳に映す。この美しさが、写真を見た人の心に届くよう、願いを込めてシャッターを切った。

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