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夢と知りせば 第二章  作者: 七瀬あきら
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第4話 食薦(すごも)敷き「花の」

2回生になって1ヶ月ほどが過ぎると、新しい講義にも徐々に慣れてきて、春休みの間に失われていた生活リズムも整いつつあった。


全学部共通の科目しか履修できなかった1回生の時とは違い、2回生からは文学部の専門科目も数多く履修することができる。受験勉強をしている時は、勉強というものは大学に合格するための単なる手段で、「おもしろい」と感じることは少なかったのだけれど、やはり自分のすきなことを深く知ることができるのは楽しい。京都にやってきて1年。いろいろな場所に足を伸ばして、歴史や文化を見て回るうちに、日々の勉強に対する姿勢も変わっていった気がする。こんなことをみっちゃんに言ったら、「琴子、真面目だねぇ」なんてちょっと引かれそうな気もするけれど、間崎教授の言葉を借りるなら、「今しかできないことをたくさんしたい」のである。


充実した日々を過ごす一方で、わたしは教授から言われた言葉について考え続けていた。


――何か一つやりたいことを見つけ、それを成し遂げてみなさい。


平安神宮に行った時からずっと頭を悩ませてはいるものの、そう簡単には思いつかない。大学に入るまでは受験勉強で精一杯だったし、去年は新しい環境に慣れることに必死だった。このまま時の流れに身を任せていては、去年と同じ1年になってしまう。


何か、新しいことがしたいな。部屋でパソコンを開きながら、わたしはぼんやりと考えた。パソコンの画面には今まで撮った写真がずらりと表示されている。金福寺、三室戸寺、貴船神社、光明院、宝ヶ池公園……。どれも自分では満足のいく出来栄えだし、教授だって褒めてくれた。こんなに素敵な写真を撮ってくれる「Canon EOS 6D」は、わたしの自慢の相棒だ。


それでも、ふと思うことがある。


「カメラ、買いたいな……」


もちろんこのカメラに不満はないのだけれど、やはりそこそこ年季が入っている。これはこれで置いておいて、もう1つくらい新しいカメラを手元に置いておくのもいいかもしれない。京都をたくさん撮影するうちに、そう考えることが多くなった。


しかし、そうなると問題はお金だ。実家からの仕送りはすべて生活費で消えてなくなるし、さすがに大学生にもなって両親におねだりをするわけにもいかない。どうしたものか、と息を吐き、大きく伸びをした瞬間、脳裏にとある考えが降りてきた。


そうだ。

バイトをしよう。






それから2週間後、午後5時半。


東大路通を自転車に乗ってまっすぐ進み、よしもと祇園花月の手前を右に曲がる。そのまま狭い路地裏へと入ったわたしは、邪魔にならないよう道の端っこに自転車を停めた。風で乱れた前髪をちょっと整えてから、「花の」というぽっと明かりが灯った小さな店の扉を開ける。


「おはようございます」


挨拶をすると、カウンターの向こうにいる店主姉妹から同時に「おはよう」と声が返ってきた。もう夕方なのだけれど、ここでは常に「おはよう」だ。初めて出勤した時に大きな声で「こんばんは! 御坂です!」と叫んだら、冷静に「おはよう」と返された。それ以来、いつでもおはよう。日が沈んでもおはよう。


荷物を置いて半袖シャツに着替えてから、先にまかないをいただく。小皿におばんざいが6つ。お刺身や肉じゃが、筑前煮など、健康的なものばかりだ。先に食べていると、「おはようございます」と先輩がやってきた。わたしは軽く会釈をして、ふたりでもごもごしながらまかないを食べ進めた。飲食店のまかないは仕事が終わってから食べるところが多いと聞くけれど、ここでは仕事が始まる前にいただけるので嬉しい。


「花の」は祇園にあるおばんざい屋さんで、大学生協のバイト紹介ページで見つけたお店だ。応募してすぐに面接という名の顔合わせがあり、その翌日から働き始めることになった。生協には他にも家庭教師やカフェなどいろいろな募集があったのだけれど、花のを選んだ理由は簡単、料理が1番おいしそうだったからだ。


カウンターにはおばんざいが盛られた器がずらりと並んでいた。おばんざいとは、京都で昔から食べられてきたお惣菜、すなわち家庭料理のこと。こんにゃくのきんぴら、山ぶき煮、むかご煮、干し大根のハリハリ漬……など、花のでは毎日メニューが違っていて、それらはすべて店主姉妹の手作り。ひとり暮らしだとなかなか健康的な食事ができないので、こんなに栄養バランスの整ったまかないを食べられるだけで、バイトを始めた価値があるというものだ。


まかないを食べ終え、自分のお皿を洗い終えると、わたしの仕事がスタートする。まだ新人なのでお皿洗いがメインだ。ただお皿を洗うだけだけど、これがなかなか気を遣う。お皿同士をぶつけてはいけないし、洗い残しがあってはいけない。一つ一つの動作を丁寧に。洗い物がない時でも、手を休めてはいけない。戸棚やガスコンロのまわりを隅々まで何度も拭いたり、お皿の直す位置を覚えたりするのだ。バイトを始めたばかりのわたしには、やることがいっぱいだ。


「御坂さん、ちょっと手伝ってくれる?」


「あっ、はい」


先輩に声をかけられて、わたしは慌てて水をとめた。先輩は同じ大学の工学部3回生だ。バイト歴は約2年で、新人のわたしにも優しくいろいろと教えてくれる。


「あそこのお客さん、メニュー見てるから注文聞いてきてくれないかな? お酒作らなきゃいけなくて」


「わ、分かりました!」


わたしは大きく返事をして、ボールペンとメモを手に持った。注文を取りにいくのは初めてだから、少し緊張する。幸いテーブルは二つしかないし、店内もお客さんは1組だけだ。きっと先輩が、あえてわたしに行かせてくれたのだろう。


「ご注文、お決まりでしたらおうかがいします」


なるべく自然な笑顔を浮かべて、メニューを眺めている男性に声をかけた。男性はメニューを指差しながら、


「糸こんザーサイと、さわらの西京漬と、あと、小松菜とおあげのたいたん」


「タイタン?」


聞き慣れない単語に、思わず聞き返してしまった。お客さんがふしぎそうな顔をする。わたしは慌てて「かしこまりました!」と返事をして厨房に戻った。


「先輩、たいたんって何ですか?」


注文を伝えてから、お酒を作っている先輩にこっそりと尋ねた。先輩はああ、とうなずいて、


「たいたんって、京言葉で煮物のことだよ」


「煮物?」


「京都の言葉っておもしろいよね。他にも『にぬき』がゆでたまごだったり、『おぶー』がお茶。あと、『むしやしない』は軽食のこと。俺たちの大学だと地方から来てるやつらが多いから、意外と方言って聞かないよなぁ」


「ほほぉ……」


確かに、みっちゃんも地元が東京だから標準語だし、そういえばわたしのまわりに生粋の京都人っていない気がする。そのせいだろうか、京都に住んでいるわりに、京言葉もあまり聞いてこなかった。そういえば教授も方言を使わないけれど、出身地ってどこなんだろう。知り合って1年も経つのに、相変わらず教授に関しては知らないことだらけだ。


できあがった料理をテーブルに運んでから、わたしは再びお皿洗いに戻った。たいたん、にぬき、おぶー、むしやしない。今までお寺や神社ばかりに注目していてあまり意識してこなかったけど、京都って言葉もおもしろいんだな。言葉だけじゃなく、ならわしとか、食べ物とか。あたりまえだけれど、京都って、寺社だけじゃないんだ。言葉も食べ物も、全部ひっくるめて「京都」なんだ。そういう京都らしさを、一つでも多く知っておきたいと思った。


「御坂さん。お客さん帰るから、靴出してくれる?」


「はい」


先輩の一言でお皿洗いを中断して、靴棚にしまってあった靴を入り口に並べた。お会計を終えたお客さんたちが満足そうに立ち上がり、「ごちそうさま」と言いながら靴を履いていく。


「こういう時、京都の言葉で何ていうか知ってる?」


隣にいた先輩が、こっそりとわたしに耳打ちした。わたしはちょっと緊張しながら、


「……おおきに!」


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