表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢と知りせば 第二章  作者: 七瀬あきら
1/24

第1話 春の盛りに「哲学の道」

小説に登場する場所は、全て実在している場所になります。


忙しさというものは、五感を鈍くするから、いやだな、と思う。


1年前のことをふと思い出し、わたしは読んでいた本から顔を上げた。窓から差し込む春の日差しが部屋の中を白く光らせ、わたしの体すらも、その光の中に沈ませようとしている。四角い窓からは今にも透けてしまいそうなほど儚げな水色の空が広がり、悠々と泳ぐ魚のように、白い雲がたゆたう。読みかけの本にしおりを挟み、うんと伸びをしてから腰を浮かせた。体に取り巻くまどろみを振り払い、テーブルの上にあるカメラをつかんで首に下げる。先についている白いきつねのストラップが、喜ぶように左右に揺れる。


ああ、もう、行かなくては。






外はあたたかな陽気で満ちていた。春は、パステルカラー。道端に咲く花も、歩く人々の服装も、冬の重たさを取っ払ったように軽くって、心がポップに飛び跳ねる。


大学に入学したばかりの頃。引っ越しや慣れないひとり暮らしにあくせくしていたわたしは、光のやわらかさにも、透けるような空の色にも、気づくことができなかった。忙しさは五感を鈍くする。鮮やかな花にも気づかずに、小鳥のさえずりすら聞こえずに、花の香りすら届くことなく、食事はいつもコンビニで済ませて、感じるのは疲れだけ。そんな廃れた生活をしていたから、だいすきなカメラを持ち出す気力もなく、モノクロの景色ばかり見ていた気がする。


一乗寺から琵琶湖疏水分線に沿って進んでいくと、どんどん人が増えていった。みんな、今しか見られない景色を見るためにやってきたのだ。花のような笑みをたたえて、大切な人と手を繋いで、短い盛りを目に焼きつけている。


哲学の道。そう名づけられたこの小道には、薄桃色の桜並木が続いていた。雪のようにはらりはらりと風に舞い散り、わたしの視界をまだら模様に染め上げる。去年は見ることのできなかった景色。見ようとすら思わなかった景色。桃色の雲の上に浮かんでいるように、心がどんどん上昇する。一歩進むたび、春の海に沈んでいく。


大学に入学してからの1年、いろいろなことがあった。茂庵で新緑の美しさを知り、川床料理のおいしさを味わい、紅葉の鮮やかさ、雪の儚さを心に刻んだ。京都に来て、まだ1年。だけど、今まで生きてきた18年よりはるかに濃く、充実した時間を過ごした。


桜並木を歩いていくと、ひとりの男の人が立っていた。茶色がかった髪を春風になびかせて、眼鏡越しに桃色の桜を見上げている。慈しむように、愛するように、恋い焦がれた桜を享受している。


あなたの瞳がわたしを捉える。桜を眺める時と同じように、やわらかな表情でわたしを迎える。わたしは静かに微笑んで、あなたの元へと歩いていく。


――春は、始まりの季節。


これから先、見たことのない景色がわたしを待っている。春の桜が、夏の緑が、秋のもみじが、冬の雪が、早くおいでと急かしている。明日の瞳に映るのは何。明後日生まれる想いはなぁに。わたしたちはまだ知らない。わたしたちにはまだ見えない。


さあ、これからふたりでどこへ行こう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ