第一話 ③
八時前にダイニングに向かうと、すでにお父様とお母様が席に着いている。
お父様はいつものように珈琲を飲みながら新聞を読んでいて、お母様は紅茶を口にしていた。
うわー……。
笑みを浮かべているけれど、内心うんざりしていた。
もう少し早く来ればよかったわ。
お父様より遅く席に着くと、嫌味を言われるのよね。
「お父様、お母様、おはようございます」
二人の前に立った私は、ドレスの裾をつまんで左足を下げ、右膝を軽く曲げて挨拶をする。
「エミリア、おはよう」
「おはよう。座りなさい」
「はい」
お父様の許しを貰って、初めて座ることができる。
声は不機嫌そうだけど、今日は嫌味なしかしら?
「エミリア、今日は何時に起きて勉強をした? 私たちより遅くに来たということは、まさかギリギリまで眠っていたのか? 随分余裕だな。そんなことで未来の王妃が務まると思っているのか?」
はい、やっぱりきたー!
「まさか、四時には起きました。勉強に集中していたもので、来るのが遅くなってしまっただけです」
「まあ、当然だな。しっかりと頑張りなさい」
「はい」
来るのが遅くなったって言っても、十分前には来たわ。
お父様とお母様が来るのが早すぎなだけよ。
歳を取ると早起きになるっていうのは本当だったのね。
にっこりと微笑みながら、心の中で悪態をつく。
これくらいは許して貰いたい。
「おはようございます」
さっきよりも薄い紅茶を飲んで空腹を紛らわせていると、八時ぴったりにハンスお兄様がやってきた。
「ああ、おはよう」
「ハンス、よく眠れた?」
「はい」
三歳年上のハンスお兄様、次期ラクール公爵になる人だ。
艶やかな黒髪に海のような青い目の美丈夫で、社交界に出るたびに令嬢たちからの熱い視線を浴びている。
まだ婚約者がいないから、何度縁を取り持って欲しいと頼まれたことか……。
お父様は早く良家と婚約を結ばせたがっているけれど、お兄様が乗り気じゃないのよね。どうしてなのかしら。
ちなみにお兄様……と言っても、実の兄じゃない。
お父様とお母様の間には、私、そして妹のカタリーナしかいない。カタリーナを生んだ数年後にご病気を患い、子供を産めるお身体ではなくなってしまった。
でも、後継ぎとなる男児が必要ということで、お父様の妹……叔母様の家に生まれた次男を養子にすることにした。
その方こそハンスお兄様、つまりお兄様は私にとっての従兄だ。
「お兄様、おはようございます」
「……ああ」
お兄様は目も合わせずに、小さな声でぶっきらぼうに答えて私の隣に腰を下ろす。
うーん、相変わらず嫌われているわね。
お兄様が養子になったのは十歳の時、私は七歳だった。その頃からこんな感じ。
目も合わせてくれないし、会話を振っても必要最低限の答えしか返ってこない。理由はわからないけれど、嫌われている。
私が気付かないだけで、何かしてしまったのかも……。
それにしてもお父様、お兄様が自分より遅く来ても不機嫌にならないのよね。まあ、それはカタリーナもだけど。
私は、ジャック王子の婚約者、未来の王妃、だからこそ厳しくしているのだ。不満に思ってはいけない。
王妃になって恥ずかしい思いをするのは私、そしてそれはラクール公爵家の顔に泥を塗ることになる。厳しくされて当然のこと。
家族全員が揃ったら、食事を始めることになっている。でも、十五分を過ぎてもカタリーナが来る気配はない。
ううっ……お腹が鳴っちゃいそう!
紅茶で空腹を誤魔化していたけれど、そろそろ胃が『水分じゃなくて、固体をよこせ!』と騒ぎ出した。
目の前に食事が並べられて、美味しそうな香りがしているから余計に辛いわ……!
大人しくして! もう少しだから! と心の中で宥めながら、紅茶をもう一口飲んだ。
私が必死にお腹の音と戦っている中、お父様は読み終えた新聞を執事に渡し、柱時計をチラリと見た。
「おい、カタリーナはまだ起きていないのか?」
「カタリーナお嬢様は、先ほど起きられました。もう間もなくいらっしゃるかと」
「何? 時間通りに起きられないなんて、どこか具合が悪いわけではないだろうな。医者を呼んだ方がいいか?」
「いえ、昨日本を読んで夜更かしをされて、なかなか起きられなかったようです」
「そうか。全く、仕方のない子だな」
「ふふ、本当に」
お父様とお母様は顔を見合わせ、柔らかな笑みを浮かべる。
カタリーナは朝に弱くて、時間通りに来ることはほとんどない。
「おはようございます! みんな、お待たせしてごめんなさいっ! 寝坊しちゃって」
私のたった一人の妹、二つ年下のカタリーナ。
お父様譲りの濃い金色の髪は、本当は真っ直ぐな髪質だけど豪奢に巻いてある。目は私と同じ菫色、お父様の特徴を色濃く引いているけれど、顔立ちはお母様そっくりで愛らしい。
この世の可愛いものをすべて集めて作られたような女の子、それが私の自慢の妹カタリーナだ。
「毎朝のことだろう?」
「もう、お父様ったら、意地悪言わないでっ!」
カタリーナが私の左隣に座り、私と目が合うとニコッと可愛らしい笑みを浮かべた。彼女を見ていると、自然と笑顔になる。
天使のような子、カタリーナを知る人は誰もがそう話す。
「じゃあ、いただこうか」
お父様の合図と共に、食事を始める。
少し冷めてしまっても、焼き立てのパンはほんのりと温かい。
持っているだけで幸せな気分になり、口に入れればもっと幸せな気分になる。
美味しい――……!
「そんなに夢中になるなんて、何の本を読んでいたの?」
「魔法使いが世界中を旅するお話よ。今、幅広い年代の中ですごく流行っているんですって。お母様も読んでみて! もうすぐ一巻を読み終わるところなの」
華やかで愛らしいカタリーナが入ってくると、場の空気が一気に明るくなる。
「そうね。読んでみようかしら」
「ええ、お母様も絶対に先が気になって、夜更かししちゃうんだからっ」
「そうなったら、私がとめないといけないな」
お父様とお母様は、カタリーナを溺愛している。
目に入れても痛くないという様子で、二人が彼女を可愛がっているのを見ていると、ほんわかと胸が温かくなる。
表情も変わらないし、何か言うわけでもないけれど、お兄様もきっと同じ気持ちに違いない。
だってカタリーナを好きにならない人など、いるわけがないもの。
「お母様の後は、お姉様ねっ!」
それはもちろん、私もカタリーナのことが大好きだから。
「そうね。見てみるわ」
本当は本を楽しむ余裕はない。でも、カタリーナのお勧めなら読みたい。
「エミリア、お前は小説を読む時間などないだろう。そんな時間があれば、少しでも勉強しなさい」
「そうよ。来年にはもうジャック王子の元へ嫁ぐのだもの。時間はいくらあっても足りないのよ」
両親からの総攻撃を受けた。
まあ、そうよね……うん、わかってた。
「はい……」
「酷い!」
私が返事するのと同時にカタリーナが声を荒げ、涙を浮かべる。
「カタリーナ?」
「いくらジャック王子の婚約者だからって、厳しくしすぎよ! お姉様はこんなに頑張っているのに、少しの息抜きも駄目なの? そんなのあんまりだわ……」
菫色の目から、大粒の涙が次から次へと溢れ出す。
「カタリーナ、泣かないで。私は大丈夫よ」
なんて優しい子だろう。カタリーナの気持ちが嬉しくて、私まで涙が出そうになる。
こんな良い妹がいて、私は世界一幸せな姉だわ。
「ほら、エミリアも大丈夫だと言っているだろう?」
「そうよ。カタリーナ、泣かないで」
お兄様がハンカチを差し出し、家族全員でカタリーナを慰めた。でも彼女は首を左右に振って、涙を流し続ける。
「お父様、お母様、お願い。お姉様に一日お休みをあげて」
「何?」
「いつも頑張っているお姉様と一緒に、街に出かけたいの。私がいつもお友達と遊びに行くように、お姉様とも可愛いお店でお茶をして、一緒にドレスやアクセサリーを見て、楽しく過ごしたい。お姉様にも楽しいって思っていただきたいの!」
「しかし、エミリアは今日も予定が……」
そう、カタリーナの気持ちは嬉しいけれど、この後は語学やマナー、ダンスの授業もあって予定はぎっしりだ。
教師の皆様も名家の方たちで、忙しい間を縫って来ていただいているのだから、急に予定は変えられない。
現に高熱を出した時ですら、流行り病ではないからと解熱剤を飲んで予定通りに授業を受けた。
そういえばあの時もカタリーナは、私のことをすごく心配してくれたわ。
お父様とお母様は体調を崩すなんて自己管理がなってないって怒って、カタリーナはそんなお二人に『具合が悪い時に怒るなんて酷い!』と泣いて、一晩中私の傍についてくれたのよね。
本当に優しい子、天使みたいな子だわ。
「お父様、お母様、お願い……っ! 私、この先の誕生日プレゼントも、クリスマスプレゼントもいりません。だからお姉様にお休みをください」
涙ながらに懇願するカタリーナに心を動かされた両親は、なんと私に今日一日のお休みをくれたのだった。
すごい。お休みを貰えたのなんて、病気でどうしても起き上がれない時以来だから……もう何年ぶり? 思い出せないわ。
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