三.白山にあへば光の失する(2)
放課後、美月と二人で特別棟三階に向かう。階段を上がる最中、美月が、
「シュータさん。実は今日、重大なお知らせがあるのです」
と言った。笑顔だったので、どちらかと言うといいニュースらしかった。もし未来に帰ることになりました、なんていきなり告げられたらどうしようかと不安だった。
「実は未来との通信が改善してきたので、映像交信も可能になったんです。ですからお金問題等もだいぶ解決できました」
「そりゃおめでとう。ってことはホテル住まいに戻るの?」
美月は首を振る。三階に到着。階段前の生物室へ。
「そう提案したのですけど、みよりんさんが駄目って。私としてもやはりあの方との生活は楽しいのでこのままでいいかなって思うんです」
美月は綺麗な笑みを浮かべる。ともかく美月に居場所が出来たのは良かったなと思った。だが、それだけじゃなくてミヨが寂しい思いをしなくて済むのも嬉しかった。あれ以来、やっぱりミヨの家族のことはどうしても気に掛かるからな。部室の入り口に着いたところで俺がドアを開けてやる。美月はペコっとお辞儀をして入室した。
「こんちわ」
一番乗りだったらしいノエルが座ったまま片手を挙げて挨拶をした。あ、ちなみにノエルってのは綾部のニックネームだ。由来は知らない。美月がいつの間にかそう呼んでいた。尋ねたところ、その前にミヨが「ノエル」と呼んでいたっぽい。ミヨには訊いてないから結局その由来はわからんが、呼びやすいしいいだろう。ミヨも適当に付けたに違いない。
「ノエルくん、こんにちは。みよりんさんは?」
「まだっすね。きっと、もうじき来ますよ」
四人でこうして集まるのは何回目になるのか。まあ五回くらいだろうか。俺も美月もノエルと同じテーブルにつく。黒板前のテーブルってのが暗黙の定位置になったらしい。
「みよりんさんが来たら、私たちの時代のオペレーターと通信して会話してみませんか? こちらとしても紹介しておきたいので」
ああ、美月の幼馴染みとかいう、いけ好かないヤツか。別に喋りたいとは思わんが敵情視察と思って面会くらいはしてやろうぞ。
「美月先輩以外の未来人と話せるなんて面白いすね。色々気になるかも」
ノエルがそう言いながら、チョコビスケットをつまむ。
「彼は、うーん。ちょっと……まあ仲良くしてくださいね」
何だそれ。美月にしては歯切れ悪いな。ノエルがビスケットをパリポリ噛んで、
「そう言えば、シュータ先輩久し振りっすね。ここ四日くらい来てなかったから」
そうだな。正確には三日だが。
「シュータさんだって忙しいですものね」
美月のフォローはありがたいが、そういうわけでもない。単に早く帰ってドラマやアニメの録画を消化して寝たかっただけだ。ノエルが三枚目のビスケットを口に運びつつ、
「来て欲しいっすけどね。面白いじゃないっすか、先輩方」
先輩に向かって面白いって。この部活はいつも何をしてるんだ。
「そうっすね。昨日は室温二十八度にエアコンは要るか要らないかの論争をしました。主に俺とみよりん先輩の間で。結論は、扇風機があれば大丈夫ってことで」
くだらんなあ。湿度や時間帯にもよるだろう。
「一昨日は確か、EPRパラドックスについて先輩二人から説明を受けました」
何だそのパッパラパードッグってのは。新しい犬種か。
「犬種に『ドック・犬』という語句が入るのは日本の犬くらいっすよ。違います。EPRパラドックスです。アインシュタイン、ポドルスキ、ローゼンの頭文字を取って付けられたものです。俺は本で読んだのですが理解できなくて、優秀な先輩方に教えを乞うたわけです。要は情報のテレポートに関する逆説です。今日では解消されたとされていますがね」
文系の人間にそんなコト聞かせるな。ノエルは美月にビスケットを一枚差し出す。
「先輩にもわかりますよ。ある粒子を分裂させます。1と2に。1と2は双子の粒子です。そこで1を観察すると、角質量保存の法則により2の位置と運動量は正確に割り出せます。たとえお互いが宇宙の端と端に存在してもです。でもそれはおかしい。本来、量子学では観察の前から観察結果が確定していることはあり得ない。1の観察結果を2がリアルタイムで反映するとするならば、宇宙の反対にいるお互いが光の速度を超えて情報をやり取りすることになる。矛盾です。光の速度を超えることは無いとされていましたから。でも実際はあり得ている。ここで光の速度を超えた情報のやり取りが可能だと言えます。したがって量子テレポートも可能って話に……なるんだかならないんだか。色々訊いてたんです」
大層なことだね。冨田の持論よりは遥かに社会のためになりそうだ。
「シュータさん、ぼーっとされてますよ」
隣に座る美月が俺の顔を覗いていた。
「人には向き不向きがあるからさ。ホットドッグより、俺はそのビスケットに興味がある」
「食べたかったんすね」
ノエルは笑って袋を差し出す。あと二枚しかないじゃんか。仕方なく一枚でいいやと俺が手を伸ばそうとしたとき。ドタン、バコンとドアが開けられた。あんまり丈夫そうなドアではないぞと忠告してやろうと思ったが、やめた。ミヨだったからな。
「やーっと終わったわ!」
そう叫ぶとミヨはドシドシ歩み寄って来て、俺の前の席に座った。
「何が終わったんだ」
誰も何も言わずニコニコしているだけなので、俺が代表して尋ねた。
「掃除よ、掃除。清掃当番なの。なんで掃除なんか高校生にもなってやらされるのかしら。しかもホウキ掃除って。魔女じゃないんだから今時ホウキなんて古めかしい物使わせんじゃないわよ。掃除機くらい用意しときなさい。こっちは高い授業料払ってんのに!」
「どうでもいいが、その一枚は俺のビスケットだ。なーに勝手に二枚もつまんでやがる」
ミヨは荷物を置いて喋りながらも、しれっと俺の目前のビスケットの袋を手繰り寄せていた。スリ師か。
「一枚ならくれるんだ?」
「俺のじゃない。ノエルから許可を貰え」と俺が一枚食べると、
「ふーん、アンタのじゃないの。ノエルくんいいかしら?」
なぜ俺の物には許可が要らないと思っているんだろうね。ダブルスタンダードだ。
「あ、美味しいわね。でも、本日のメインディッシュはこっちじゃないでしょ、美月」
ミヨは美月に振る。こいつも未来との交信というイベントがあるのを知ってたのか。だから急いで掃除終わりに来たんだな。
「では早速してみますか? 皆さん楽しみにしてくれているようなので」




