二.深き心ざしを知らでは(14)
「はあーあー」
夕暮れの校門付近でたむろする二年生の三人組。その一角、ミヨが盛大な溜息を吐いた。さっき生徒会室前で再会してからずっとこんな調子である。
「坂元は、今どこなんだ?」
俺はそんなミヨを放っておくワケにもいかず、気に掛ける素振りは見せておく。
「電話したけど出なくてさ。多分おうちじゃないかな。今日は元々欠席してたのよ。お昼になって夢遊病にかかったみたいに学校に来て、事件を起こしたんだと思う。今は情報化能力を持ってないから、学校には来てないことになってるんじゃない? たぶん」
「ふうん」
俺はそれから何を言ってやればいいかわからなくなって、黄昏れてしまった。「黄昏れる」とは夕陽を見てぼんやりするって意味ですよ。
「勉強になります……ところでみよりんさんは何が不満でいらっしゃるのでしょう?」
こっちは美月との小声の会話である。美月はお行儀良くバックを肩に掛け直立していた。
「お友達が悪事を働いていたのがショックだったのでしょうか」
ミヨの悲しみの理由、本当にわかってないんだ。わからないかもな。美月は優等生だし、劣等生だと感じる坂元の気持ちなんてさ。言い方がちょっと悪かったが、でも事実そうだろう。美月が付いて来ても、たぶん解決には役立たなかったはずだ。正反対の人間とまでは言えないが、立場は結構違う。
「誰かと比べることでヘコむことはよくあるんだ。競争の無い未来人には、わかんないか」
美月は考えを巡らせるように視線を彷徨わせる。言うかどうか悩んでいるらしい。少ししてから、こちらを上目遣いで見て言った。
「その、これは言わないつもりだったんですけど、ありますよ。私にもそういうこと」
そりゃあるにはあるよな。照れてる姿が可愛かった。あと夕方が似合うね。
「今日、シュータさんにノートを借りましたよね。私、自分の字が下手なのが恥ずかしかったんです。この時代に来て、仮名文字も漢字もアルファベットも初めて書きました。ですからシュータさんにノートを見せてもらったとき、シュータさんの字は私よりずっと上手で自分の字を見せるのは決まりが悪いと思ってしまって。あの場で写してしまえば良かったのですが、どうもできませんでした」
一応言っておくが、俺の字は特別上手くない。冨田の字と並べたら顔真卿の書に見紛うかもしれないが、ミヨのホワイトボードに書かれた字と比べたらね、凡人だろう。
「あとはお箸も、人前で使うのは憚ってしまいます。素直に『慣れてない』と言えばいいのです。でも見栄が邪魔するのでしょう。ふふ、馬鹿みたいですね」
俺は美月の食事を思い返す。昨日の昼はカレー。今日の昼はパン。箸を使うのは自分で選んでなかったんだ。
「皆、あるんだよ。コンプレックスとか、そういうの」
俺はそんな誤魔化しを言ったが、心中ではかなり反省していた。美月には劣等感なんてわかりっこない、なんてさっきまで思っていたのだからな。そんなハズなかった。皆、何にも考えないで生きているように見えて、実際悩んでいるらしい。それってあんまり表層には出て来ないものなんだろう。坂元は昨日の感じでは、ただの明るい盛り上げ役っぽい雰囲気だった。だが妹と比較されること、家族関係に苦しんでいた。ミヨも行動力のある変わり者でエネルギッシュなヤツという印象だったが、親と離れて暮らすイレギュラーな家庭環境を持っていた。実際に打ち明けられなきゃ理解できないこともあるもんだ。じゃあ、俺自身はどうなのかと訊かれると、ずいぶん暢気な性格のようで、としか答えられない。一番の悩みって何だろうな。……あれだな。
「美月、今日の宿はどうすんだ?」
美月は苦笑を浮かべた。俺の家に泊めるのはもちろん吝かではないのだが、不眠症によって一カ月もしないうちに死にそうである。母の目もあることだし。
「宿って何よ」
どうやら聞こえていたらしく、ミヨが質問する。ああ、色々あってだな、まず——。
「私、この時代に家が無くてですね、昨晩シュータさんの——」
「家に泊まったの⁉」
ミヨが絶叫する。あーあ。言っちゃダメだろ。美月は口を塞ぐ仕草をしているがどう考えても遅い。ミヨは美月の肩を掴んで細っこい身体を前後に揺する。
「え、え、ホント? もうシュータとアツアツな夜を過ごしちゃったワケ? 見かけによらずガンガン行くタイプなのねー、感心しちゃうわ」
「おい、放してやれ。わかってると思うが、俺と美月は潔白だぞ」
「そ、そ、そうです! 私とシュータさんは、何でもないんですから……」
なぜ尻すぼみになるのかとも、何でもないは言い過ぎだろうとも思ったが、俺はこれ以上余計なことは言わない。目の前のミヨは全く信じる様子も無く、ニヤニヤしてるだけだからな。言うだけ墓穴を深く掘ることになる。ミヨは、
「そういうときは、膝枕とかハグまではしたけどそれより先はしてません、っていう方が説得力あるのにー。ふふふ。美月、照れちゃって可愛い!」
「だって、事実は事実ですもん」
そんなトートロジーも虚しく、ほっぺを膨らます美月はミヨに散々愛撫されていた。
「それくらいでやめてやれよ。あの、美月。今日は悪いけど泊められないよ」
ミヨに抱き付かれたままの美月はしょげた雰囲気で頷いた。う、罪悪感が。
「いいですよ、元々無理を言っていたのはこちらですから」
「なら、うちに泊まったらいいじゃん」
ミヨの一言に救われた。ミヨは笑顔で美月に語りかける。
「私の家は私しか住んでないんだもん。たまーにママとパパが帰って来るけどね。だから美月を泊めるだけなら全然不可能じゃないわ。美月がシュータとのハネムーンを捨ててもいいって言うなら、うちに来なさい! 私も可愛い同居人が欲しいし」
それを聞いた美月は華を咲かせられるほど眩しい笑顔を見せた。
「ありがとうございます。本当によろしいのですか? なら、ぜひ、ホテルの宿泊費が送金されるまでは——」
「そんな水臭いことは言わないの! この時代にいる間はずっと、いいでしょ?」
美月は俺の方を一度見やってから承諾した。そういや、美月はいつまでこの時代にいることになってんだ? 訊いてなかったな。
「もし泊めてくださるならトイレットペーパーやティッシュ、シャンプーなどの消耗品は配送しましょう。物質をコピーして構成する技術はふんだんに使えますので」
もちろんミヨは喜んでいた。なんだ、美月を匿うとそういうオプションがあったのか。手放したのは惜しかったかな。
「ありがと。代わりに私は、美月に字も箸も家事全般も叩きこんであげる! シュータもその方がいいでしょ? 賛成してくれる?」
ミヨは俺の目を覗き込んだ。どの部分にこいつは同意を求めたのか。そりゃ家事スキルが美月に十全に備わったら、俺レベルの男が卒倒するくらいのパーフェクトガールが誕生すること間違い無しだ。とりあえず美味しいお味噌汁が作れるようになった段階で一報を入れておいてくれ。何かの折で美月にささっと出されたら心停止しかねない。
「さっきから何言ってんのよ。家庭的な子が好みなワケ?」
ミヨは訝るようなしかめ面。まあ、美月を頼んだぜ。
「うあ、マジか!」
ガサゴソッという物音。山中ならクマ出没の音だが、どうやら校門付近のツツジの茂みに人が突っ込んだ音らしかった。三人でそっちを見ると、茂みから出て来た者がいた。
「ども、お待たせしました」
綾部だった。瞬間移動で草むらの中に登場したらしい。頭に花びら載ってるぞ。
「いやあ、移動を他人に目撃されるわけにいかないので、こうして見えない場所に」
だからってツツジに突っ込まなくても。ごめんなさい、環境美化委員の方々。
「綾部くんも来たってことで、皆、帰りましょう!」




