二.深き心ざしを知らでは(10)
「わ、ほんとに着いたわね。もうパソコン室前だ」
ミヨは驚きに目を見張っている。俺も同じくビックリだ。ここは確かに昨日訪れたパソコン室の目前だったのだから。廊下では情報化とやらが少しずつ進行しているが、まだ足場が結構残っている。相変わらず校舎は不気味なピンクの光と黒い影のコントラストで彩られていたが。
「すいません。パソコン室の中に入ったことは無いので部屋の前になってしまいました。ドアを開けて入りましょう」
いよいよこんな事態を引き起こしたアホと対面できるわけか。とっととケリつけて帰ろうぜ。俺はドアを引いて「どうもー」と入室しようとした。が、しかしだな。
「何やってんのよ、シュータ。早く開けなさいよ」
「鍵が掛かってるぞ、これ」
押しても引いてもビクともしない。まさか横開き戸ってわけでもあるまいな。
「じゃあ、体当たりして開けなさいよ。定番じゃないの。ミステリーとかで密室の部屋に入るときは、大人の男がタックルしてドアを破壊すんの」
そうは言ってもだな、どうやらこれは金属の重厚な扉だぞ。どっちかって言うと俺の肩の骨がヒビ割れそうだ。我が身を案じていると、将来有望な少年が挙手した。
「俺が何とかしましょうか? 一応、去年まで空手やってて黒帯です」
「すごいじゃない! シュータの百倍役立つわね。ここは一任するわ」
後輩にあっさり信頼度で抜かされた。構わないがこいつはマジで頼りになるな。ってゆうか、俺はミヨを背負ったままドアをぶち抜くなんて不可能に等しいだろう。綾部はドシンと一発足裏で蹴りを入れてこっちを振り返る。俺は正拳突きを予想していた。
「半日かかるっすね」
ダメだろ、それじゃ。そのときミヨが俺の鼻をつまんだ。
「シュータ。あれ見なさい。何か落ちてるわ」
ミヨが足元を指差す。俺が屈んで目を凝らすと、ある物体がそこには落ちていた。薄暗い校舎の中でも近付けば、鈍く光りを反射するこれがバールだとわかった。バールだぞ。釘抜き。なぜこんな所に落ちている。これならドアをこじ開けるのにテコの原理を使えば有用かもしれない。だが、もう一回言うぞ。なぜ都合よくこんなものが落ちてる?
「丁度いいじゃない! 綾部くん、それ使って開けて」
「これなら期待が持てそうだ」
綾部はバールを拾い上げるとそれを戸の隙間に差し込み、グイと押す。ドアはその箇所だけ変形し、その作業を繰り返すことでドアの隙間が広がっていく。
「この向こう側に敵がいるんだろ? もし体長八メーターの化け物ならどうする?」
「八メートルもあったら教室内で立てずに寝そべるしかないはずだから平気よ。そうじゃないわ。私にはね、何となく見えていたの。恐らく向こうにいるのは——」
ドタンと物音がする。歪んで建て付けが悪くなったドアを綾部が蹴り倒した音だった。俺は教室内から薄気味悪い妖気がまろび出てくることを思い描いていたが、実際は室内のしんと静まり返る冷ややかな空気が緩やかに流れ出て来ただけだった。俺は無警戒にも歩いて潜入する。相手は捜すまでもなく見つかった。たぶん実習のときに教師が座るのであろう最奥の席でこちら向きに座る女子生徒。細身で眼鏡。知ってるやつだな。
「やっぱ、アンタだったのね。坂元ちゃん」
応答しない。やがて生気が抜けたようにガタガタガタとキーボードを叩き出す。どう見てもまともな理性を保ってそうにない。ヒトってよりロボットみたいな動きだ。
「坂元が今回の原因か。あいつ、大丈夫かよ」
俺が言うと、ミヨは落ち着き払った声音で答える。あいつはお前の友達だったな。
「シュータ、坂元ちゃん知ってるの? まあいいわ。見ての通り、大丈夫なわけないでしょ。彼女がこの惨状を生み出しているのは確実。そしてそんなことは生身の人間には到底不可能。つまり、あの子も私たちと同じく超能力者、美月がもたらした異変なのよ」
そういうことか。綾部が何かに気付いたようにこちらへ寄って来る。
「あの、坂元先輩は僕らと異なる点がありますよね。超能力を持っていても僕らは人格を保てています。しかしあの方は……」
「たぶん、坂元ちゃんは自身の能力があまりに強大すぎるから制御できてないのね。だから精神の方が能力のキャパに耐えきれずに人格が維持できていない」
それって暴走した結果、学校を破壊してるってことか。まだ坂元の明確な意思じゃないってのは救いかもしれないが、逆に言えば説得はできないってことだろう。
「色々試さない限りは何ともね。でも完全に理性を失っていないことに賭けましょう。今日は欠席してたけど、昨日までは普通の坂元ちゃんだったんだもん。シュータ、坂元ちゃんの所に連れてって。この件は私に預けてくれていいわ!」
俺は頷き、恐る恐る坂元の席へ歩み寄る。綾部は俺のすぐ後ろで死角を守っているつもりらしかった。坂元は二、三メートルの距離に来ても、俺たちに意識を向けることなくキーボードを叩いていた。ミヨの唾を飲む音が聞こえる。お前も緊張するんだ。
「坂元ちゃん。これはあなたの仕業よね? 一つ忠告。今すぐ中止しなさい」
無視。窓の向こうの淡いピンクが不気味な演出をしている。
「ちょっと手荒な手段に出るかもしれないわ。それは友達のよしみとして嫌だな」
無視。だけどこいつを羽交い絞めしたって、無事収束するのかどうか。
「私はこのまま元の高校生活に戻りたい。坂元ちゃんも学校好きだったでしょ?」
それが地雷だったのだろう。坂元はいきなりこちらを見上げると手をかざした。その手からはさっきまで嫌というほど見ていた黒いバグの塊が飛び出した。やべえ、顔面直撃かというところ、綾部が身を挺して庇ってくれた。ミヨ、「かばって」は「カバーリングして」の略じゃないぜ。
「綾部くん!」
「大丈夫っすよ、アララギ先輩。俺には全く効き目が無いようなので。俺やこの攻撃のことはどうかお気になさらず、想いをぶつけてください」
イケメンだな、一年坊主。俺とは月とすっぽん並みに違う。綾部は俺たちの斜め前方に立って次の攻撃を迎え撃たんと指をパキパキ鳴らしていた。




