二.深き心ざしを知らでは(7)
「あれ? 点かないですね」
俺のスマホを見た美月が言ったのかと思ったが違った。美月のスマホも電源が入らない。充電切れ? ついでに俺も。んなバカな話があるか。俺は確かにフル充電で登校したはずだ。ミヨは不審がって警察手帳のように自分の画面を見せてくる。っておい。
「どうしたのよ。電波なら普通に入るでしょ」
「お前の充電九パーだぞ」
ミヨは「うっそ」と確認する。確かにそのはずだった。昨日は俺だけだったが、今日は冨田も美月もミヨも? 偶然か否か。
「私、今朝百パーまで充電したわよ! ええ、きっとね」
「私も充電が原因でしょうか……。シュータさんの家で確実に充電したのですが」
美月さん、さらっと爆弾発言しちゃダメですよ。ミヨにバレたらどうなるか。だが幸いミヨは瞑想して本日の記憶を喚起しようと試みているらし——違うな。
「未来の啓示ってやつか?」
「ええ。ちょうど来ちゃって。すこーし静かにしててね」
ミヨは顔をしかめて首を捻り「何これ?」と呟いている。そして何度かリピート再生したのだろう、気付いたらしい。俺たちが死の間際にいたことに。
「美月、早く周囲に情報分解へのブロックをかけて! 今ここで、すぐよ!」
ミヨが切羽詰まった様子でまくし立てる。美月は状況を理解できずうろたえる。
「できるでしょ! このままじゃ空間ごと解体と上書きをされるわ。とりあえずここら一帯を情報の干渉から防御できる手段はないわけ? 現実の私たちが消えるわよ」
何の劇を始めたんだ、こいつは。だが美月は焦っていた。ノリノリだな。
「それはどれくらい先の時間ですか?」
「あと五分も無い!」
「余裕です。完全な防御網を張るなら時間を要しますが、十秒くださいね」
美月はその場にしゃがんで目の前に移っているであろうデジタル画面を操作する。なんだか、ただならぬ事態が進行中ってことはマヌケな俺にも理解できるが。
「何の催しだ、これは。ショートコントかな」
「いい、シュータ。よーく聞いて。正直あんたがわかるように説明する自信が無いけど」
説明する側に自信が無いなら無理だろう。一応聞くには聞くけどさ。
「まず、私たちは何者かの襲撃をこれから受ける可能性が高い」
何者か、ねえ。ミヨにはその相手の姿が捉えられなかったのか。俺は廊下の壁に背を預けようとする。すると、
「シュータさん! なるべく動かないでください!」
美月にものすごい剣幕で叱られた。動くって言っても三歩だぞ。そんなにヤバいのかよ。仕方なく元の位置に直立する。
「ふふ。美月は今、防御を固めてくれてるから、あんま余計な動きは見せないでね」
ミヨは怒られた俺が面白かったらしく口角を上げていた。
「ねえ、美月。私たちにも見えやすいように防御範囲を可視化してくれない?」
美月が頷くと、青色のドームが俺たちを包んだ。美月を中心に据えた半径五メートルほどの半球もしくは球体。この内側なら安心圏内と。
「隕石でも降って来んのか? それともUFO襲来?」
「違うわよ。この球体は内側の人間の情報化を妨げるのに必要なの」
ジョウホウカ。すまないが、情報化社会のジョウホウカだろうか。
「そのアホ面じゃ、何もわかってなさそうね。時間も無いんだけど簡潔にいくわよ」
「美月が言っていたことを思い出して。この世界の全ては二進数に置き換えられるの。どこに何があって、どういうエネルギーが働いているのかを情報として取り出すことでね。世界は数字の羅列で表せる。その数字からまた世界を再構成することも可能になる」
サッパリわからないんだが。それが今の状況とどう関係する?
「何者かがこの学校ごと情報化、それを改ざんしようと試みてる」
どうピンチなんだ? 情報化ってのは数字の羅列に書き起こすだけなんだろ。方法は知らんが。
「違うのよ。確かに情報化なら誰にも可能ね。『保健室が一階にある』『学校はつまらない』って言うのだって一応は情報だわ。でも私が危惧するのはその情報の改ざんによって現実が書き換えられること。例えばシュータ、あんたの視界の真ん中には私がいるわね。でもそれが、人じゃなくてガラスがあるっていう風に書き換えられたら? そうなると、あんたの目の前には私の上半身の代わりにガラスが浮かんでいることになる」
「いや、待て。それじゃ嘘を吐くだけで情報の改ざんができるじゃないか」
ミヨはうう、と窮する。反論はできるが面倒だという雰囲気。
「再現可能性があるかどうかが重要なの。嘘を吐いたら、確かに他人には間違った情報を与えて、聞いた人はシュータの前にガラスがあると思い込む。聞いた人の脳内では誤った映像が再現される。だけど、よ。現実は変わらない。実際には無いものなんだから。じゃあもし改ざんする人がそれを現実に反映して世界を作り変えられるとしたら?」
世界を思い通りに改変可能。無いものをあるように、あるものを無いように。物理法則も好きに変えられる。ゼロから付け足しも可能ってことか?
「だが、そんなの神様の所業だ。そもそも世界、この学校だけだったか? を情報化して数字いじくって、それを再現なんかできたら誰でもやっている。人間には無理——」
そこで気付く。人間には無理。例外が生まれる。高度な機械の力を借りた、未来の科学技術。あとは人間離れの超能力。ここ数日間で出会ってきたものたちだ。正直、そのどっちかなら何でもアリ。本当に厄介な世界になっている。今までの未来の科学技術も特殊能力も無い世界に戻りたい。
「そ、私が考えてるのはね、あんたが想像しているであろうことよ。美月がこの時代に来たことで異常が確認されてる。私とシュータね。だけど本当にこの二人だけかしら? きっとまだ他にも超自然能力を持ってるやつらはいるんじゃない? だから——」
「——っあ!」
ミヨの声が遮られる。叫び声を上げたのは美月だった。頭を抱えて床に突っ伏している。
「美月だいじょうぶ⁉ どうしたのよ。何かあった?」
ミヨが青ざめて駆け寄る。俺だって美月のピンチとあらば、中国大返し並みの勢いでもって馳せ参じたかったがそうもいかなかった。先ほどまで薄く覆っていた水色のドームの外。外の世界が一変しちまっていたのに気付いたからな。まず空の色がおかしい。生ハムみたいな薄気味悪いピンク色だ。よって校内も光量が落ちて薄暗くなった。——だけじゃない。校舎の壁や天井、床や窓など至る所がデジタルのバグ画面のように黒化して欠落している。世界の終末ってこんな感じだろう。戦慄が走った。やがて美月が声を発する。
「私は平気です。たった今、情報の干渉が始まりました。そのため私の体内のコンピューターを介して未来の研究所の者が何とか抵抗策を図っています。ですので、私自身に一時的に負荷がかかっている状況です。でも大丈夫。軽い頭痛程度です」
いや、それでも許せん。このチンケな攻撃をしているヤローに全力パンチを一発お見舞いしてやりたい気分だ。何なら殺意ってやつを初めて感じたね。
「シュータうるさい。美月、私たちはどうすればいいの?」
「やってもらわないといけないことがあります。原因である何者かを捜し出して無力化してください。お二人で。私はこの場を動けませんので」
待てよ。その「何者か」っていうスーパーアホ野郎はこの近くにいて、それを俺とミヨがぶっ飛ばす? それはいいが、美月を置いて行くなんて俺は反対票を投じる。
「私も。美月が動けないのはわかるけど置き去りにはできない。それにこの防御はどうなるの? 美月と離れて防御の範囲外に出たら死んじゃうじゃない、私たち」
「ご安心を。二人には防御をきちんと付与します。ですが私は行けないのです。この状態では動きに俊敏さを欠きます。それは危険です。ほら、色が黒く変色している部分が建物に見られますね。そこは防御を敷いていても耐えられない情報解凍プログラムが侵食しています。それを避けつつ校内を進むのはできません。一応校舎の原型は保持できるようこちらも努めていますから、どうかお二人は黒い部分に注意しつつ、探索と解決を」
美月は大粒の汗を流して力なく言う。こんなに辛そうなのに置いて行くのか、畜生。
「わかった。美月も危なくなったら逃げてね。でも一つ質問。どうやって相手を倒すの?」
美月は精一杯笑顔を見せた。話すのすらしんどそうだ。俺がもっと頼りになるならな。
「わかりません! 何とかしてください! シュータさんの機転に委ねます」
おいおい、笑えねーよ。ったく昨日と言い、今日と言い。
「ですが一つだけ。パソコン室に強力な情報の流れを感知できます。あるいはヒントになるかと。とにかく健闘を祈ります。どうかご無事で。あとお早めにお願いします」
こんな無理難題——やるっきゃねーな。




