二.深き心ざしを知らでは(3)
「だからさ、俺わかっちゃったんだよ。相手がどういう人か知りたいならこれを訊けっていう質問は『料理するの?』一択ってことにな。なぜなら——」
冨田は真面目くさったように言う。あらかじめ断っておくが、真面目に聞く必要は無い。竹本が帰りの支度をする間の繋ぎだ。俺は自分の机に頬杖をついて聞き流している。
「お待たせしました」
おお、竹本おかえり。準備できたか。ちょうどこの似非評論家の弁論に飽きてきたころだったんだ。こいつはモテないことに対する自己弁護のための講義をいつも半強制的に聞かせてくるから困っている。
「このあと二人で用事なのか?」
冨田は俺を睨みつける。俺と竹本は並々ならぬ仲で、アララギに会いに行くのだ。
「そう言えば、今日みよりんとも話してたって岡ちゃんから聞いたぞ。お前はどうして美人とばかりつるんでやがる! 去年から何にも変わってねえ」
怒ってるなあ。「みよりん」とはアララギのことだろう。あいつもモテるのか。
「アララギとは今日初めて話したよ」
「嘘丸出しだ。百歩譲ってそれはいいとして、竹本ちゃんとの関係を説明しろ」
「竹本さんが部活動紹介を見たいって言うから連れて行くんだよ。一年生歓迎会の中でやるだろ、あれの案内役をおおせつかった」
冨田が、その役はなぜお前なんだとでも言いたげな苦い顔を作る。
「ま、わりいな。お前は一人で帰ってくれ」
「真っ直ぐ帰るよ。スマホの充電切れちまった。人生って理不尽なくらい不条理だよな」
呆然とする冨田の視線を受けながら教室を出た。竹本を付き従えて。今は昼休みの時間。しかし、午後は一年生の歓迎会のため、部活のある生徒は部活に、無い生徒は帰宅ということになっていた。俺と竹本はアララギに呼ばれなかったらすんなり——竹本は帰る家が無いのでこの表現に該当しないが——おうちに帰れたのだ。まあしかしアララギの件を放っておくわけにいかない。あいつは時間の異常を察知していた。つまり俺と同じか、また別の能力、あるいは技術を所有している可能性が高いのだ。確かめずにはおれない。その前に昼食として、購買でパン買おう。
「おっそい!」
特別棟校舎三階、生物室に一人でいたアララギは、俺たちに向かって怒鳴りつけた。髪は下ろしている。体育仕様だったのだろう。とりあえず座らせろ。
「このテーブルで話しましょう。ほら、あんたたちはそっち側」
アララギは黒板の正面、四人掛けの席を指し示した。黒の四角いテーブルにはアララギの物と思われる弁当箱があった。竹本は隣、アララギは向かいに座る。アララギは不機嫌そうで、竹本は怯えている。俺は焼きそばパンを食う。
「ねえ、確認。アンタたち二人は昨日からの時間の異常について何らかの知識を持っている、間違いないのね?」
首を縦に動かす。こいつが時間の不規則を感知していたのは事実らしい。竹本は素直に驚いて、イチゴジャムサンドを食べ始めた。アララギは箸を取らない。
「そう、やっぱりか。時間がそっくりそのまま戻るんだもん、びっくりしてた。昨日の昼と夕方かな。ホントに自分の頭がおかしくなったのかと思った」
そりゃ、俺だって竹本の仕業と気付かなかったら精神病院をハシゴしていたに違いない。
「で、きちんと理由は話せるんでしょうね」
「その前にですが——」
竹本が割って入って来る。
「あなたは時間の流れがおかしい、それは誰かの工作によるものと考えています。しかし実際そういう思考になるでしょうか。相田さんも若干物分かりが良すぎる感がありましたが、あなたに至ってはまるで時間が戻ることが現実にあってもおかしくないと考えているかのようです。普通の人間はフィクションのような出来事に遭遇したとき、それをまず現実としては考えたがらない。そちらこそ、話すべきことがあるのではないですか?」
竹本の真剣なまなざしを受けたアララギは苦笑した。
「そうよね。私も話す。お互い様よ。じゃあ、まずは自己紹介といきましょう」
そう言うとアララギは席を立ち、テーブルの前にホワイトボードを運んでくる。黒ペンを俺に手渡した。自己紹介しろって? またトップバッターかよ。
「相田周太郎。六組……これ以外何か書くことあるか?」
俺は竹本みたいに紹介事項が多くない。アララギは弁当をつまみながら、
「そうね……座右の銘とか」
なぜそれが必要なんだ。俺にはそんなもん無い。
「無いの? あらそう。じゃあ『博覧強記』でいいわよ」
「お前、思い付いた言葉をテキトーに——」
「じゃあ次。そっちのカワイ子ちゃん」
アララギは俺からペンをひったくって竹本に渡す。竹本は当惑していた。どうしてこんなに可愛いヤツが「可愛い」と言われ慣れていないのだろうか。
「私は、竹本美月です。相田さんと同じクラスで、外国から転校して来たことになっています。ですが——」
アララギが目をキラキラ輝かせながら続きを促す。竹本は言いづらそうに打ち明ける。
「……西暦三千年代の人間です」
「へ……ウソ⁉」
アララギは餌付けされた鯉のごとく、その話題に食い付いた。竹本は昨日俺に向かって話したことの簡略版をアララギにも説明した。アララギはまともに聞いていたんだから大した人間だ。俺なんてまだ半分くらいしか理解が及んでいない。
「そっか。じゃあ、時間の流れがおかしかったのはそういう理屈だったんだ。なるほどね」
「他に付け加えておくべきことはありますか?」
「座右の銘」
それを訊いて何の役に立てようってんだ。
「私、日本語に疎くてですね……」
「なら『商売繫盛』ってことで」
「おい、四字熟語なら何でもいいってわけじゃないだろ。そういうお前の座右の銘は?」
アララギはにんまりと笑顔を湛えると、竹本からペンを奪い、ホワイトボードに書く。字が上手い。特に俺の文字の横に並ぶとさ。そういや竹本はボードを使わなかったな。それで、中央にどんと書かれた文字がこれ。「結果往来」。
「ええと、これは……そうですね、何とコメントしたものやら」
竹本は困惑している。ちなみにどう読んだら正解なんだ?
「決まってんじゃない。ケッカオーライよ」
やっぱり。ペンの尻で文字をコツコツ叩くアララギはどうも真面目だった。
「あのな、『オーライ』は漢字じゃない」
「オール・ライトの発音語ですよ」
「そうなの! 愕然としたわ。今まで周りの皆に言ってきたのに」
マジで驚いているらしい。大体『結果往来』はどういう意味だ。
「結果は行ったり来たりするもんだから気にすんな、じゃないの?」
「行ったり来たり」の部分がよくわからない。
「現代人が勝手に『往来』をカタカナにしたんだと思ってた! 『結果全権』が正しかったんだ」
それも違うだろ。『結果容認』とか『結果同一』じゃないのか。
「そんなのどうでもいいのよ。次は私の自己紹介でしょ。もうあんまり時間が無いの!」
なら最初から座右の銘の話題を喋るな。
「私は蘭実代。一組」
理系クラスだ。そしてこのとき俺は「アララギ」が「蘭」と書くことを初めて知った。
「クラスメイトとか友達は『みよりん』って呼ぶから、二人とも『みよりん』でいいよ」
竹本は困りながらパンを食んでいた。もう食い終えた俺は溜息を吐いてから言う。
「俺はそういうのに慣れてないから遠慮する」
弁当を片付けながら話すアララギはちょっとだけ眉を真ん中に寄せた。
「あのさ、さっきから思ってたんだけど二人ともお互いのこと『相田さん』『竹本さん』って呼んでない? よそよそしいわよ」
まあ確かにそう呼んではいるが、昨日初めて会話したばかりだしな。
「え、あ、そっか。まだ私たち初対面も同然なんだ」
アララギは思い出したように頷く。すると竹本が、
「お二人は前から面識は無いのですか? 相田さんは蘭さんのことをご存じだったような口ぶりでしたので」と俺に訊く。
「いや、今朝に知り合った」
「今朝?」と竹本は驚いた。まあ妙にアララギとは会話の波長が合っていたな。
「じゃ、この三人はほぼ初対面だったのね。なーんだ。それなら、呼び名は今から決めればいいじゃない。私は『みよりん』で文句無い?」
「……最大限譲歩して『みよりんさん』で」
「俺は『ミヨ』がボーダーライン」
アララギは大変不服らしかったものの諦めたようだ。理科室椅子の上で足を組んでから俺を指差した。
「あんたは『周太郎』だと長いから『シュータ』ね」
「……はあ、お好きにどうぞ」
俺は抵抗しない。冨田に「アイくん」と呼ばれても許す寛大な心の持ち主だからな。
「私は……しゅ、『シュータさん』と呼びます」
変じゃない? じきに慣れるか。竹本なりに配慮と努力をしているらしい。ミヨも執拗な敬語と「さん付け」に違和感を抱いているようだがそこにはツッコまない。
「んーと、竹本ちゃんは……美月!」
なぜ投げやりなんだよ。ちっとも捻ってこない。
「俺はどうすりゃいい?」
「でしたら、ぜひ『美月』と呼んでください。『竹本さん』よりずっと嬉しいです」
そう言って天女のような微笑みを俺に投げ掛ける。たった今「美月」に決めましたよ。
「うん、呼び名が決定したところで。私の自己紹介に戻ろうか」
「なあミヨ、まず時間のことに——」
「それを話すから大人しく聞いてよね。私はね、アンタと違って原因に心当たりがあるの」
ミヨは堂々と言い切る。心当たりがある、つまりは普遍的な時間の価値観が無い、イコール美月的変人。
「私はね、小さい頃から将来を予見できる」




