一.黄金ある竹を見つくる(17)
「ではいただきましょうか。お腹ペコペコです」
テーブルいっぱいに皿が並んだ。竹本は目を輝かせて笑みを浮かべている。微笑みをお供に酢飯を食えると思った。でも、せっかくなら美味しいご飯を食べようか。
「いただきます、で合ってますよね?」
「うん、いただきます」
割り箸を割って、醤油を準備してサーモンを食べる。竹本は俺の所作を観察してから箸を頑張って使ってマグロを口に運んだ。箸の使い方は後で教えてあげたい。どうかな?
「美味しいですね」
そうだろうとも。純粋にクラスメイトとの食事を楽しんでいると、注文した残りがやって来た。この注文した品を運ぶレーンを考案したヤツは天才だと思う。一回くらいなら寿司を奢ってやりたい。
「ほら、ウニだよ」
俺が差し出すと、面白いくらいに表情をひきつらせた。俺と似て、顔の上では素直だ。
「た、食べましょう」
竹本は割り箸で挟んでウニを持ち上げ、醤油にワンバン。口に運ぶ箸が、微動しているのがわかった。そんな、大量のワサビ入りと知っていて食べる芸人とは違うのだから。かくて綺麗な薄い唇にウニは吸い込まれ、数回の咀嚼。まずは眉をピクピクと動かした。あれ、まずいんじゃないか。そのままの表情で口を動かし、飲み込む。次は感想を言うだろう。緊張の一瞬。俺は固唾を飲んだ。
「あら、美味しい……」
全国のウニ業者さんにいい報告ができそうだ。俺は寿司を食べさせて良かったと思う。
「気に入ってくれたなら良かった」
「ええ。もう一皿頼みます」
竹本がタッチパネルに触れようと箸を置く。俺はネギトロを食っていたのだがレーンに流れている寿司が目に入った。
「あ、竹本さん。カリフォルニアロール食べない?」
竹本は驚いて顔を赤くした。
「相田さん! 私のこと、からかっているでしょう」
何のことかと思ったが、竹本はカリフォルニア州から来た設定になっているのだった。自分で考えた設定が今になって恥ずかしいらしい。
「いいじゃないか。美味しいよ。カリフォルニアの味」
「次言ったら、ちょっと怒るかもしれないですよ」
目線を醤油皿の方に向けてふて腐れている。竹本には案外子供みたいなところがあるのだ。これは今まで見たことの無い姿だった。きっと真面目な竹本がいつも隠している面。心を開いた相手にだけ見せる顔だった。誰しもそういうところがあるだろう。それは未来人の竹本でも同じだった。たったそれだけのことが、俺にとっては嬉しかったのだろう。つい口が滑ってしまった。
「竹本さん。今日だけなら、うちに来てもいいよ」
「駄目に決まってるでしょ!」
俺は玄関で母に怒鳴られた。母にしっかりと叱られるなんて久々だ。
寿司屋を出た俺は、まず駅前のビジネスホテルの入り口で、竹本が荷物をまとめるのを待った。十分くらいで竹本は預けていた荷物を持ち出したが、まさかスーツケース一個だけとは思わなかった。どうもこれ以外の荷物は何かしらの技術で転送するらしい。便利なことだ。そして電車の乗り方を竹本に教授しつつ、三十分ほど掛けて帰宅。母に竹本を泊める旨を伝えたら怒られた。
「あんな金髪、どうせ家出中の不良少女でしょう」
現在うちには母しか在宅ではない。父は二週間の出張で兄貴は春から一人暮らし。母さえ説得すればいいから望みはあると思ったのだが、どうも俺には信用が無いらしい。不良呼ばわりされた竹本はショックで硬直している。
「さっきも言った通り竹本さんはハーフなの。ホームステイ中。今日はホストファミリーが親戚の通夜に出て一人になっちゃうから泊まれる所を探している。だから俺が部屋を貸すって見得を切ったんだ。飯ならもう食ってきたし、竹本さんは日本語を話せるから心配要らない。兄貴の部屋があるだろ? 今日一日だけ、寝床を設けてくれればいいから!」
俺は拝みこむ。失礼な話だが、神社でもここまで真剣に拝んだことは無い。竹本も同様に「お願いします」と頭を下げた。
「はあ。仕方ない。断ったら他の家を探さないといけないんだもんね。ちょっと部屋は掃除するけど、いい?」
竹本はペコペコお辞儀して感謝していた。そこまでありがたく思われるほど、いい家ではないのだが。我が家は平凡な二階建て一軒家。二階には、狭いけれども俺と兄貴とに一部屋ずつ割り当てられている。竹本は机とベッドだけが残された兄貴の部屋に泊まるのだろう。竹本を招き入れてから、母は二階の部屋を片付けに行った。その間、とりあえずリビングに荷物を置かせる。
「えっと、何する? 風呂?」
俺が訊くと、竹本は一度頷いた。流石に風呂に入れないわけにはいかない。
「私、現代日本のお風呂に慣れていなくて。相田さん、一緒に入ってくださいます?」
ま、未来のお風呂事情を俺は知らないが、色々不慣れなことも——何だって?
「い、い、い、一緒に?」
俺の狼狽を見て竹本は笑った。
「冗談です。顔が赤いです」
その後もクスクス笑われた。意外とお茶目な部分もある。風呂まで足を運んで、ここだよと説明し、竹本が着替えを持って脱衣所に行くと俺はリビングに戻った。母が帰って来る。
「あんた、どうやってあんな美人と付き合ったの?」
俺が苦り切った顔で訂正しようとすると、
「お金取られてないわよね」
と笑われた。まったく、信用されてないこった。スマホの充電をしながらテレビを観た。しばらくしてアフロディテでも愕然とするような美しさをまとった風呂上がりの竹本とバトンタッチで風呂に入った。俺の入浴中、竹本は母と話したらしいが、ものの十数分で気に入られていた。誰だって竹本みたいないい子を嫌いになったりはせんだろう。二階の兄貴の部屋に竹本を案内して、その日は就寝することにした。
「じゃ、何かあったら呼んで。その机の上の物とか適当に使っていいからね。ゴミはそのゴミ箱に入れて。トイレは廊下のそこ」
「はい、わかりました」
竹本はボロい木製ベッドに腰掛けて微笑む。日本の中流家庭が似合わない人だ。しかし竹本の紺色のパジャマはトリノの聖骸布よりも貴重な素材でできているかのような輝きを放っている——ように見えた気がする。
「相田さん。今日はお世話になりました」
竹本は綺麗な角度の礼を見せる。俺は照れ臭くて「いいよ」とだけ言った。後で鶴になって恩を返してくれたらいい。いや鶴が人に変身して来るんだっけ。
「おやすみなさい、また明日ですね」
俺は「おやすみ」と返事をした。「俺の部屋には来ないでくださいよ、絶対ですよ。鍵は開けておきますが」とボケをかます勇気は無かった。自室に戻って今日の濃密な時間を思い出す。疲れたから今日はぐっすり眠れそうだから——
「相田さん、明日は一緒に登校しましょうね」
「わ!」
竹本が急にドアを開けた。おちおち寝られない。
「用があるときはノックするか、スマホに連絡ください」
笑顔で応答すると、笑顔で引き返して行った。フル充電のスマホを見る。冨田を介して竹本の連絡先を紹介してもらっていた。未来人と交流を持つというヘンテコな事態に本当に巻き込まれたことを実感する。さて、俺の人生はこれからどうなるんだ? 未来人と関わるとどういう良いこと悪いことが起きるのか、いまいち予想できなかった。




