三十六.罪の限り果てぬれば(7)
俺たちは、ラボの地下通路を歩いていた。深夜なので職員は一人もいない。静かで無機質な白壁の通路を歩いていく。美月をおんぶする俺は、先導する深雪に付いてお父さん――シルヴァさんの元へ向かっている。磯上曰く、直々に話があるということだ。もちろん八月に決裂した交渉についてだろう。
俺たちは一度、完全にシルヴァさんから拒絶されている。これ以上、議論の余地は無いということだった。だから本来ならもう一度、話を聞こうとして呼ぶなんてあり得ないはずだ。
それでも呼ばれたのは、ちょっと強引に乗り込んだからだろうか。話をしないと帰ってもらえないと思わせることができたのかもしれない。どんな理由でも、話し合いの場につけるなら儲けものだ。準備だけは充分にしてきた。
「んで、どうすんのアイくん」
深雪がへの字口で振り返って質問してきた。どうするって?
「あいつ」
深雪が背後を指差す。その方向には、磯上がいた。こいつは監視のためだか知らんが、俺たちの後を付いて来ている。殺気くらい隠せないのか。磯上は目を逸らす。
「言っただろ。美月の父親の話が終わるまで、何もしない」
美月を背負ってなかったら間違いなく背後を襲われている。改めて感じるが、同じ空間にいると、石島やノエルと同じ格上のオーラがするのがわかる。勝てるのか、こいつに。
「そうじゃなくて、アイくんの顔で睨まれると腹立つんですけど」
「知るか」
「ごめんなさいくらい言えないわけ?」
深雪が押している。こいつの方が、俺より磯上を圧倒できそうだけど。でもこれ、話し合いの結果によっては戦わずに済むのかな。
「どんな結果になろうと、まずは美月のお父さんときちんと決着をつけないとでしょ」
「わかってるよ」
美月の方を向く。目が合うと、美月は不安そうに眉尻を下げた。
「周太郎さん。私は、正しいことをしているのでしょうか?」
俺は微笑する。美月のことをしっかり見つめ直して。
「何が正しいかなんて、後にならなきゃわからないよ。でも、美月と美月の家族を救うために行動することは、間違いではない。そう思うから、こうしてる」
「……少しだけ、信じてみたい気になりました。付いて行きます」
美月はそれ以上何も言わず、静かに俺の背中を掴む手に力を込めた。
たどり着いた先、研究室の重厚な扉が、俺たちの入室を固く拒んでいるように感じる。
「早く行きましょう、ノエルくんたちだって、頑張ってるんだし」
深雪が躊躇いなくドアに手を触れる。つくづく強心臓なやつだ……。俺は息を整えて扉の向こうのまばゆい光を見つめる。そこにはいつか見た研究室の内部があった。多数の目まぐるしく表示が切り替わるモニターと、雑然と器具があふれるテーブル。
そしてそのテーブルにもたれかかる背の高い男性がひとり。黒い髪を束ね、褐色の肌に白衣をまとっている。青く透き通るような瞳は、まさに美月の持っている眼と同じだった。そこにいるのは、美月の父親のシルヴァさんだ。俺たちの方を涼やかに見つめている。
「シルヴァさん。話をつけにきました」
「……ようこそ」
「今日で話を終わらせたいんです。俺は、あれから何度も考えて、悩んで答えを出したから、その決着をつけさせてください」
「わかりました。座ってください、相田くん。みんなも」
シルヴァさんは表情を崩さずに、俺たちに座るよう勧めた。奥にある向かい合わせのソファー席。俺を先頭に深雪と美月が後から続いて、順番に隣に掛ける。シルヴァさんが向かいにゆっくりと腰掛けた。磯上はというと、勝手に背もたれのない丸椅子を引っ張り、部屋の入り口に無造作に座り出した。話し合いに興味はないということだろう。
俺は改めてシルヴァさんと向かい合う。前置きの挨拶などを挟んだ方がいいのか、単刀直入に話した方がいいのか、この人は本当によくわからない。
「君たちの行動力には驚かされます。なんというか、ルナのことを大事に想っているからというより、元から友人のために動く情熱のようなものがあるんですね」
低く響くような声でシルヴァさんが喋る。深雪がぴくりと反応した。
「それって、お父様にはそのような情熱がないということですか?」
「うん。そうかもしれない」
「どうしてですか?」
「君たちに話しても仕方がないよ。本題に移ろう。言いたいことがあるんだろう?」
シルヴァさんが先を促す。しかし、美月がそれを遮るように前のめりになった。
「話してください」
「ルナ?」
「知りたいです、お父さんのこと、わたし何も知りません。教えてください」
「今は大事な話をしていて――」
「お父さんがどういう人か伝わらなければ、きっと相互理解なんてできないと思います。わたし、お父さんや磯上さんが怖いです。どういう人かわからないから」
美月は手を握って震えながら話す。俺にも勇気を出して話していることがわかる。その姿を見て、やっぱり美月は記憶を失っても変わらないなと思う。