三十四.月の都の人(14)
「じゃあ俺の完全記憶は、どうやって作られた?」
「それは脳の活動を活性化しているんじゃないか、と仮説が立てられる。アイくんの場合、一度見たり聞いたりしたものを、全て端から端まで永久に反復して出力続けているんだよ。二十四時間、全ての感覚情報を脳内で思い出し続けてる」
そ、そんなことが可能なのか?
「可能にしたのが、クララさんの研究なんだと思う。でも人間の脳はただでさえ、人体が必要とするエネルギーの大部分を使用している。だからアイくんの脳は、他の人の何十倍も、いや何百、何千倍もエネルギーを使っているはずだよ」
……だから俺ってぼうっとしていることが多いのかな。脳にエネルギーを取られるから。
「わかんない。それはアイくんの怠惰な性格もあるでしょ。でも、普通の人よりも記憶のためにエネルギーを多く消費していることは確か」
深雪の説明は大体わかった。それが、美月のこととどう関係していると思うんだ? 何か対策に繋がるというのか?
「うん、記憶を取り出す研究というけど、それがどうやって可能になったか。アイくんはどう思う?」
「どうって。美月は俺と出会ってから約二年半の記憶だけを失ったんだよな。今までの話を考慮すれば、その記憶だけ失わせるなんてできるのか……?」
……ごめん、即興じゃすぐ思いつかない。教えて。
「うん。では仮に直近二年半の出来事を思い出すときの、脳の電気信号を測定するでしょ。そこでABCのシナプスを使っていたと観測できた。ならばABCの順路のシナプスを不活性化すればいい。もちろん話は口で言うほど簡単じゃない。二年半には、美月さん個人で考えたこともあるし、見たこともあるし、アイくんと話したこともある。そういう全ての記憶の電気信号が脳内でどう観測されるか、全て把握しないといけない」
そんな途方もないことができるようになったのか。
「現代のコンピューターじゃ絶対に不可能だよ。でも、千年後の未来のコンピューターならできるのかもしれない。だって、私たちだって百年前は電卓すら作れなかったでしょ。それが今や電卓より優秀なコンピューターを持ち運んでいる。量子コンピューターって知ってる? あれは複数の計算を同時並行でできるの。計算力はそれまでの電子コンピュータ―とは桁違いだって。未来にもそれくらい可能なはずだよ」
技術の開発スピードもまた俺たちの理解を超えているってことだ。そして美月は指定された範囲の記憶を消されてしまった。ん、消されたのか?
「消されてねえのか」
「そうなんじゃないかな。私の仮説が正しければ、記憶は不活性化されて封印されているだけなの。なぜなら、記憶を文字通り『取り出す』ならば、脳細胞自体を破壊しなければならない。そんなことしたら美月さんは、美月さんでいられなくなる」
そうだよな。ABCに関連する細胞を破壊してしまえば、関係ないACBやBACの記憶まで巻き込んで消去してしまう。そんなはずは無いんだ。
「記憶を再び活性化できれば、父親の助力がなくても記憶は取り戻せる」
「恐らくね」
でも、記憶を再活性化する方法が俺たちには思いつけないんじゃないか。
「そこはルリさんに訊いてきました」
流石、有能。俺なんかとはスペックが違う。
「記憶の指定をどうやったか。ルリさんの仮説はこうだった。この二年間美月さんの体内コンピューターで、見聞きした情報――視界カメラとマイクで拾った情報を元に、美月さんの脳と照合したんじゃないかって」
美月の目と耳から得られた情報を元に記憶を消去した。それが何か解決の糸口になるというのか?
「だからさ、耳貸して」
深雪は俺の耳にコソコソ呟いた。ああ、なるほど。深雪はドヤ顔を作った。
「どう、上手くいくかしら?」
「案外そういう奇策って、上手くいくんだよな。経験則から言って」
もし深雪の言うことが本当ならば、俺も美月の記憶を喚起させる作戦を練ってみたくなった。美月の記憶さえ戻れば、奪還作戦も容易になるはずだ。




