三十四.月の都の人(11)
ルリは微妙な表情で肩をすくめた。
「それでも昨夜は二人だったんでしょ?」
そう言えば、昨日はクリスマスイブ。未来ではクリスマスとか無いのかもしれないが(美月はクリスマスを知らなかった)、ルリは俺の部屋に来ていたから、お前らは二人きりで一晩を――。
そうか、ルリは気を遣ってこっちで寝泊まりしたんだな。なるほど、意図が少し読めた。
「じゃあなんだ? ヤッたのか」
「ヤッたんですかぁ?」
伊部は眼鏡の奥の表情をしかめて俺とルリの頭を、ビールジョッキでコンコンと叩いた。
「こんなゴリラにのしかかられたら、俺が壊れるわ」
「そんな陰気くさい男に触られたら、アタシは失神するわよ」
もういい。お前らは一生付かず離れずで、仲良く喧嘩していればいいんじゃないか。ユリはむっくりと起き上がると、サングラスを外して頬を膨らませた。
「アタシだって、アキヒロくんが一言『好き』って言えば、今日から付き合ってあげなくもないのに……」
あ、あきひろくん……。それを聞いて、ルリはにんまりした。嬉しそうだ。伊部を見ると仏頂面だった。
「俺もお前が禁酒すれば、今すぐ付き合いたいし結婚したいと思うがな」
ユリは一瞬「え?」と瞳を輝かせて……曇らせた。
「はぁ? 禁酒までする必要ある? ならアンタがデート中にコンピューターいじるのやめたら禁酒するわ」
「お前が酔ったらすぐ暴力に訴えるのをやめたら、ちゃんとデートするがな」
「ならまずはデートを自分から誘えるようにならないとね!」
「俺が誘うと、一回『キモ』とか『うざ』とか言って『でもま、いいよ』ってツンデレする癖を直さないとなぁー」
「だって、あんたアタシ以外の女が――」
「ストップです! お姉ちゃん、伊部くん!」
ルリが止めに入った。ヒートアップしそうだったからな。本当にカップルだった過去があるのかと疑いたくなる様子だな。二人は気まずい感じで目を逸らした。
「一つ訊きたいのですが、お姉ちゃんはなぜここを出て行くの? 出て行ってどうするの?」
ルリがこう見ると大人に見えるのは錯覚かな。伊部とユリの仲はルリがいるから成り立っているのだ。ルリに仲裁されて、ユリは俯いた。
「アタシはこの男と離れたいから出て行くんじゃない。アタシなりに考えた結論なの」
ユリは膝を抱えて下唇を噛んだ。
「それは?」伊部が問う。
「アタシのせいでクララさんが消失したの。タイムマシンは完璧じゃないし、危険な道具なの。目の前で人に死なれたことがないから、それまでわからなかったのよ。命を扱うのがどういうことか」
ユリはコップをひっくり返して、底に残った酒をビーチに捨てた。
「忘れたいけど忘れられないの。クララさんが消えた瞬間も、母親を失ったルナの悲しむ姿も。だからさ、なるべく二つの時間軸の行き来はなくしたいし、もし本当に運用したいなら、何十年も時間を掛けて、きちんとしたシステムを構築すべき。犠牲者が増えるようなやり方は、見過ごせないから」
伊部はトングを置いた。
「それは研究者として、ということだな」
「そうだよ。それ以外、アタシには無いもの。ルナの姉代わりなんて立場は、捨てて考えなきゃ駄目よ。あなたもね」
伊部は、美月の兄代わりで美月を再び過去に送った。二人の立ち位置は正反対だ。人間として美月の気持ちを汲むか、科学者として妥当な判断を下すか。
すると伊部が今までに見たことが無いくらい優しい苦笑を漏らした。人を馬鹿にして笑うことはよくあったが、こういう笑みは見たことが無い。
「お前は正しいよ。でもな、俺は正しい科学者になりたいわけじゃない」
「どういう意味?」
「目の前の課題に堅実に取り組むのも、科学者のあるべき姿の一つだと思う。でも俺がなりたいのは、そうじゃない。夢を実現するのも科学だから。今ここに無いものや、あったらいいと思うものを具現化する方法を導き出すのも科学者の仕事だ。だから、お前とは気が合わないな」
「……でもアタシもそうなりたいよ」
「……」
伊部は腰に手を当てて、ふうと息を吐いた。
「ま、お前はクララさんと分離したら出て行けばいい。俺は止めねえ。でも今日はせっかくルリやシュータが集まったんだから、四人で楽しく飯を食おうぜ」
「それは賛成。なら、ルナの思い出話でもする?」
マジでそれは賛成。美月の話はいくらでも聞きたい。伊部やルリもネタは尽きないだろうからな。
俺も、俺だけが知る美月の話をしてやりたい。ここに集まる四人は置かれた立場も状況も違うけど、美月の話だけは全員がすることができた。
だから、小一時間そんな話をして過ごした。満足したし、満腹になった。まあ小休戦ってことで、受験勉強の息抜きにもなったし、忘れられないクリスマスになった。




