三十四.月の都の人(8)
仕事を完璧にこなすルリの誘いを無下に断ることはできなかった。俺がサングラスをしながらレンタルの浮輪で浮かんでいるのを、ルリが周りでプカプカと押したり引いたりする。たまにカンチョーを試みる。
ほんと馬鹿だなコイツ。じりじりと露出した肌が焦がされていくのを感じる。時間がたまに「遡って」いるが、これはこの時間軸の俺たちが奮闘している証だ。徒労に終わるとも知らずに。
「恐らく俺は、高校を卒業するんだろうな」
「は? いきなりなんです?」
だから、俺は高校生じゃなくて大学生になるのかもしれない。
「でしょうね! 流石に中学生にはならないんじゃないですか?」とルリ。
俺はこののんびりした時間が居心地良かった。よくわからんが、ずっと高校生でいたい気もする。大人になんかなりたくないのかもしれない。
「なりたいとか、なりたくないとか関係ないですよ。年を取れば、責任も増えるし負担も増える。当然のことです! 責任が取れるようになれば、ゴムも外すし」
何の話ですかね。
「だけどさ、悪いことばかりじゃないでしょ? シュータくんは賢いんですから、将来有望です。色んなことを吸収して役に立つ人間になります。それに、お金を稼げば好きな物を買えるし、旅行もできます。お酒も飲めるし、エッチもできる」
「お前はエッチに比重を置きすぎ」
ルリはニコニコして水をかけてきた。
「美月とエッチしたくないんですか?」
「メチャクチャしたい」
「サイテー」
「嘘ウソ。そんなことないから。いや、そんなことなくはないのか?」
ルリは「ぷっ」と笑った。そんなことよりも、俺は毎日顔を合わせてお喋りしたいって気持ちが一番だよ。美月に会いたい。それが一番だ。
「なら、ここの美月に会いに行けばいいじゃないですか」
「それは違うだろ。美月は、俺が俺じゃないことには気付いてしまう」
「そうですかネー?」
そうなんだよ。俺がミヨを区別できるように、美月も俺を見分けられる。
「ルリに確認したいことがあるんだ」
俺は真剣なトーンでルリに言った。ルリは「なあに?」と笑いかける。
「磯上の正体だけど、俺はわかる気がする」
「……」
「確認していいか?」
ルリの表情が明らかに曇った。ルリは訊かれたくないのだ。
「なんで」
「なんでって。必要なことだからだ。俺もミヨも気付いている」
「か、関係ないですよ。彼はシュータくんの敵で、排除、しなくてはいけなくて……」
ルリは口ごもってそれ以上言わなかった。
「磯上の正体は――」
「やめて」
「俺だよな」
ルリは耳を塞いだまま下を向いてしまった。目をぎゅっと瞑って震えている。俺は仕方なく、浮輪を下りてルリの正面に立った。そして浮輪をかけてやる。引っ掛かって胸より下に下りなかった。
「ルリ」
呼び掛けると、ルリは水に潜った。どうしたんだと思うと、水中で俺の海パンを掴んで下ろそうとする。やば、ハンケツが……。俺は潜って必死で押さえる。ルリは諦めて浮上したので、俺も浮上する。
「うわっぷ」
今度はルリが俺の頭から浮輪を被せてきた。俺は濡れた髪をかき上げて、外れたサングラスを拾う。何がしたいんだ、こいつは。
「シュータくんのダンコンを拝んで落ち着こうと思ったの!」
大根がどうしたんだろうね。
「磯上くんの話は、したくないよ」
「どうして?」
「だって、磯上くんはルリたちのせいで生まれた人造人間だから」
「クローン」
「そう……」
こんなにも悲しい顔をするルリを初めて見た。磯上は俺をコピーして作られたクローンだったんだな。きちんと話を聞かせて欲しいんだ。何があったのか、なぜ彼が生まれたのか。俺は知らないといけない。ルリは拳をぎゅっと握った。
「ルリが、ルリが悪いんだよ……!」
俺は両手で水をすくって、ルリの顔にバシャーンと放った。
「ふわ、なに?」
「泣くな。夏に来たんだから、陽気に行こうぜ」
「だ、だってぇ」
昔のことは誰も責めていないんだ。俺たちは二年前、確かに何かを間違えたんだろう。だからクララさんは消えたし、美月と父は仲違いをしたし、磯上が生まれて、俺たちは記憶を消された。
今はそれをやり直すときだ。まだ手遅れじゃない。俺たちは時間を操作できる。まだ何かを取り戻すことができるんじゃないかと、俺は真剣に思っている。
「だから、誤魔化さずに聞かせてくれ。全てを受け入れるから」
「うん」




