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みらいひめ  作者: 日野
終章/帝篇
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三十四.月の都の人(3)

「んー? 相田くんが好きに使うといいよ。焼きイモは最強だからね」

「意味がわからん……」


「なんでここに呼んだかというとね、電子レンジがあるからなんだ」


 佐奈子は並んだ三台の電子レンジを指差した。これは生徒が自由に使えるレンジだ。昼食時には、弁当やパンの生徒が行列を作って温めに来る。今は当然誰も使用していない。


「焼きイモは流石に温めないと武器にならないからね」

「やっぱこれで殴れってのか?」


「好きに解釈するといいよ。でも、たぶん何かの役には立つよ」


 俺は言われるままに、焼き芋を電子レンジで加熱することにした。ブオーンという音だけが室内に響く。壁に寄り掛かりながら、腕組みをして佐奈子に目を遣る。


 この子は不思議ちゃんかと思いきや、そうじゃなかったりそうだったり。掴みどころの無い蛇のような女の子だ。


「佐奈子はどうするんだ? 高みの見物か」


「いいや、私はバイトがあるの。だから帰るよ」


「ほったらかしかよ。そんなんで上手くいくのかな」


 佐奈子は不意に俺の二の腕にそっと触れた。びっくりした。俺は腰を浮かせる。


「え?」


「相田くんは卒業しても、私を忘れないでね。たまに飲みにでも誘ってよ」


「飲むのか、お前?」

「わからない」


 酒は強そうだ。


「なぜだかわからないけど、相田くんには私、心を許せる気がするんだ。相田くんは特別な人だよ。なぜか嫌われたくないし、忘れられたくない」


「俺は美人のことは忘れない設定なんだ」


「そう? 相田くんには迷惑かもしれないけれど、本当にそう思うよ。慶がいなければ、私はどんな手段を尽くしてでも相田くんを異性として篭絡しようとしただろうね」


 そんな想像は恐ろしくてしたくない。なぜ俺の周りはそんな女子ばかりなのだ。佐奈子は茶色の髪を指先でくりくり弄んでいた。


「佐奈子は自信が無いんだろうな」


「へ?」


「自分に自信がないんだ。でもお前はすごいよ。人のことをよく見ているし、ポーカーだし、俺が手に負えないくらいには美人だよ。口数が少ないとか、愛想が無いとか、誰も気にしてないから。みんな信頼しているから。お前ももっと人に頼っていい」


「……」


「変なこと言ったか?」

「特に言ってないと思う」


 佐奈子は無表情で俺のことを見つめていた。気まず……。そこでチーンと電子レンジが鳴った。蓋を開けてイモを触ってみる。充分に温まっていて熱いくらいだ。俺は荷物を肩にかける。


「俺は行くよ。ミヨが文句言ってそうだからな」

「健闘を祈るよ」


 頷いて食堂を出た。この熱々の焼きイモは流石に手で持てない。ビニール袋のままリュックに入れておこう。匂いもするし、恥ずかしい。


「相田くん!」


 突然大声がしたので驚く。食堂から出てきた佐奈子がリュックの持ち手をぎゅっと握って、わずかに赤面していた。佐奈子が声を張り上げるのなんて初めて聞いた。なんだろう……?


「あ、ありがとう、今まで」


「よくわからんが、こちらこそ」


 佐奈子はそれだけ言うと、すすすーと帰ってしまった。佐奈子なりに感謝の気持ちを伝えてくれたのだろうか。


 だが俺は感謝する側というか、佐奈子に何かをしてあげた記憶は無いな。やっぱりよくわからないが、佐奈子らしくていいんじゃないだろうか。



 さてと。俺は秋風の舞う屋外通路を通って体育館へと向かっていた。若干の緊張を抱えながら。


 俺は思うんだが、このままだと人生の大半を女子の機嫌取りに費やす羽目になるのではないだろうか。俺はこの数年間常に女子の顔色ばかり窺っている。男とはそういう生き物なのかもしれない。


 嫌なら一人でいればいいんだろう。それか男友達とつるんでいればいい。そういう人はたくさんいる。でも俺は、投げ出さないくらいには得意なのだ。女の子の機嫌を取るのが。だからたぶん、これは宿命だな。


 ミヨはすぐに見つかった。体育館の通路入り口で上履きのまま竹箒たけぼうきで落ち葉を掃いている。一人で黙々と仕事をしていた。今は冬服のブレザーを羽織った背中だけが見える。


「そんな所の落ち葉を掃いたって、明日には元通りになっているよ」


 声を掛ける。ミヨは流石の反射神経で振り向いた。俺と目が合うとフリーズし、やがて眉間にしわを寄せた。


「何の用?」


「ドストエフスキーはこういうことを書いている。ミヨがAのバケツに水を汲む。それをBのバケツに移し替える。それが終わったらBの水をAに移す。こういうことを永久にさせられると、ミヨはどう思うか」


「昔の話はキライ」


 だそうだ。


「今の話をしよう。仲直りがしたい」


「仲直り? 私たち、喧嘩なんてしてたっけ? そんなの知らない。帰って」


 一筋縄ではいかないよな。これくらい承知の上だ。俺は腕組みをして次の言葉を考える。


「俺は怖いんだよ。高校生活が終わって、何事もなく大人になるのが。わかる?」


「わかる。でもどうでもいい」


「大人になったらきっと、仕事をこなして家に帰って、家事をこなして仕事に行って、仕事をこなして家に帰る。そういう生活になる。するとあっという間に老けて死ぬんだな、これが」


 ミヨは俺の方を見ずに淡々と掃き掃除をしている。きちんと掃除できているのか怪しいものだ。


「俺は今、喪失感に囚われている。このぽっかり空けられた空洞は何で埋める? 勉強を頑張ればいいか? 他の女の子を探せばいいか? たぶんそうだよな。簡単に何かで埋まるはずなんだ」


「……」


「で、そこにミヨがいた。ミヨはピッタリと穴の形にはまってしまう。埋まってしまえば、俺は普通の人間に戻って、せっせとバケツに水を汲み続けなくてはならなくなる。明日から永久に。俺が何に対して不安に思っていたか、理解してくれた?」


 ミヨは明後日の方向を向いたまま頷いた。手が止まった。


「私にどうしろって言うの?」


「どうしろというか、後夜祭のときにミヨを突き放すようなことを言った理由を釈明しただけだ。だからあのときのことは謝るよ。AとBのバケツ、両方の水に氷を入れて頭にかぶって謝罪する。許してくれた?」


「許さない」


 あらら。示談金が必要かな。

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