三十三.御狩の行幸(14)
「伊部、上手くいったのかよ」
「おお、バッチリ。磯上はコンピュータ―の使い方を深く理解していないな。こっそり乗っ取って、ラボの機密情報を閲覧してきた。記憶を取り出す技術に関しても、大抵は掴めた」
本当に忘れそうだけど、コイツは優秀だよな。伊部はソファーに座り込む。未来人は食べかすとか気にしないんか、おい。俺にもエンゼルフレンチみたいなの寄越せ。
「あとさ、ユリを過去に送っておいたぜ」
……へ? まさかクリスマスのときの事件か。変な異空間に転移させられて、列車に乗っけられたあの事件。確かに、正史ではβ時間軸のユリが助っ人に来た。だけど、クララさんと半融合の状態だった。何のために送ったんだよ。
「試したい器械があるんだ。これ」
伊部がルリの首元に手を伸ばす。ルリは口元を引きつらせてサッと身を引いた。
「な、なんですか。準強制――」
「違うわ。ネックレス付けてるだろ。それみたいな器械で……」
ルリはネックレスを身に付けている。俺が卒業旅行で買ってあげたネックレスだ。律儀に着けていたのか。――じゃなくて、ネックレスみたいな器械?
「ああ、あの首輪みたいな黒い帯の」俺は思い出す。
あの首輪を物理的に外されない限り、消されたり移動させられたりしないっていう装置ね。あの首輪が元で色んな事件が起きたんだよな……。
「チョーカー」
佐奈子が突然言い出した。え、何ですか?
「チョーカーでしょ。首に巻くお洒落アイテム」
あ、そうやって呼ぶものなんすね。伊部も俺も服には一切の関心が無いから首輪って呼んでた。コアなSMプレイ用かと。
「なんでその器械を作って試したんだ?」
記憶によれば、助っ人のユリは「Made by Ibe」の文字が刻まれたチョーカーとやらを所持していた。あれは俺たちを保護するためだと思ったんだが。
「そうだ。でも、それ以外にも使い道がある」
使い道か。何かを守ることには使えそうだな。
「対磯上用だ。もし戦闘になったとき用」
ふん、あいつね。どうやって使うんだ。
「町中で白昼堂々戦うわけにいかないだろう。別空間に移送してやり合うしかない。そのときコンテニューできた方がいいだろ?」
まあ、即死は困るな。俺はともかく、俺を心配する人たちがいるから。
「ちょっと待って待って。ルリは詳しく知らないですけど、なんでイソガミくんとシュータくんが戦うことが前提になっているんですか⁉」
ルリが俺に飛び掛かってくる。暑苦しいな。お前体温が高いんだよ。
「俺しかいないだろ。どのみち磯上は決着をつけないといけない相手だ」
「そんな、でも……」
ルリはもの言いたげに口を閉ざした。でもなんだよ。磯上はあのまま生かしておくことはできないんじゃないかと俺も思っているところだ。だって、あんなやつ……。
認めてはいけない。あいつが俺の存在を認められないように、お互いが同じ世界でその存在を許し合うことは、恐らく絶対にできないと思っている。――そうだ、殺さないといけない。
「怖い顔しないで」
「え?」
突然、佐奈子が言い出す。すると立ち上がって、一切の躊躇なく背後に回り、座った俺をバックハグした。
何してるんだ? 一気に心拍数が上がる。振り返ると、佐奈子は膝立ちし、目を伏せて俺の首元をマフラーのように温かく抱き締めていた。
「悪意に囚われそうになったらね、心が荒みそうになったら、大事な人とハグをするんだよ。いい、相田くん? 愛というのは馬鹿にしたいし、そんなもの信じたくないだろうけど、本当にあるんだ。なぜかあるんだよ。人間だけが持ってる。その不定形の、科学では立証できない心の中に、愛はあるんだ」
佐奈子の心音も服越しに伝わる。佐奈子もドキドキしているんだ。
「私は一度、相田くんたちを憎んで、非道いことをしたね。あのときの私は荒んでいたのかもしれない。思い返せば、私は慶とハグをしてこなかったんだ。一回も」
ルリが「マグロだからじゃないですか~」と茶化す。だが佐奈子は真剣だ。普段はこんなに言葉数の多い人じゃない。
「でも、文化祭が終わったとき、相田くんの目の前で慶とハグをしたね? あのとき心が温かくてぶわーって拡がっていく感覚がしたんだ。性欲とか承認欲求じゃないよ。人間として必要とされている、必要としているという感覚がすごく快かった。だから、心が安らいだんだ」
俺も、美月やミヨと散々ハグをしてきた。だからわかる。それは事実なんだろう。
「さっきみたいに怖い顔をするくらい追い込まれたら、大事な人の所に駆け込むんだ。そしてハグをしてもらえばいい。自分を認めて、相手を受け入れて、それから物事を考えるんだよ。そうして行動するんだ。大事な人のために動くことは、相田くんの大切な動機でもあるんでしょう?」
佐奈子には、体育祭のとき、生物室で俺の恥ずかしい過去の話を聞かれていた。俺のことも少し――いや、かなり理解して話してくれているはずだ。
佐奈子はするっと腕をほどいて立ち上がった。不思議な熱が、少しずつ遠ざかって消えた。




