三十三.御狩の行幸(6)
すると、佐奈子にも協力を仰いだ方が良さそうだ。佐奈子がいて、あのときの未来の俺は成功したのだから、その過去をなぞるに越したことは無い。
「痛っ」
いきなり背中に激痛を感じた。ギョッとして背後の席を振り向くと、片瀬がピンクのボールペンを握っている。刺したのか?
「なに? 見ないで」
「なにって、刺しただろ」
「ぼうっとする方が悪い。授業中」
ぼうっとするのは悪い。でも刺しちゃいかんよ、キミ。物騒な世の中だ。キレやすい若者だ。だが、おかげで目が覚めたとも。
ポジティブシンキングだ。なるようにしかならん。全ては美月を救うためだ。あらゆる作戦を一手に引き受けてやる。まずは授業が終わり次第、佐奈子とミヨのいる二組に行く。焼きイモを抱えて。
「痛っつ……!」
だから刺すなよ。片瀬は頬杖をしながら「他の女のこと考えたでしょ」という。カノジョ気取りか。どうしたどうした――プス。
「だからっ。やめろ」小声で抗議する。
「隣の席。美月ちゃんは見てるからね」
隣の席は美月の席で、特にどかされるわけでもなく、そのまま放置されている。クラスメイトたちの気遣いだろうか。美月がいつでもそこに帰って来られるように。
安心しろ、浮気はしない。俺は美月一筋のベテランなのだ。
ったく、片瀬なりのエールと受け取っておくか。そしてつまらない授業という苦行を乗り越えて、昼休みになる。
俺は、焼きイモを包んだ新聞紙の入ったビニール袋を持って教室を出た。一本しか入っていないけど、それでいいと佐奈子は言う。何に使うのか――いや、食べるんだろうけど。
二組は、雰囲気でいうと個性が爆発したやかましいクラスだ。昼休みだから、人の出入りもかなり多い。俺は後方のドアから、二組の教室を見渡した。ミヨは一番後ろの入り口に近い席に座っている。話し掛ければ、いいのかな。具体的な指示は受けていない。
ミヨは机に突っ伏している。寝ているのか? サボり魔の俺じゃあるまいし。そこに、佐奈子がやって来た。佐奈子は俺に目配せすると、ミヨの前の席に座って、ミヨに話し掛けた。
「みよりん、ご飯食べるかい?」
「いい」
何だその子供みたいな返事は。佐奈子は微妙な顔をする。ゴーサインが出ない。すると、
「ねえ、みよりん。昨日さ、掃除来なかったけどどうしたの?」
そこに現れたのは、同じクラスの女子三人組だ。名前までは俺も覚えてないな。佐奈子の存在には気付かないのか、ミヨの席をぐるっと囲み、正面に立つ一人がミヨと話す。
「あれ、昨日掃除だっけ? 忘れてたわ、ごめんなさい」
ミヨが顔を上げてにこやかに拝んだ。正面の女子は苦笑いする。
「貧血気味なんでしょ? いや、いいんだけどさ。なんか、ぼうっとしてるし。元気ないじゃん」
「気にしないで。次は月曜だっけ? きちんと行くわ」
「ああ、それなんだけどさ、私たち、予備校通ってるから月曜はお願いね」
「え?」
ミヨが訊き返す。
「掃除お願いできる? ちょっと忙しくて」
「い、いいわよ。任せておいて」
三人は「お願いねー」と笑ってミヨの席から離れた。んだ、あいつら。ミヨを責めて、仕事押し付けたかっただけかよ。俺がミヨの元に行くかと思ったとき、
「元気ないって、失恋じゃないの。別クラの、何だっけ。男子いたじゃん」
「声デカいからフラれるのでは」
「だからってサボるなよ。性格ブスだし、友達少ないし、ジャマ」
俺の横を通り過ぎる彼女たちの声が耳に届いた。悪口? しかもミヨに聞えるか、聞こえないかギリギリの声の大きさだ。卑怯だよなと思ったが、怒りよりもショックが大きくて呆然としてしまった。
「みよりん、手伝おうか」
「いい」
ミヨは再び顔を伏せた。まあ、暗いオーラを教室で放ち続けられたら邪魔かもしれないけどさ。そんな本人のいる所で言わなくてもいいじゃん。
佐奈子と目が合う。佐奈子は大きくバッテンを作った。確かに、今日のところは引き返した方が良さそうだ。スマホには佐奈子から「ちゅーし」とメッセージが届いていた。
放課後、昇降口で靴を履き替える。秋口だから、涼しい風が入って来るようになった。これから秋へと向かってゆくのだ。冨田は補習で残っているし、深雪はせっせと図書館へ行くし、つまらない。来るべき受験シーズンへ各々(おのおの)が実直に研鑽を積んでいる。
「小野小野? 私のこと?」
「わ、佐奈子かよ」
ぬるっと俺の視界に入って来たのは佐奈子だ。毛先が綺麗に巻かれたお嬢様ヘア。夏服の上にカーディガンを羽織っていた。何だかこの頃コイツとばかりつるんでいる。お前は彼氏と帰ったりしないのか。佐奈子は靴を片足ずつ履き替えた。
「いつもはそう。今日は慶、予備校に行くの。自転車で先に行ったの」
あ、そうですか。でもこれじゃ俺が浮気しているみたいじゃん。
「大丈夫」
「一応、翁川には伝えているんだよな? 俺と会っていること」
「大丈夫」
「俺も、何か詫びを入れておこうか?」
「大丈夫」
まあ、佐奈子が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。佐奈子はかかとを指で直そうとしてバランスを崩した。「よ」と俺の肩に掴まる。佐奈子の長い指がギュッと俺の肩を掴んだ。それから立ち上がって口角を上げる。
「帰ろう」




