三十二.仰せ言を背かば(11)
「でも、クララさん。ユリお姉ちゃんの中にずっと閉じこもって、出て来られなかったんですよね。なぜ最近になって、人格を交代できるようになったんですか?」
ルリが手を払いのけて見上げる。もっともな疑問だけど、大きなきっかけがあるだろう。思い当たる節は一つしかない。
ユリはなぜ最近サングラスをしているか? それは俺に体内コンピューター停止弾を撃ち込まれたからだ。
「そ、相田くんが正しいと思います。ユリさんのデータを持つコンピューターが弱体化して、相対的にわたしのデータが優勢になった。だからわたしが〈良心〉として出て来た」
〈良心〉って。未来でアレ言われたとき、びっくりしたな。
「最初は、ルナの母を名乗っても信じてもらえないと思ったの。それに、正体を明かすと良くないことに利用されるかもしれないから。わたしは、夫の元に帰らず、シュータくんや伊部くんたちの味方をすると決めた。わたしまで向こうに取られたら、交渉できなくなるでしょ?」
なるほど。流石、学者なだけはあって頭の回転が早い人だ。俺は背もたれに寄り掛かる。
「ああ、疲れた。これで一通り話を聞けたのか」
「まだ話の上では八月にクララさんが退場しただけで、一年生の美月やルリは退場せずに残っているが、今日はここまでかな」
伊部が腕組みしている。もう七時を過ぎた。疲れないか。俺は脳みそが壊れそうだ。新たな情報が多すぎだ。ちょっと整理したい。
「なら、お開きにします? どうせ再度集まれる日は来るでしょう」
ルリが立ち上がった。伊部も「そうだな」と俺の頭をポンと殴ってくる。ち、
「悪かったな。小さな脳みそでさ」
「いや、いいんだ。次の会合は来週末としよう」
「ルリ、疲れて〈ピー〉したい気分」
お前らはきちんと身の回りの安全を確保できているんだろうな。磯上みたいな追っ手は来ないか。俺も片付けて退室の準備をする。一曲くらい歌いたかった。
「あいつだって、場所を構わず追いかけて来るわけじゃない。未来の都市にはセキュリティ機構があるって言ったろ? 公共の場所じゃ戦闘や誘拐はできない」
それならいいんだ。廊下に出ると、ルリが腕に縋ってくる。
「ルリちゃんが心配なの? シューたん。ありがと」
「俺はお前のことを色んな意味で心配しているよ。深刻にな」
ルリが「ヒドーイ」とパイをぶつけてくる。うぜー。俺たちの喧嘩に対し、伊部は興味もなさそうにカラオケの受付に行ってしまった。支払いをもってくれるらしい。男気あるねえ。ユリ〈良心〉――というか美月のお母さんは、後ろから微笑んで付いて来ていた。
「えっと、美月のお母さんは――」
「クララ、でいいですよ」
「ク、クララさん? は言い残したことありませんか? 伊部やヘンタイ娘とは違って、不定期にしか会えないですよね」
美月のお母さん――クララさんと呼ばせてもらうが、クララさんは首を九十度傾けた。
「うーん、そうね。特にないね」
無いんだ……。まあ俺に言いたいことなんて特に無いか。
「ルナのこと、好きでいてくれてありがとう。それくらい?」
いや、どうも……。好きになったのは勝手になったわけだから、別に感謝されることでもないんですが。……なんか今は腕にコアラの如く、ルリがしがみ付いていますが。
「俺から、一つ質問いいですか?」
「何でしょう? 何でも訊いてね」
そういって好奇心をキラキラと瞳に浮かべる様子は、美月そっくりだった。
「クララさんは、意図的に超能力を付与したんですよね。なら、俺に完全記憶を与えたのも、理由があると思うんです。それって何だったんですか?」
なぜ俺なのか。そして、なぜ記憶力なのか。よくわからない。
「勘、かしら……?」
難しい顔をしてそう言われた。真面目に言ってます?
「人間、忘れる生き物でしょ。でも相田くんは『忘れることができない』の。それって辛いことよね。幸せな記憶は誰だって忘れない。でも、嫌な記憶は適度に忘れることで、人間は生きていけるの。完全な記憶力を持つ人は、嫌なことも悲しいことも忘れられません。強い心が必要なの。強い心を持ち、最初の信念をずっと忘れずに持ち続けて、ヒロインを支えること。これが『記憶力』を与えるのに相応しい条件です」
あ、ちゃんと深い意味はあったんですね。
「この世界は、実代さんの物語です。物語を記録して、実代さんという主人公を我慢強く支え続けるには、それだけ強度のある人間が必要でした」
俺が、その役割だったんですね。クララさんは俺を真っ直ぐ見つめた。
「でも、それだけじゃないです。これはルナがヒロインの物語でもあるの。ルナはいつかあなたの目の前から消えるかもしれない。でも、ルナの成長とルナの過去を記憶してくれる人が必要だった。万が一、ルナを愛してくれるなら……」
クララさんはその先を言わなかった。俺がその二人の女の子を支えるために、二人を忘れないことが必要だった。クララさんは直感で俺がその役割だと思ったのだろう。実際、俺はその役回りになっている。
「よろしくお願いします、相田くん」
「荷が重いですよ」
「そーだ! シュータくんにお姫様が二人と、ルリちゃんという愛人が一人。流石に重すぎですよ。ブーブー」
ブーイングするルリを抱えて出口へ向かう。伊部が「二軒目行くぞ!」とイライラしていた。これだから観光気分の未来人は困る。今日は解散にしてくれ。




