三十二.仰せ言を背かば(2)
「えー、シュータくん。せっかく二人きりになれたんだし、イチャつこうよ」
ルリが俺を押し倒す。いい香りがふわりと俺を包み込む。ホテルで金縛りにされたときを思い出すな。
「え、シュータくんの服、微妙に濡れてる。モップみたい」
「だから雨で濡れてると言っとるだろーが!」
ルリは笑顔になって、俺の胴体に密着した。濡れてて気持ち悪い。
「シュータくん、私にお土産買ってくれたんじゃないの?」
重たいし、圧迫感があるのだが。ルリは目をキラキラさせながら期待の眼差しで俺を見つめている。押しの強い女の子に甘えられるというのが、俺の一番の弱点なのだ。
だから控えめな美月に惹かれたとも言える。いや、美月もまた美月で強引なところがあるな。初対面で家に上がり込んで来たし……。また美月のこと考えてしまった。
「わかったよ。あるから、ちょっと待ってろ」
お土産って、あの卒業旅行で買ったやつだよな。……地雷系ファッションのルリを押しのけて、俺は部屋を出た。よし逃げよう。風呂でも入るかぁ。廊下に出て、コッソリ階段に足をかける。
「ちょっと、ちょっとちょっと!」
ルリが廊下に顔を出し、大声でツッコむ。バカ野郎、一階にいる両親にまで聞こえるだろうが。俺は慌てて二階の部屋に戻る。ルリを部屋に押し込み、タンスの中からルリのために買ったネックレスを取り出す。「ん」とルリに突き付ける。
――そのとき、深雪からもらったアドバイスを思い出した。
「ただし、これはアイくんが直接首に付けてあげること。ルリさんは身体接触が大好きだからね。シチュで喜ばせる作戦です!」
ルリは躊躇いがちに袋を手に取ろうとしていた。俺はそれを引き戻し、中からネックレスを出した。ルリがアクセサリーを見て驚く。
俺は慣れない手つきで輪っかを外し、正面でデレデレするルリの首につけてやった。去年のクリスマスも首輪をつけてやったな。あのときとは、ずいぶん違う。
「意外。ネックレスですか。綺麗ですね。紫の宝石がついてる」
「アメジストだな。偽物だけど」
「いいんです。気持ちが本物ですから」
こうして見るとやはり似合う。ルリは「るんるん」とスカートを翻して、その場でくるくる回っていた。よほど気に入ってもらえたようだ。ともあれ深雪の作戦は成功ってことで。
「安くはないんだぞ。まあいいや。満足したら帰れ」
それでもルリは嬉しそうにぴょんぴょんしていた。
「美月がいなくなって、ルリに乗り換えたくなっちゃった?」
携帯会社とは違うからな。利害だけで乗り換えようとは思わないよ。
「お前は卒業旅行に来られなかったから。仲間外れにしたくなかったんだよ」
わかったら、とっとと帰れ。
「朝、気を付けてくださいね。ルリは寝込みを襲うとか、夜這いも得意ですが、朝の方が男の子と合体しやすいことを知っているんですから。朝〈ピー〉に気を付けろよ」
「さー風呂入ろ」
火曜日になって、退屈な授業が再開してしまった。英語は受験用の演習ばかり。国語は教科書の評論読解で、内職をする生徒がちらほら。日本史は最後の追い込みで教科書を進め、体育は息抜きとばかりに、バレーに勤しむ。
昼飯はいつメン(美月はいない)で囲んで、午後の授業は寝る。今日は運悪く教師に怒られた。どうせ政治経済なんて使わねえし、俺は定期テストで満点近く取ってるのにな。今日に限って注意を受けるなんて、後ろの席なのにツイてない。
授業が終わったのは16時半。部活動のある生徒はほぼいないので、下校する生徒も多い。残って進学補習や、自習に励む生徒もいる。
「アーイくん♪ 一緒に帰る?」
背中を押されて誰かと思ったら、深雪がいた。今日は未来人たちと談義なんだよな。深雪に言えば、付いて来るだろうが言い出しにくい。
「深雪は特に用事ないのか」
「まーそうだね。生徒会も完全に終わったから、毎日一緒に帰れますよ」
コイツと毎日一緒はきついな。叱られそう。
「今日は帰って、英検の勉強をしようと思っていたの。アイくんも帰って勉強?」
「うーん、そうだな。でもちょっと寄る所あるから、先帰っていていいぞ」
深雪は何か言いたげに俺を見た。「また明日も誘うからね」と言い残して、教室を出て行ってしまう。どうせ有名人だ。俺と帰らなくたって、他の友だちと帰るだろう。冨田に絡まれないうちに、俺も帰るか。
教室を出ると、廊下の壁際に坂元が立っていた。坂元は腕組みをして難しい顔を浮かべている。何をしているんだ。
「ちょっと男子!」
坂元は俺の鼻先に指を突き付けた。俺を待っていたのか? 眼鏡をキラーンとさせて問い詰めにくる。あんま騒ぐな。恥ずかしいから。
「男子、みよりん泣かせたでしょ。責任取って」
何だそのノリは。主に中学で問題が起きたときに活躍する、クラスの中心的な女子の大立ち回りか。
「何の話だよ」
「知らないとは言わせないわよ。相田くんが関わっていることくらいわかっているんだから」
「はあ……?」
ミヨが泣いているのか? それで坂元が俺を疑っているのだろう。なぜ俺なのか。
「……」
「……え?」
すると坂元は耳打ちしてきた。「『うっせーブス』って言うまで終わらないやつ」と。それ俺が言うの⁉
「う、うっせー、ブ、ブス。ごめん」
「ひ、ひどい、相田くん。相田くんに、ブスって言われた」
坂元が顔を覆って、しゃがんでしまった。何だこの茶番……。
「男子サイテー。謝りなさいよ!」
すると柱の陰にいたらしい後輩の阿部が飛び出してきて、俺の前に立ち塞がった。今日も癖っ毛である。なにこれ。




