三十二.仰せ言を背かば
「シュータくん、乙ぱい体操って知ってます?」
おい、記念すべき一行目をなんて言葉で汚してくれているんだ。文化祭から帰った俺の部屋には、ツインテールの女の子、ルリがいた。
九月の第一週。台風が押し上げた前線の影響で雨が続く蒸し暑い日本列島では、依然猛暑の気候が続いていた。八月十五日――美月の誕生日に、美月を失った俺は亡霊のように部屋にこもって勉強とアイスを食う毎日を過ごしていた。
昨日と今日行われた文化祭も、上の空で過ごしてしまっていた。
後夜祭を放棄し、家に帰るとこの惨状だ。
「なんでルリがここにいるんだ」
「伊部もいるぜ」
押し入れから眼鏡をかけた痩せ男まで出て来た。溜まり場か、ここは。
「一人にしてくれよ、気分じゃないんだ」
俺はリュックを投げるなり、床に寝転がった。ベッドはルリが占拠中。胸を揉みしだくという奇行に走っている。
「なんか不貞腐れてますねえ。童貞のくせに」
「性交渉の経験が、機嫌の悪さとどう関係するんだ」
俺は悪態をついて体を横に向けた。どんな状況でもツッコまずにいられないのが、この一年半の訓練の成果を物語っている。伊部は「よっこらしょ」と電灯の下に出て来た。
「帰って欲しいなら、帰るぜ。そのことを聞きに来た」
というと、どういうことだろう?
「つまりさ、この先俺たちはルナを取り戻すために、もう一度説得するために再起をかける。相田周太郎は協力するか、しないか。聞きに来たんだ」
協力しないといえば、たぶんこいつらは本当に俺とは縁を切るだろう。元々、俺たちの間に大した縁など無いのだ。美月を取り戻したいだけなら、俺は足手まといかもしれない。それくらい覚悟が決まっている目をしていた。
「シュータくんだって、受験があるでしょ。高校も卒業するんだから、いつまでも私たちに関わっていられない。だから、決断して欲しいの。ダメならダメで大丈夫。私たちは絶対に、自力で何とかする方法を考えますよ」
まあこれから忙しいと言えば、忙しいんだ。一般受験組は楽じゃない。俺は仰向けになって脚を組んだ。天井のライトを見つめる。
「でも、俺気が付いた。たぶん諦めるなんて無理だ。諦めようと思ったら、逆に勉強に集中できない。後悔しそうな気がするんだ」
俺の超能力は、裏を返せば「忘れたくても忘れられない」のだ。大人になっても美月のことを、俺は鮮明に思い出すことになるだろう。
「生半可な覚悟で言っていないよ。俺は、美月と再び会いたい」
「だと思ったぜ」
伊部が笑った。そう言われると癪だが、当然のことなんだ。
「だけど、みよりんやノエルくんは来ないかもしれないよね」
ルリが声のトーンを落とす。あいつらは来ないよ。頼み込めば付いて来てくれると思うが、正直な気持ち、気乗りしない彼らを巻き込みたくない。
「じゃあ、シュータくん一人なんだね」
「お前、ぼっちなんだな」
そう、寂しく孤高なのさ。Splendid isolationってやつだ。でもこれは俺と美月の問題でもある。だからあいつらを巻き込む必要なんか無い。ぼっちでも何でもいいんだ。
「ってかさ、なんでシュータくんびしょ濡れなの?」
「確かにどうしたお前」
「野外〈ピー〉して来たの?」
孤高の男は、冷たい雨に打たれたいときがあるの! 俺はあぐらをかいて座り直した。調子のいい二人に向き合う。
「んで、協力するとは言ったけど、俺には何ができるんだ?」
「いや、まだ何も決まってねえ。それを一緒に考えるのも、シュータの役割だな」
それもそうか。のんびりもできないけど、急いだところで何も生まれない。
「そうです。シュータくんはひとまず、体を鍛えて界王拳を会得するとか、飛天・御剣流を習うとか、火竜を倒すとか、執事とらのあなに行くとか、考えてください」
強くなれと? 一朝一夕にはできない注文だな。磯上対策も考えないといけないのはわかるけどさ。
「その前に、きちんと隠し事なしにして欲しいんだ。まだあるんだろ? 隠し事」
ルリも伊部も顔を見合わせてしまった。前回会ったときも、二人は清々しく全てを教えてくれたわけじゃない。時間が無かったのもあるけど、腰を据えて話をしたい。
「秘密がある以上は、こっちだって策を考えることができないからな」
「うん、わかったよ。一度、話す必要があるらしいな」
伊部は偉そうに頷いた。ルリが傍に座る。
「お姉ちゃんの〈良心〉も何か言いたいことがあるみたいだし、週明けにもう一回集合でどうかな?」
そう言えば、〈良心〉はくしゃみをして人格が入れ替わる前、何かを言いかけていた。
「わかった。週明け――って言っても、火曜日な。月曜は文化祭の代休だからゴロゴロしなければならないんだ」
「シュータくんはシュータくんだよね」
ルリがニッコリする。俺は俺だ。休むときは休む。
「学校帰りに集合だ。俺とルリと伊部とユリで会うってことでOKか?」
「左様で」ルリは恭しく礼をした。
そうと決まれば、お前らは帰った帰った。用は無いだろ。
「つれないよな。せっかく俺らが客として来たんだし、日本のお菓子くらい出してくれてもいいのによ。パワプロもウイイレもやりたいしさ」
自分で買いに行け。とにかくここは俺の聖域だ。お前だって部屋に踏み込まれたら嫌だろうに。伊部は「じゃあな」と押し入れに戻って行った。そこはお前のテリトリーじゃねえだろ。




