一.黄金ある竹を見つくる(3)
俺たちは食堂に行くまでに再び自己紹介をした。廊下を四人で歩く。竹本がどういう人か知らなかったが、話しているうちにどこぞのお姫様のように丁寧な口調と綺麗な所作をしていることに気付いた。ずっと敬語だ。片瀬のことを「片瀬さん」、福岡を「福岡さん」、冨田は「チャラ田さん」と呼ぶことに決めたっぽい。冨田を「冨田」と呼ぶのは、最早この世に三人もいないんじゃないか。で、俺の番。
「相田さんは下のお名前、何でしたっけ?」
そう訊かれた。竹本の上目遣いは結構ドキッとする。
「あんま気に入ってないんだけど、周太郎。相田周太郎だよ」
相田周太郎っていうのが俺の名前。如何せん長いから、下の名前で呼ぶのは家族くらいだった。
「シュータローさん。私は何と呼べばいいですか?」
竹本も周太郎って言いにくいみたいだ。本名って大事だと思うけど、でもそう呼ばれるのは恥ずかしいよな。俺は竹本に「周太郎さん」みたいに呼ばれたいとは思わん。
「アイちゃんがいいんじゃないか?」
冨田が笑いを堪えながら言った。「アイちゃん」は相園のことだろ。ややこしいこと喋るな。キョトンとする竹本に言う。
「俺のことは相田って呼んでよ」
「わかりました。『相田さん』」
取り敢えず呼び名は決まった。他に紹介することはあるかな? もうそろそろ食堂に着いてしまう。
「相田なんか何の特徴も無いもんねー。チャラ田と同じで帰宅部だし、ぐーたらだし——」
片瀬は俺を眺めながら悩んだ。俺の評価、酷すぎるだろ。あとぐーたらは関係ない。
「アイと言えば面食いだ。な?」
冨田の戯言に福岡は苦笑いした。くそ、昨年度の話はもういいだろって。相園だの、面食いだの、いつまでも俺の黒歴史の話ばかりする。みんな早く忘れちまえばいいのに。竹本は何も知らないので可愛らしく首を傾げるばかりだ。
「メークインですか?」
「メンクイだよ。その、麺類が好きってこと」
俺が誤魔化すと、日本語に疎いらしい竹本は微笑んだ。ひとまず回避できたが、他の面子はこそこそ笑っていた。いっそ大声で笑え。
食堂は大混雑の様相を呈していた。昼休みになってしばらく時間が経っているから仕方ない。今から食券機に並ぶと時間が掛かるだろうな。そう思っていると、
「私たちはお弁当あるから。さささ、先に席取っておくね」
福岡をはじめ、片瀬も冨田も弁当持参組だった。弁当が無いのは俺と竹本だけ。意図的に二人にされてないよな? まあ、並ぼう。
「…………」
話題が見当たらない。せっかく二人きりになったのに黙ってしまった。ええと、転校生なんだから訊きたい質問はたくさんあるはずだ。でも、あまりに竹本が綺麗で品があって、全然頭が回らない。いやいや誰でも緊張するって、普通。
「あの、相田さん。大丈夫ですか?」
竹本は心配そうに俺の顔を窺った。ごめん、気まずいよな。
「竹本さんは、何食べたいの?」
「うーん。何があるのでしょうか」
竹本は困ったみたいに眉を下げた。そりゃそうだよな。初めて来たんだからメニューを知らないのは当たり前だ。
「カツカレーとか人気だよ。実際に美味しかった」
どうして女子にガッツリ系のカツカレーなんか勧めたんだろうね。後で思ったよ。
「はあ、なるほど」
竹本はコクリと頷いた。
「……」
ちょっと沈黙がしんどい。何をしたいんだ、ホントに。思い出せば、あの不思議な記憶のことで俺はこの子が気になっていたんだ。そうだ。そのことを尋ねなければ。
「あのさ、竹本さん。俺の記憶違いかもしれないんだけど、昔に会ったことある?」
あれが俺の記憶の断片ならば、どこかで面識があった可能性がある。それに俺は竹本の隣にいて、なんだかやっぱり懐かしい気がするんだ。第六感的なものがそう言ってる。
「相田さんと……?」
竹本は俺の黒目をじっと覗き込んだ。俺の中のどこかに竹本の失くした記憶でもあるかのように。だが、数秒後に首を振った。
「正直、わかりません。ごめんなさい」
竹本にはあの予感が来ていなかったみたいだ。じゃあ運命だって騒いだのは恥ずかしいな。また黒歴史が増えた。落胆していると食券機の順番が回ってきた。
「俺は醤油ラーメンにするよ。……麺類が好きだからね」
お金を入れてボタンを押し、お釣りと券を受け取る。普通の券売機。俺が例を示して見せると、竹本は慎重かつ興味深そうに券売機を操作して、カツカレーを頼んだ。お嬢様には券売機すら珍しくて楽しいのかもな。自分が俗世間に浸った庶民なのが泣けてくる。
「カツカレーです」
竹本は券を俺に見せてきた。カレーだね。俺が勧めたのを買ってくれて嬉しいことこの上ない。本当にマジで他のものを頼まれたら切腹しようかと思った。
それから数分後に各々おぼんの上に注文したものを載せて、冨田たちを捜しに行く。どこに行ったのかと二人でキョロキョロしていた。新入生もいるから、今日はずいぶん混み合ってるな。——すると、
「あっ」
隣で軽い悲鳴が聞こえた。竹本の声だ、とすぐにわかった。竹本は、走っていた男子生徒にぶつかられて転ぶ瞬間だった。俺は手を伸ばすが、為す術ない。ガッシャーン! と大きな音を立てておぼんが引っくり返る。カレーは床にぶちまけられ——ってそんなのどうでもいいんだ。竹本が無事か確認しないと。
「美月、大丈夫か⁉」
俺は、膝をついてびっくりしている竹本の元に屈んだ。怪我が無いか心配でその華奢な肩を掴み、正面から見つめる。
「どこか擦り剥いたり、ぶつけたりしてないか?」
竹本は呆然と俺を見返した。どうしたのだろう。
「あ、あの! 今、美月って」
……え? そう言えば咄嗟に「美月」と下の名前で呼んでしまった。なぜか自然とそっちの名前が頭に浮かんだんだ、ごめん。
「いや、それはいいのですが。その、腕を、皆さんが見てる……」
竹本は顔をサクランボのように真っ赤にした。気が付くと、俺は竹本の腕を掴んだまま食堂の大勢の面前にいる。
「わっ、すまない!」
オーバーに心配し過ぎたし、こんなに人が見ているなんて思わなかった。俺は立ち上がって後ずさる。だが竹本はそこまで嫌だったわけでもないようで、別のことを思案していた。
「私の、記憶違いでしょうか」
竹本は立ち上がると、俺の腕が置いてあった場所を確認し、それからこめかみに手を当てて痛そうにした。また頭痛かな。
「あ、いえ! 何でもないんです。えっと、こぼしてしまいました。どうしましょう⁉」
竹本はいきなり慌て出した。俺もカレーが引っくり返っていることを思い出す。片付けを頼んだり、新しいカレーを注文しないといけない。面倒だぞ。しかし、その面倒は起こらなかった。
——ほんの一瞬だ。俺はちょっと長めの瞬きを感じた。




