三十一.死ぬる命をすくひやはせぬ(3)
体育館では有志のバンドが演奏をしていた。海老名って歌が上手いんだな。でも別にこれ以上見たくもないや。どうせ後はおふざけ企画や、イチャコラ企画をやるだけだろう。俺には興味ない。ただ顔見知りの友人たちが楽しんでいるのを見ると、少し心が晴れた。
――帰ろう。傘は昇降口に置いてあったはずだ。俺は踵を返して校舎に戻って行く。だが、体育館の渡り廊下を歩いているときだった。
「待ちなさいよ」
声を掛けたのは、ミヨだ。ミヨは赤のクラスTシャツでなぜかハチマキをしている。体育祭と間違えているんじゃないのか。
「一回も、文化祭で会わなかったわね。一回も!」
そうだったかな。一回は会ったんじゃないか。
「一回はアンタの店に私が出向いたからね。それもほとんど会話しなかったけど!」
そうだったかな。すまないね。忙しくて。
「忙しい? 嘘ウソ。なんで避けられているのかわかんないんですけど」
「避けてないよ、別に」
「メッセージ送っても、全然既読にならないしさ、嫌われたと思うじゃない」
ミヨはふくれっ面で俺を睨んだ。
「嫌ってないよ。ただ、お前が元気すぎるから、付いていけないだけだ」
「言い訳」
怒らせたのか、これは。
「……はあ。正直言うとな、美月がいなくなってから、ミヨの顔見ると思い出して辛いんだよ。俺は今でも全然立ち直ってないんだ。こんな俺と関わってさ、お前が不幸になるのは嫌なんだ」
どうも人づてに聞いたところだと(by・坂元)、ミヨは最近両親が家にいる時間が増えたらしい。たまに二、三日出張で外すことがあっても、家にいる時間が格段に増えたと。まるで美月を迎えるために一人暮らしをしていたかのようなタイミングだ。ミヨが寂しくないのは、良かったと思う。そのことでこの子の気が紛れているなら、喜ぶべきだ。
「ねえ、シュータ。この際、きちんと言うわ」
すっかり暗くなった屋外では雨音がしとしと響く。今、この静寂にいるのは俺たちくらいだ。ミヨは俺の目と鼻の先に立った。
「結果往来って、知ってる?」
お前の座右の銘だよな。結果は行ったり来たりするから気にすんなという意味不明論法。
「結果は変わらないのかもしれない。でも、結果の受け止め方はそのときの自分次第じゃないかしら?」
そうかもしれないな。
「今は受け入れがたい結果でも、大人になったら良い方向で受け入れられるかもしれない。結果は同じでも、受け止め方はそのときの自分によって変わるものでしょう?」
美月を失ったことは辛いし、悲しい。今の俺はそう思う。
「大人になって振り返ったら、あのときの別れがあったから今の自分があると思える可能性だってあるわ。どうせいつか来たお別れなのよ。それが少し早まっただけ。結果の受け止め方は、あっちこっち行ったり来たりして変わるの。だから、今は悲しめばいいわ。でも、いつかきっと、シュータも受け入れられるようになるから」
そんなこと言われても。ミヨは諦めるのかよ。
「私たちにも人生がある。受験もあって、卒業もある。来年は大学に行く。だから私は強く生きることに決めたわ。シュータもいつか覚悟を決めなきゃいけないのよ」
俺は、強くない。そんな簡単に割り切れない。
「シュータがどんな道を選んでも応援する。でも、私は――」
「わかったよ」
「シュータ……」
ミヨが一歩近づいて、俺の胸に手を置く。温かい――熱いくらいの手だ。でも俺は強い罪悪感に心を打たれた。最後に会った美月の顔がフラッシュバックする。ミヨがこんなに優しく慰めてくれているのに、どうして俺は美月のことを考えてしまうのだろう。俺は良くないやつだ。でも、仕方ないんだよ。
「わかった。俺は自分の気持ちに従う。――俺は、受け入れない」
「え……?」
「美月に会いたいんだ。一緒に卒業したいんだ。あの子には幸せな未来があって欲しいんだ」
ミヨが俺を見上げた。
「現状を、受け入れないってこと?」
「それしかない」
俺は、迷いたくないんだよ。負けたくない。諦めない。
「わかったわよ。好きにしなさいよ。そんなに言うんだったら、自分の力で美月を取り戻してみなさいよ! 私だって望めるなら、そう望むわよ。でも、こんなこと言いたくないけど、現実見なさいよ! あんた一人にこれ以上何ができるって言うのよ! こんなこと、こんなこと、言わせないでよ……!」
俺は歯ぎしりした。ミヨだって辛いこと、わかっているはずなのに。
「ミヨ、ごめん」
「謝らないで」
無言の時間が訪れる。雨音だけが、二人の間に大きく響いた。
「あとさ、このこと確認しないといけないわ。磯上の正体って××でしょ? 髪も染めてピアスもして、筋肉質だったからわかりにくいけど、近くで表情を見て確信したわ。あれは、間違いなく――」
「――う、それは」
磯上の正体――俺もうすうす感じ取っていた。見間違えようが無いのだ。
「ミヨも、そう思うか」
「私が、勘違いで言っていると思う?」
「お、思わない。だけど、どうして」
「それはシュータが、一番よくわかっているんじゃないの?」
「わからない。もしそうなら、どうすれば、いいんだ」
「シュータは、思い当たる節が無いの?」
ない。磯上なんて人間は、俺は知らなかった。どうしてあんなやつが、美月の傍にいたんだ。ミヨの言葉で、疑惑が確信に近付いてきた。そうなると恐怖で立ち眩みがして、俺は後ろへよろめいた。
「ちょ、大丈夫⁉」
「わからないって……。わからないって言ってるだろ! 近付くなよ、わからないんだ! 俺はこれかあら美月を取り戻しに行く。もうミヨには関係ないだろ!」
「でも、私は――」
「さよなら」
俺はミヨを振り返らずに、通路を進んでいった。昇降口で靴を履き替え、外に飛び出す。なんであんな酷いこと言ってしまったんだろう。それでも、わかった上でどうしても俺は受け入れられなかったんだ。学校の前の坂道を下りながら、俺はどうすべきか考え続けた。それでもやはり答えは出なかった。
美月を取り戻す手段はもう無い。体内コンピューターも無くなれば、未来との接点も消えてしまう。今の美月は俺と会いたいとすら思ってないんだぞ。
俺はかぐや姫を思い出した。かぐや姫は月の住人だった。月の住人には心が、情緒が無い。けれど幸福に暮らしているんだ。そんな彼女は地上に下りて来て、醜く滑稽で悲惨な現実と向き合い、「あはれ」を知る。そしてかぐや姫は月に帰ると、地上を忘れてしまう。情緒も失われてしまう。二度と姫は帰って来ない。
「あ、傘、差してねえ」
秋口の冷たい雨が、俺の全身を濡らしていた。空を見上げると、今日は真っ暗な空だった。月が浮かんでいない。
そうか、いい加減気が付かなくちゃいけなかった。俺は美月を諦めるんだ。
大学生になれば、社会人になれば、いつか俺はこのことを受け入れられる日が来るだろう。そして今までのことが、いい思い出として心に残るはずだ。あの別れ方も、それはそれで良かったという昔話になるかもしれない。ひょっとすると、どこかでバッタリ会えるとも――それは都合が良すぎるか。
過去への執着をやめない限り、俺は子供のままだ。未来と向き合わなきゃいつまでも大人になれない。
「さようなら、美月」
高校最後の文化祭は、雨中に終了した。俺は、自分の無力を知ってただ一人、往来に立ち尽くしていた。
次は、終章でエンディングになります。
5章の副題は、西行法師の「おもかけのわすらるましきわかれかな/なこりをひとのつきにとゝめて」(おも影の忘らるまじき別れかな/名残を人の月にとどめて)でした。




