三十.貝なしと(32)
10分後、屋内に運び込まれた俺は体調も落ち着いて、ミヨたちと先ほど起こったことの細部を共有していた。ノエルも治療を受けられたみたいで、痛々しい包帯グルグル巻きの様子で、話を聞いていた。
伊部は生身でぐうたら座りながら、コンピューター画面をいじっていて、ルリはお茶を配膳するなど世話を焼き、ユリは〈良心〉の状態で同席していた。
「――というわけで、美月は置いて行くことになってしまった」
ユリは「ばか」と呟いて額を押さえた。ミヨは憤っている。
「そんなのおかしいわ。私は美月と会う権利がある。美月は私のおうちの住人でもあるのに」
俺もそう思ったから反論したんだ。でも、関わり合いは禁止だって。
「まー、あの人ならそういう結論を出すだろうな。頭かてーし」
伊部が画面を見ながら言った(遊んでいるわけじゃなくて、データ上の証拠隠滅をしているらしい)。
「今のところ、説得材料に欠けますねー。磯上くんも強いし」
ルリが猫のようにゴロゴロ俺に懐いてくる。離れてろよ、気分じゃないんだ。
「でもルリの言う通りだ。問題は明確になった。対策を練り直して、再アタックに行くぞ」
しかし、誰も目を合わせてくれなかった。
「みんな? 美月を取り戻しに行かないの?」
ミヨも大声で訊き直す。伊部が画面を見たまま言う。
「俺だってこのままじゃ良くないと思う。だがな現状、打開策は無いだろ」
美月を見捨てて帰れっていうのか?
「ボロボロの体でよく言うよ。磯上にだって勝てない。あの人も説得できない。ルナは記憶を失って協力してくれない。母親も見つからない。今んところ詰みなんだよ!」
くそ、言い返せない。俺は失敗した立場だからな。伊部はちらっと俺を見た。
「いつかはやり返さなくちゃいけない。でも、しばらくは動けないよ。俺もそうだし、ルリやユリも警戒リストに名前が載っちまった。向こうのコロニーに行くのも控えないと」
迷惑掛けちゃったかな。協力してくれたのにな。ユリ〈良心〉が驚いた。
「もしかして、ユリちゃんも帰れないの?」
「当たり前じゃないか。〈良心〉だか何だか知らないが、ユリの体でセキュリティ網を突破して来たんだぞ」
〈良心〉は「しまった」とへこんでいる。ユリ本人は知らないうちに帰宅困難になってしまったのか。じゃあルリも?
「ルリは学校に行くくらい大丈夫だと思うぜ。だが、念のため数日は待機だ。どうせもうすぐ夏休みなんだろ?」
「ハーイ。それは構わないですけどね。シュータくんたちは帰すの?」
ルリが質問すると、伊部は頷いた。そんな……。美月がまだ残っているのに。現状を考えたら、仕方ないってのは理解できるけどさ。
「全然仕方ないって顔してないっすけど」
ノエルが隣に座った。ルリは好機とばかりにノエルの膝でゴロゴロし始める。
「でも、俺たちにできることは無いんだよな」
「そのことなんだけど、山積してる問題の一つは、何とかなると思うの」
〈良心〉が切り出した。ミヨは「一つって?」と尋ねる。
「いやぁ、なんだか言い出しにくい雰囲気になって困ってたんだけど、流石にこうなった以上は――」
すると、ユリが口元を押さえた。
「ごめ――、へくち!」
イメージに反して可愛らしいくしゃみが出た。ピンクのポニーテールが宙に舞う。そして目を開けたと思いきや、急に周囲を見回し始めた。どうしたんだ?
「え、どこよ。ココ」
おっと、もしや――。ユリは胸元に差していたサングラスを掛ける。
「意味わかんない。説明して」
もしかしなくても、〈良心〉ではなく本物のユリに戻ったんじゃないか。
「あ、あんたユリ? いつものドS」
「ユリ『さん』な。五歳以上年上なんだから、『さん付け』して」
ミヨにツッコむ。ああ、やはり戻ってしまったか。くしゃみで人格が入れ替わるって、古風だな。ランチさん? ユリは主に伊部を見て、顔をひきつらせた。
「どーいうことかしら? まさか研究所でアタシを眠らせて人質にでもしたの? ルナを奪還するのには失敗しているみたいだし?」
「まさか、んなわけあるか。誰がゴリラを人質に取るんだよ。危険極まりねえ」
伊部がよそ見したまま悪態をつく。
「あらー陰気すぎて影かと思ったら、IT界の秀才・伊部さんじゃない。最近、単位落としてばかりらしいけど、こんな所で何遊んでいるんでしょうか」
「俺は忙しい上に傷心中なんだよ。カノジョにフラれてな」
ユリは眉をひそめた。
「なに、ヨリ戻したい的な? 引く」
「昔は清楚で真面目で、誰もが憧れるクラスのマドンナだった元カノが、別れてからはイライラカリカリして、やけ酒で荒れてるんだもんなー。悲しいなあ」
「心配してくれたの? アキヒロ……」
ユリが顔を近付ける。伊部が「ん?」と振り向く。
「ク・ソ・ゴ・ミ♡」
「死・ね・ア・マ♡」
取っ組み合いになりそうなので、ミヨがユリを引き離した。こいつら、いつまで子供みたいな痴話喧嘩してるんだ。大人のくせして。俺だってヘコみたいのによ。
「とりあえずお姉ちゃんにも事情を話しますよ。お姉ちゃんだって、当事者になったんですから」
ルリがお姉ちゃんと慕うユリの胸元に飛び込んだ。結局、〈良心〉の伝えたいことって何だったんだろうか。
ユリは、ルリの紫ツインテールを愛でている。大体の流れはユリにも伝えた。
「へえ、ここゴミ眼鏡の別荘なの? ルリは可愛いわねえ。三つ編み似合う」
「話聞いてんのか」と伊部。
「うっせえな、聞いてるわよ。あんたがアタシの〈良心〉を利用してアタシに罪を着せてこんな所に連れ込んだってことはわかった! ってか、そもそも〈良心〉って何なのよ。アタシが〈悪の心〉みたいじゃない」
ユリが長い脚を組む。荒れてるな。でも、ユリだって美月の現状は憂慮しているだろ?
「まあ、そうね。ルナにとって最良の結末だとは思えないから」
ユリも身動きが取れないのだから、何もできないか。俺は今すぐにでも動いてあげたいのに何もできない。ミヨが、拳を握り締めていた俺の背中を撫でる。
「私も悔しいわ。だけど、自分の体も大事よ。ひとまず休みましょ、シュータ」
「でも、」
「そうっすね、先輩。頭を冷やして考えましょう。一度帰るべきだ」
ノエルまで。そうか、負けたんだから当然の結末だよな。美月だって、俺のことなんか忘れて、昔のように一人で過ごしているんだろうし、危険な状況に置かれているわけでもない。
「わかったよ。帰る、しかない」
そんな俺を見て、ユリがこちらへ向き直した。
「アタシも自分の無罪が証明されたら、研究所に戻ってルナの面倒見に行くわよ。あの子のためなら、少しは役に立てると思う」
ありがとう。頼むよ。
「そうだな。無罪が証明されるまでは、俺たちとしばらく同居だな。よかったな」
伊部が要らぬ茶々を入れる。
「イヤなんですけど。早速ホテル探さなきゃ」
「いやー、お前だって、昔は同棲してから結婚するべきなの。カップルの同棲って憧れちゃうって話していたじゃないか」
「アンタ、ホント性格悪い。それは高校生の頃でしょ」
おい、すぐ喧嘩すんなよ。ルリも二人のこと頼んだぞ。ユリはまだ敵っぽいけど、決定的な仲違いだけは避けてもらわないと。三人で無事に生き抜いてくれ(半分本気で言ってる)。ルリは肩をすくめた。
「大丈夫です。こー見えて、いつもの調子というか、むしろ仲良しなくらいなんで」
これで久々の再会を喜んでいるというのか。わからんな。早速一発食らった伊部は肩をすくめた。
「ま、お前らが帰るなら送るよ。『戻る』ならすぐ準備する。その、気にしすぎるなよ」




