三十.貝なしと(26)
「例えばどういう情報を入れるんですか?」ノエルが尋ねる。
過去の世界の再現のような芸当ができるには、膨大な情報が必要なはずだ。
「文字情報なら、文学、新聞、雑誌、インターネットから収集する。他にも法律や戸籍なども必要だね。個人的なメモなども、あればあるだけ良い。その時代にどこに誰がどういう家族構成で、いつ何をしていたかまで再現できれば有力な情報になるからね。同時に写真や映像もまた、ビジュアルを再現するのに役立つ。ストリートビューは便利だね。ほかにも人間だけじゃなくて植生や、生態系まで再現が必要になる。天候のデータも要る。なるべく完璧にその一瞬一瞬を再現していくんだ。シミュレーターによって」
それを聞くと、苦労が窺えるな。加えて、その一秒を再現するには莫大な過去の繋がりがあるわけだろ? 相田周太郎が今日存在するためには、十年前の俺が必要だし、さらに八年前には俺の母親が俺を腹に宿していないといけない。その十年前には母が学生をやっていて――そういう風に永遠に因果関係が連続していく。
「そうなると、人類の起源まで遡ってしまう。まあそれも大変かもしれない。私も初めはそこが難航すると思っていた。でも実際は違った」お父さんは目線を落とす。
違った? 何が違うのだろう。
「その逆なんです。再現する〈過去〉は〈現在〉と接続しなければならない。〈現在〉と全く関係のない〈過去〉は、〈過去〉ですらないでしょう? 昔を模した、ただのフィクション空間だ。ゲームの中の世界と異ならない」
まあ、空飛ぶ車が出来てしまった江戸時代は、俺たちの知る〈過去〉でないよな。美月の父親は息をついて手を組み合わせた。
「だから、因果関係が必ず〈現在〉と接続するように調整するプログラムを仕込んだ。いわばこれが失敗したわけですね」
「なぜ」ノエルが問う。
「〈現在〉とは絶えず乱数によって、変化を続ける。例えば今日、初めて地震が観測されたとしたら、昨日は地震の予兆が無いとおかしい。昨日に予兆があるということは、百年以上前からその予兆は膨らんでいたはずで、百十年前には同じ場所の断層で小さな地震があったかもしれないし、そのときのエネルギーがいくつか残存していたのかもしれない。つまり、情報が過去に遡及していくんですね。〈現在〉が変われば、〈過去〉が変わる」
逆なのか。〈過去〉が変わるから〈現在〉が変わるのが常識だ。だけど、タイムマシンの場合は、〈現在〉という結果が全て正しいのだから、〈現在〉に合わせて〈過去〉が変わっていってしまう。だから、伊部は辻褄を合わせるのにあんなに苦労していたのだ。
「辻褄が合わなくなると、どうなるんですか」とノエルが訊く。
「フリーズする。その時間軸は消滅するようにした。実験が始まる前に、数え切れない時間軸が没になった」
ということは、一秒だって〈過去〉の時間軸を維持するのは難しかったんじゃないか。
「ご名答だよ、シュータローくん。本来は数秒を維持するので精一杯なんだ」
――え? でも、それじゃなぜ俺たちの時間軸は何年も存在を続けているんだ。
「そこにトリックがあるのさ。タイムマシンが成り立たないということ自体が失敗じゃない。タイムマシンが成り立たないのに、無理やり成立させようとして犯したことこそ、大失敗なんですよ」
いつの間にか、父親の顔が真剣そのものになっていた。
「超能力、ですか」ノエルが言う。
「そうだね。因果を超越するトリックを仕込んだんだ。もちろん世界の数人に超能力を付与しただけでは、宇宙全体の因果を繋ぎ止められない。もう一つ工夫が必要なわけだけど、横道かな。それよりも、ルナの言う二つの問題を解こう」
つまり母親の安否と、俺たちの時間軸の今後。
「私の妻についてのことだけど、彼女は実験中に消滅させられてしまった。そこは聞いているね。原因まで突き止めたそうじゃないですか。感謝します」
原因はアリスだったからな。別に、あなたたちのためにしたことじゃない。それに、あの功績は美月に負うところが大きい。
「私は妻を想う気持ちが無いわけではありません。毎日、彼女を恋しく思う。ただ、ルナが提案した方法による復元には反対せざるを得ないんです。わかるかな?」
「お母様に関する情報が足りないというわけじゃないんすよね。バックアップデータは無いんですか」
「ノエルくんの言いたいことはわかる。技術的に不可能と言っているわけじゃない。完璧じゃないにしても、妻の人格に限りなく似たAIを作成することは可能だ。しかしそれは妻自身ではあり得ない」
99パーセントと100パーセントは、たった1パーセントの差でも意味が違う。そういうことなのだろう。
「例えば私の妻が奇跡的に戻ってくる可能性も、無くはない。そのとき作成した妻のAIがいたらどうする? 妻が二人に増えたらどうする? そして私と娘は作成したAIの妻を愛せるか。妻本人だと思えるか。これは考慮されるべき問題だ」
もはやそれは命を作ることと変わらない。ペットの犬が死んだ。同じ犬種を買って来た。同じ名前を付けて、同じ芸を覚えさせた。同じルートを散歩させた。その犬は以前の犬と同じか。それはやはり違うのだ。
「そこまで言われれば納得できます。でも、美月のお母さんは現実問題、そのまま帰って来ないんですよね」
俺は失礼で無神経とわかっていても、言わざるを得なかった。帰って来ないならば、偽者でもいないより良いじゃないかと。美月もそういう気持ちだったのだろう。




