三十.貝なしと(19)
運よく学生寮の一階に、転移装置があるらしい。ルリは荷物の準備をするというので、少しく体を休める。動きづめだったからさ。
「シュータ、マッサージしてあげようか?」ミヨが言う。
「じゃお願い。ふくらはぎがつりそう」
ベッドにうつ伏せに寝転んでミヨを待つ。ミヨは「ささ、触っていいの?」と戸惑いながら触ってきた。くすぐったい。
「えー、ルリがローションマッサージしてあげましょうか?」
しなくていいや。早く準備して。ルリは何やら怪しげなケースをガチャガチャいじっている。化粧道具じゃないよな。
「ところでシュータ先輩。ユリとの約束はいいんですか?」
そうだよ、ユリの〈良心〉と約束があるのを忘れていた。いや、忘れてはいないんだが、どうしようかと考えていたのだ。俺だってもう一度〈良心〉と接触する機会は欲しい。でも、現実的にあと九時間は待てない。
「何の話です?」
ルリが手を止めて訊いた。お前にはまだ話していなかったか。
「ユリの別人格みたいなのが出没しているんだ。分裂した〈良心〉を名乗って」
「ドS酒豪のお姉ちゃんのこと?」
確かにシラフver. と飲酒ver. は若干人格が異なるのかもしれないが、そうじゃない。もっと包み込むような優しさでいっぱいの、ほんわかした陽だまりのような人格で――
「痛たあ! ちょっとミヨ、加減しろ」
「〈良心〉だか〈片親〉だか知らないけど、デレデレするな!」
キレたミヨにふくらはぎを指で差された。そもそもマッサージ下手すぎ。
「〈良心〉って言っても性格が違うにも程がある。ユリに別人格が乗っ取ってる感じにも見えるんだ。それか〈形態変化〉ってやつ? ユリに化けているとか」
ルリは首を振った。
「何ともわかりませんね。ですが、人格の分裂もあり得なくはないでしょう。未来にも神経症や精神病はあります。薬で対処できるのは不眠や交感神経異常くらいで、メンタルは難しいですからネ。以前からお姉ちゃんにも不調はありました。生理後しばらく経ったのに頭痛が引かないと言って……。体調は良さそうでしたけど。分裂病かな?」
俺が体内コンピューター停止弾を撃ち込んだことが原因なのか。わからないな。
「そう言えばルリさんは、ユリを『お姉ちゃん』と呼んでいますよね。確認ですが、実姉ではないんですか?」
ノエルの質問に、ルリは頷いた。髪の色もそうだけど、遺伝子的に全然似てないよな。
「なんか、シュータくんにディスられている気がする。具体的には、お姉ちゃんがと違って、脚が短くて背が低いことを揶揄されている気がする」
――鋭い。
「お姉ちゃんは、お姉ちゃん的存在という意味です」
「なるほど。なぜ、姉妹のような関係なのでしょう? 幼馴染みなんでしょうか」
ルリは「私に興味津々じゃん」とノエルを見返す。ノエルは「そうですよ」と棒読みで言う。
「ルリのルーツから説明すればわかるのです。ルリは、孤児でした」
――え? 一瞬の静寂が部屋に訪れた。俺は思わず顔を上げる。
「孤児って、親がいないのか? 病死も事故死も、この時代には無いんだろ」
「ええ、ですから言ってしまえば、捨て子ですよ」
意味がわからん。この時代は衣食住が飽和しているんだぞ。子供に労働させたり、売ってしまったりするような必要はもちろん無いはずで、なおのこと捨てるなんてあり得ない。
「育児放棄ってことなの?」ミヨが尋ねる。
「そーですね。ルリちゃんは物心つく前に両親の手から離れて、コロニーの直営する孤児院に預けられました」
孤児院があること自体が驚きだ。そんなに捨て子がいるのか。この便利で豊かな時代に。
「そりゃいます。私のいたコロニーでも、何万人という単位でいました。だって、ここは『自由』の時代ですよ。子供を持たない自由を保障するために、孤児院は必要です。子供が不要になったのに、育てる責任を負い続けることは不自由ですから、別の誰かに扶養を任せるシステムがあるのです。不要になったら、扶養委託――ルリちゃん、だじゃれ上手♪」
笑えねえって。
「もちろん育てる意思が無いのに出産を繰り返して、孤児院に預けることは禁じられています。産児制限というシステムも、かなり緩いものですが一応あります」
でも、育児を支援する技術やサービスもあるわけだろ?
「それでも、子育てに割く時間を惜しんだり、子供と同居すること自体を煩わしく思うようになったりするような人もいるのです。子供を愛せない人もいますし……。ルリの場合がどうだったのか、知りません。知りたくもないですが」
ユートピアだと思って過ごしていると、こうして時々変わらない人間のいやらしさを身に染みて実感させられる。仕方ないケースもあるんだろうけどさ。
深夜でお腹が空きすぎて、ありもしない親子丼の匂いがした。助けてください……。




