三十.貝なしと(8)
伊部の家に戻ると、そこには既にミヨとノエルが帰っていた。二人は夕飯として玄米のようなものを肉で巻いて、ホワイトソース? をかけて食べていた。部屋のダイニングテーブルに、俺も腰掛けることにする。
「おかえり、シュータ。これ美味しいわよ。この時代の料理らしいんだけど……。なんだっけ? レフ・アモーレ?」
「さ、さあ。俺も忘れてしまいました」
そんなペスカトーレみたいな名前なのか。どうでもいいけどさ。
「あんた食べる?」
「食べない。腹減ってないんだ」
足が疲れただけ。
「シュータ先輩はどこに行っていたんですか? ずいぶん長かったようですが」
「そうよ、私が浜辺を冒険しているときに!」
誰も冒険しろなんて言ってない。俺は、まあ色々あったんだが、お前らは特に変わったことは無かったか? ミヨはもぐもぐして答える。
「海で水生生物を確認したわ。魚っぽいのもいたし、ワカメみたいなのも生えていた。けれど、他の惑星だけあって、知らない生き物も多いわね。地球由来の生物なんだろうけど、独自の生態系を築いていたわ」
見たところ、街路樹も地球の温帯に生えているものと大差ない。環境自体はそこまで大きく異ならないのかもしれないな。ノエルは?
「街の方へ。ここらと比べると、賑やかでしたが犯罪らしき騒ぎは皆無でしたね。ストリート音楽も聴きましたし、美術館にも行きました。我々の感覚とは多少ズレていましたが、意味不明というほどのものでもないっすね。あと服が奇抜です」
ふむ、時代が変われば当然変わるものもあるだろう。流行などは特に。
「宙に浮くスケートボード、あれは楽しかったな」
ノエルが珍しく無邪気な笑み。そんなバック・トゥ・ザ・フューチャー的体験をしていたとは羨ましい(まさに未来へ『戻って』きたわけだが)。
「シュータはどこで何していたわけ?」ミヨが訊く。
「その前に、伊部はどこだ?」
どうやら二人の話だと、伊部は二階の作業室に籠っているらしい。好都合だ。
「俺はユリと会った。それも変なユリで――とりあえず話すよ」
先ほどまで体験したことを、記憶を元になるべく丁寧に話した。ノエルは、超能力の正体をある程度予想できていたのだろう。微笑を湛えて聞いていた。反面、ミヨは自分の超能力に頭を悩ませていた。
ひとまずユリとの密会も、伊部の調査報告も、明日にならなければ結果が出ない。今日は早いうちにベッドを借りて眠ろう。時差もあるだけじゃなく、こっちは白夜で日が落ちないらしいのだ。
翌朝、俺はふかふかのベッドで目を覚ました。睡眠の質もよく考慮されて設計されているようだ。防音も完璧で熟睡することができた。途方も無い時空を超えてきたとは思えないほどに、すっきりした目覚めだ。
「ふあー、よく寝たわ」
ん? セミダブルのベッドにはミヨがいた。隣で真っ白のTシャツを着て気持ちよさそうに伸びをしている。
「なんでお前がいるんだ?」
「もう、忘れちゃったの? 昨晩のこと……」
俺は記憶を辿ってみた。俺は二階の客間でこのベッドに潜り、そのまますぐ……眠った。
「改めて訊く。なんでここにいるんだ?」
「私、寝相が悪いのよ」
「お前、隣の部屋で寝たよな」
「私、寝相が悪いのよ」
まあ実害が無いならいいや。身支度を済ませて朝食のために下りて行くと、一階ではノエルが本を読んでいた。俺に気が付くと、本を閉じて目線を上げた。
「ぐっすり眠れました?」
「嫌味か、このぶた野郎。美月のことを思うと一睡もできなかった」
「やはりね、俺も同じですよ。五時間も起きっ放しです。色々と考えることがありましたから」
ノエルは「よぎぼー」的な椅子に座っていたが、立ち上がるとキッチンへ向かった。こんな立派なキッチン、伊部にはもったいない気がする。ノエルは四角い箱に手をかざして何ごとかを喋った。すると、ものの数十秒でおむすびを皿に載せて戻って来た。
「どうぞ、朝食です」
「気が利くなあ」
飲み物と手を拭くものを用意してくれれば。俺は自分でそれらを準備して、テーブルについた。どうも、あの器械は物質を生成する技術を応用した、調理マシーンのようだ。
俺はおむすび(おかかと鮭)を食べながら、ノエルと話す。
「今日はどうする?」
「どうすると言われましても、美月先輩に自力で会いに行くことは我々にはできませんし、そもそも行くべきかどうかも判断できません。伊部さんの助言がないと」
俺は窓の外を眺めた。今日も綺麗に晴れ渡っている。当然、雨が降ることもあるのだろうが。暢気そうにコーヒーを嗜むノエルはリラックスしているように見えた。
「何の本を読んでいた?」
「ニイチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』ですよ。俺も超人に憧れていましてね」
ではお前も善悪を蹂躙してしまえ。
「ここでは古今東西のあらゆる著作が、翻訳も含めてタダで読み放題ですからね。デジタル空間に人類共有の図書館があるようなものです」
探すのが大変そうだな。俺はおむすびに食いつく。
「面白い著者の哲学書もありましたしね」
「面白い著者とは? チャップリンのお笑い哲学かな」
「さあ。まあ現在のシュータ先輩には読めないでしょうね」
バカにしやがって。なんか鼻につくな。




